中森弘樹「失踪の社会学 親密性と責任をめぐる試論」(慶応義塾大学出版会)

本書を読んでいる間、面白い評論や研究に付き物のスリリングな読書体験に包まれていたのだが、その〈スリリング〉さはエンターテイメントなジャンルを二つ想起させた。
一つは笠井潔のミステリで、彼の描く名探偵、矢吹駆は現象学的本質直観により事件を解決するのだが、起こる事件の〈首のない死体〉や〈密室〉を還元し本質をあぶり出し、その概念から遡行して犯人やトリックを暴く。
本書、最初の約百頁は失踪の戦後史、失踪の概念を他の近接する概念である〈蒸発〉や〈家出〉との差異でカタチ作っていく。
その概念〈社会的死〉や〈曖昧な喪失〉が生成されていく過程は本書の読みどころの一つである。
(ちなみに偶然だろうが、本書は多くの週刊誌等の大衆雑誌によるがその引用の発言者や執筆者に樹下太郎と新章文子がいた。どちらも本格ミステリ作家として傑作をものしている)
そして押井守のアニメである。
「迷宮物件」やパト1、なにより代表作の「ビューティフル・ドリーマー」がレギュラーが次々と失踪する話なのだ。
(ちなみに押井守と笠井潔は対談本を出している)
失踪とその概念抽出は気が滅入る所業であり、作業ではあるが、ミステリとアニメという娯楽のジャンルにあって二人の創作は王道にして異端、メジャーにしてマイナーとおかしな立ち位置にいる。
出版順では前後したが同じ著者による単著「『死にたい』とつぶやく」ではかなりサイコな連続殺人事件を扱うのだが、本書と同じで悲壮感を感じず、よくあるノンフィクションやドキュメンタリーのような使命感の暑苦しさがない。
娯楽作品とは感傷的で感情的、どんでん返しや濡れ場やアクションシーンで盛り上げるものだが、そういうものを拒否する態度、勿論、本書は娯楽作品でなく、論文なのは百も承知しているが、そういう毅然とした態度を感じてしまう。
ミステリには萌えもアクションシーンもいらないし、アニメにダレ場があっていいように、第五章の最後で、いきなり著者は振り返り、メタレベルで読者に語り掛けるケレンもあっていい。
そして本書は失踪という概念には〈効用〉がある、と説いて終わる。
本書でも度々引かれるが、最近の東浩紀は〈訂正〉や〈平和ボケ〉に新たな意義を見出しているように。
あとがきに「もはや関係が切れてしまったかつての友人たち」とあるが、そういう友人たちが私にも大勢いる。
どういうつもりで著者が最後に置いたが知らぬが、〈失踪〉とは縁がないと思って本書を読んでいたが、そういう友人からすれば、私も失踪者なのだ。

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