倍速視聴で人生を無駄にする人々。タイパという名の現代病
倍速視聴でアニメを消化し、映画はクライマックスだけを再生し、長編小説は要約サイトを見て納得する。コンテンツが飽和した現代において、タイムパフォーマンス、いわゆるタイパを重視する行動が常識となりつつある。
だが、問おう。
効率を極めたその先に、果たして本当に幸せはあるのだろうか。
結論から言えば、タイパを追う者は一生豊かにはなれない。
なぜなら彼らは、人生を生きているのではなく、単に情報を処理しているに過ぎないからだ。
人生を「スタンプラリー」にする現代人
体験ではなく「処理」をしている
彼らが「タイパ」を口にする動機は常に受け身だ。
「時間がない」、「話題に置いていかれたくない」。
だから、アニメを倍速で流し込み、要約サイトでストーリーを摂取する。
だが実際のところ、彼らの頭には何も残っていない。映画のクライマックスだけを見ても、そこに至る積み重ねがないのだから感動など生まれるはずもない。これは作品を体験しているのではなく、ただ事務的に処理しているだけである。
「見た」事実だけのスタンプラリー
彼らにとって「見た」という事実は、作品から何かを得ることではなく、単なるスタンプラリーのスタンプを一つ押す作業に過ぎない。
そして「見た内容を話せる」というのは、単に記号化された情報を記憶しているだけのことだ。人間が最も関心を持つのは、無機質なあらすじではない。実際にそれを見て、その人が何を感じ、心がどう震えたかというオリジナルの情報である。
感情なき「コピペ化」された人生
タイパ重視の思考は、この一番重要な感情の揺らぎを無視している。
自分が実際に体験していないのだから、何も感じようがない。他人が感じたことをコピペして語ることは簡単だが、それは借り物の言葉であり、あなたの感想ではない。
これは人生そのものをスタンプラリー化する行為に等しい。人生の終盤になって、「話題作を見た」、「流行りの場所に行った」というスタンプだけは大量に集まっているかもしれない。だが、肝心の中身は空っぽだ。
実際に見ていないのだから、何も感じていない。
まさにコピペ化された人生である。
「時間」と「他者評価」の二重依存
効率化して浮いた時間の行方
そもそも、タイパを重視する人間は、そうやって効率化して浮いた時間で一体何をしているのか。驚くべきことに、また別の解説動画やまとめサイトを見ているのだ。
彼らは時間を大切にしているつもりでいながら、実は時間に追われ続けている。効率を求めるあまり、常に時間という主人の奴隷になっている事実に気づいていない。
他者評価に右往左往する不幸
時間がない、置いていかれたくないという動機の根底にあるのは、他者評価である。「周りが知っているから自分も知らなければならない」という強迫観念だ。
アドラー心理学でも示されている通り、他者評価を基準に動く人間が幸せになることはない。情報と他者の顔色に右往左往する人生では、心の平穏や幸福など得られないのだ。
非効率の先にこそ「自分だけの答え」がある
最短ルートは義務、寄り道は自由
私が考えるに、非効率の先にこそ自分だけの答えがある。
効率とは結局のところ、他人と同じ正解をなぞることに過ぎない。
例えば、「東京から大阪へ行く最短ルート」は一つしかない。しかし、寄り道のルートは無限にある。海が好きなら海沿いを走ればいいし、途中で富士山を眺めてもいい。各地の名物料理を食べ歩きながら向かうのも悪くないだろう。
最短ルートを駆け抜ける行為は、義務であり、楽しくない。対して、寄り道をしている時間は楽しい。なぜなら、自らの意志で主体的に動いているからだ。
寄り道にこそ「個性」が宿る
当たり前の話だが、他人から命令されて寄り道をする人間はいない。寄り道をしている人間を見た時、他人は「無駄なことをしている」と思うだろう。だが同時に、「楽しそうだ」「その人らしい」という感想も抱くはずだ。
この他人には無駄に見える寄り道こそを、私たちは個性と呼ぶのではないだろうか。
「無駄」の中に眠る発明と未来
非効率が生むイノベーション
さらに重要なことを言おう。
人が無駄だと切り捨てたものの中にこそ、新たな発見が埋まっていることがある。
エジソンの電球の発明が良い例だ。発明されるまでは、「なぜこの人はこんな無駄な実験を繰り返しているのだろう」と思われていたはずだ。しかし今や、世界中の人々がエジソンの発明を享受している。
タイパ重視の考えが発見を奪う
常識を疑うという、一見無駄で非効率的な行動から偉大な発明は生まれた。もし全員が効率だけを求め、同じ行動をしていたら、イノベーションなど生まれるはずもない。
何に価値があるかなど、やる前には誰にも分からないのだ。最初から正解だけを求めようとする姿勢こそが、未知なる発見の可能性を摘み取っている。
劣化AIになるな、人間であれ
効率競争で人間はAIに勝てない
最後にもう一つ言っておく。
AI技術は日々進化している。効率的に動くことにおいて、人間はもはやAIに勝てなくなってきている。現に将棋やチェスでは、AIの方が遥かに強い。
無駄を排除しきり、効率だけの最適解を求める人間は、性能の悪い劣化版AIと何が違うのだろうか。
AIとの唯一の差別化ポイント
効率的な正解は一つしかないが、無駄なことは無限にある。
いかに無駄なことに熱中できるか。これこそが、次世代において人間がAIと差別化できる唯一のポイントになるはずだ。
無駄なことをするのが人生だろう。
効率という名の檻から抜け出し、目を覚ます時だ。
