【ニュース】中止された群馬の「倉渕ダム」、再び動き出す建設計画
国土交通省が、かつて不正が発覚し中止に追い込まれた群馬県の「倉渕ダム」計画を復活させる方針を固め、現地調査に乗り出した。背景には「気候変動」を理由とした利根川水系の治水計画の見直しがあるが、住民不在の決定に反発が強まっている。
復活を遂げる「倉渕ダム」計画の全貌
国土交通省が主導する「令和の大改修」
国土交通省関東地方整備局は、利根川水系の治水安全度を抜本的に高めるための新たな対策として、過去に事業中止が決定されたダム計画を復活させる手続きを開始した。これは2025年3月に策定された「利根川・江戸川河川整備計画」に基づいたもので、近年の気候変動に伴う降雨量の増大に対応することが主目的とされている。2026年1月および3月に開催された関係都県会議において、国側は既存ダムの事前放流のさらなる活用や嵩上げに加え、かつて建設が断念された群馬県内のダム予定地を活用する方針を示した。
具体的には、利根川上流の基準地点である八斗島(群馬県伊勢崎市)において、ダムがない場合に流れる想定流量である「基本高水」を、従来の毎秒2万2000トンから2万6000トンへと引き上げた。このうち河道拡幅などで対応できない毎秒4900トンの洪水調節を上流のダム群などで担う必要があり、その不足分を補うために「中止ダム」の活用が浮上したのである。橋本雅道関東整備局長は、この一連の対策を「令和の大改修」と銘打ち、早急な整備を目指す姿勢を鮮明にしている。以下の図を参照してください。

なぜ「倉渕ダム」が優先調査対象となったのか
今回、検討対象となった中止ダムは、群馬県内の倉渕ダム、戸倉ダム、川古ダム、増田川ダム、平川ダム、栗原川ダムの計6カ所であった。その中で、高崎市の倉渕ダムが優先的に選ばれたのは、過去の事業進捗率が極めて高く、早期の完成が見込めるためである。倉渕ダムはかつて群馬県の事業として烏川の源流部に計画され、1990年度(平成2年度)に建設段階へ移行していた。2015年度に正式に中止されるまでに、すでに用地買収は100%完了しており、ダム建設に付随する道路の付け替え工事も終わっている状態だ。
国交省の試算によれば、倉渕ダムの有効容量は約1080万立方メートルで、そのうち治水容量として約600万立方メートルを確保できる。既存のインフラが活用できるため、工期は約10年、事業費は約500億円と、新規ダム建設に比べて圧倒的に安価かつ短期間で整備が可能と評価された。同様に復活が検討されている片品村の戸倉ダム(工期約15年、コスト約2000億円)とともに、利根川上流部の洪水調節機能を強化するための「即戦力」として位置づけられたのである。
住民が暴いた「嘘」と中止の歴史
1m2あたり1万円の土地を20万円と偽装
倉渕ダムの過去の中止劇は、単なる財政難によるものではなく、行政側のデータ改ざんを住民が暴いたという極めて稀な経緯を持っている。2010年代の中止決定時、ダム建設を推進したい県側は、河川改修を行うよりもダムを作るほうが経済的であるとする根拠を示していた。具体的には「河川改修なら411億円、ダムなら357億円かかる」という比較資料を作成していたが、倉渕ダム研究会の住民らが情報開示請求によってその内訳を入手したところ、驚くべき実態が判明した。
住民が調べたところ、実際の宅地取引相場が1平方メートルあたり1万〜2万円の地域であるにもかかわらず、県は河川改修の費用を膨らませるために20万円という法外な単価で用地買収費を計算していた。住民側の指摘を受けた県職員が、開示直後に「間違った資料が入っていた」と血相を変えて回収に来たが、住民は機転を利かせて回収前に資料を複写。この組織的な「嘘」が白日の下にさらされたことが、当時の小寺弘之知事による事業中止の判断を決定づける大きな要因となったのである。
費用対効果「1.37」の計算根拠に潜む欺瞞
県側が示していたもう一つの嘘が、ダムの費用対効果(B/C)に関する数値であった。行政側は倉渕ダムによって防げる洪水被害額を建設コストが上回るとして、投資効率を示す数値を「1.37」と算出していた。しかし、住民らが実際に烏川の現場を歩いて調査したところ、県が「堤防がないため氾濫する」と主張していた箇所には、実際には信越本線の線路が堤防と同じ高さの土手として機能しており、物理的に水が溢れない構造になっていることに気づいた。
この事実に住民が気づき、現実に即して再計算を行ったところ、ダムの費用対効果は公共事業の継続基準である「1」を大きく下回ることが明らかになった。行政が自分たちの都合の良いように「氾濫する地域」を捏造し、ダムの必要性を演じさせていたことが露呈したのである。中止を導いた住民の一人は「倉渕ダムは治水計画としてすでに破綻したダムである」と述べており、かつて民主主義のプロセスを経て退けられたはずの欠陥計画が、再び動き出したことに強い不信感を示している。以下の図を参照してください。

気候変動を巡る治水計画の妥当性
「気候変動」はダム建設の免罪符か
国土交通省が今回のダム復活の根拠として全面的に押し出しているのが「気候変動」という言葉である。2024年に国が示した方針では、地球温暖化によって気温が2度上昇した場合、降雨量は約1.1倍に増え、河川の流量は約1.2倍になると想定されている。この科学的な予測をベースに、既存の治水施設だけでは対応不可能であるとして、かつて葬り去られたダム計画に再び光が当てられた。しかし、専門家からはこの手法に対して「気候変動をダム事業推進の免罪符にしている」との批判が上がっている。
新潟大学の大熊孝名誉教授(河川工学)は、国が掲げる目標流量の実現可能性について疑問を呈している。現在、八ッ場ダムを含む利根川上流の7ダムを合わせても毎秒2800トン程度の洪水調節しかできていないのに対し、国は今後毎秒8300トンまで調節機能を高めるという極めて高い目標を設定した。これに対し「実現不可能な完成形を掲げ、とりあえず中止ダムを復活させるという場当たり的な計画は、河川工学者として認めるわけにはいかない」と批判している。背景にある根本的な問いを棚上げにしたまま、新たな目的として気候変動が持ち出されている現状がある。
下流を救うための上流の犠牲という構図
利根川水系の治水計画において常に議論の的となるのが、東京都や埼玉県などの中下流域を守るために、群馬県などの上流域に負担を強いるという構造的矛盾である。今回の倉渕ダム復活においても、高崎市議会が提出した意見書には「市民の生命を守るため」との文言があるが、実際には倉渕ダムの主な目的は利根川・江戸川の中下流域における洪水被害の低減に位置づけられている。地元のNPO法人「アグレコ」などは、ダムの建設が高崎市内の洪水防止に直結するような誤解を招く説明がなされていると指摘する。
また、ダムには洪水を貯留する効果がある一方で、ダム下流の平野部で大雨が降った場合には無力であるという弱点もある。ダムへの過度な依存は「ダムがあるから大丈夫だ」という住民の過信を生み、かえって避難行動を遅らせる「ダム神話」の弊害も懸念されている。さらに、2019年の東日本台風時のデータを見ても、既存ダムの運用で水位低下効果が発現している一方で、依然として浸水被害が発生している現実がある。ダムを増やすことだけが唯一の解決策なのか、それとも流域全体で水を逃がす「流域治水」へ転換すべきなのか、その根本的な議論が尽くされていない。
再燃する反対運動と市民の対話
「住民不在」の会議で決まる復活劇
今回の倉渕ダム計画の復活プロセスにおいて最も問題視されているのは、その決定過程における「住民不在」の姿勢である。2025年11月から2026年3月にかけて行われた「利根川水系における治水計画検討委員会」は、有識者と行政担当者のみで構成され、流域住民の声が直接反映される機会は限られていた。この会議の中で、かつて住民が多大な労力をかけて中止に追い込んだダム計画が、わずか数回の会合で「妥当」と判断され、現地調査の着手が決定されたのである。
これに対し、倉渕ダムの中止を導いた住民らは即座に行動を開始した。2026年7月11日には高崎市内で「ダムのない清流を守りたい」と題した市民集会が開催され、200人以上の市民が集まった。集会では、過去の不正の歴史が語り継がれるとともに、清流としての烏川を守りたいという声が相次いだ。住民側は国や高崎市議会に対し、詳細な説明を求める質問書を提出しているが、行政側の回答は「気候変動のリスクに備えるため」といった抽象的な内容にとどまっており、対話の溝は深まるばかりである。以下の図を参照してください。

高崎市議会内での会派間の対立
行政・政治の場においても、倉渕ダムを巡る対立は鮮明になっている。高崎市議会で可決された建設再開を求める意見書は、自民党系の「新風会」と公明党の賛成によって成立したが、共産党や社民党、その他の無所属議員を含む他会派はすべて反対に回った。反対派の議員らは、過去のデータ改ざんという信頼失墜行為への反省がないまま、多額の血税を投じるダム事業を再開することの是非を厳しく問うている。
また、地元のNPO法人「アグレコ」が市議会に提出した公開質問書への回答を巡っても紛糾があった。2026年4月に提出された質問書に対し、議会側は会派間での調整がつかず、回答期限を1ヶ月以上過ぎた6月末にようやく連名で回答を出すという異例の事態となった。質問書では「氾濫危険水位」の詳細な根拠や、ダム建設による烏川の水質悪化、さらには絶滅危惧種であるクマタカの生息環境への影響について問いが立てられていた。議会側の回答が不十分であるとして、市民団体側は今後も粘り強く議論を深めるよう求めていく構えだ。
生態系への影響と環境保護の視点
絶滅危惧種クマタカと良好な自然環境
倉渕ダムの建設予定地は、今なお豊かな自然が残る烏川の源流域であり、多様な動植物の生息地となっている。特に、国の絶滅危惧種に指定されている猛禽類「クマタカ」の生息が確認されており、地元の自然保護団体は長年にわたってその観測と保全活動を続けてきた。かつて1990年代に行われた調査でも、ダム建設がクマタカの繁殖や餌場に甚大な影響を及ぼすことが指摘されており、当時の環境影響評価においても重要な論点となっていた。
今回の計画復活にあたり、国交省は「環境面に悪影響がないよう検討する」としているが、具体的な保全策は示されていない。ダムによって広大な森林が水没し、河川の連続性が断たれることは、クマタカだけでなく流域全体の生態系に不可欠なダメージを与える。住民側は、環境省が掲げる「ネイチャーポジティブ(自然再興)」や、2030年までに陸と海の30%以上を保全する「30by30」といった国際的な目標とも、今回のダム復活劇は完全に逆行していると厳しく批判している。
清流・烏川の水質悪化への懸念
治水面だけでなく、水質や水利の面からも懸念の声が上がっている。烏川は群馬県内でも有数の清流として知られ、高崎市の一部の水道水は薬品を一切使用しない高度な浄化処理で供給されている。しかし、ダムが建設されて大規模な貯水が行われれば、夏季の「アオコ」の発生や水の富栄養化、さらには放流水による下流の濁りなど、水質が大幅に悪化するリスクが生じる。
高崎市の市民団体は、ダム建設によって烏川の清らかな水が失われることは、市民の生活基盤を揺るがす重大な問題であると主張している。国交省の有識者会議資料では「既存ダムの運用高度化」として、利水容量の一部を治水に振り替える案なども検討されているが、これが渇水時の供給にどう影響するのかも不透明である。清流とともに生きてきた流域住民にとって、ダム建設は単なる土木事業ではなく、故郷の環境そのものを変質させてしまう不可逆的な行為として受け止められている。
今後の展開と注目すべき合意形成
現地調査から事業化へのハードル
国交省は今後、倉渕ダムおよび戸倉ダムの予定地において、最新の技術基準に基づいた測量や地質調査、断層調査などを早急に実施する方針である。これらは中止時点から20年以上が経過し、土地利用状況や地形データが変化している可能性があるためだ。調査結果を踏まえた上で、利根川・江戸川河川整備計画を正式に変更し、個別のダム事業として明記する手続きに進むことになる。その後、新規事業採択時評価を経て、ようやく本格的な建設段階へと移行する流れだ。
しかし、事業化までには多くの高いハードルが待ち受けている。まず、かつての中止理由となった費用対効果の再検証が不可避である。物価高騰や人件費の上昇により、当時の試算である500億円を大幅に上回る可能性が高く、経済的妥当性をどう担保するかが問われる。また、最新の環境影響評価(アセスメント)法に基づく厳格な調査も求められる。国側は最終的に2カ所程度に絞り込む方針を示しており、倉渕ダムが最終的に建設へと進むかどうかは、今後の調査結果と予算編成の行方に左右されることになる。
流域治水への転換か、ダム依存の継続か
倉渕ダムの復活を巡る議論は、日本の治水行政が直面している大きな分岐点を象徴している。気候変動という未知の脅威に対し、巨大なコンクリート構造物であるダムを増やすことで力ずくで抑え込む「ダム依存」の治水を続けるのか。それとも、堤防の強化や遊水地の整備、土地利用の制限などを組み合わせ、流域全体で洪水を分散させる「流域治水」へと真に転換するのか。その選択が今、問われているのである。
今後の最大の注目点は、行政がどれだけ誠実に住民との対話に応じるかである。かつての「嘘」によって失われた信頼を回復しないまま計画を強行すれば、第二の八ッ場ダムとも呼ぶべき長期にわたる激しい対立が再燃することは避けられない。利根川水系全体の治水バランスを見極めつつ、地域の環境と住民の意思を尊重した合意形成がなされるのか。倉渕ダムの「復活劇」の結末は、これからの日本の公共事業のあり方を占う重要な試金石となるだろう。
参照ページ
【利根川水系における治水計画検討委員会(第5回)】https://www.ktr.mlit.go.jp/river/shihon/river_shihon00000499.html
【利根川上流部における治水対策計画段階評価】https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000950074.pdf
【倉渕ダム検証報告書(平成27年3月)】https://www.mlit.go.jp/river/shinngikai_blog/tisuinoarikata/dai34kai/dai34kai_siryou3.pdf
【気候変動の影響を踏まえた治水機能増強のための迅速な調査を求める意見書(高崎市議会)】(関東地方整備局提出資料)
