海月
私は海月を羨ましく思っていた。
自由そのもののように見えたからだ。
波に身を任せ、
ときどき誰かをしびれさせながら、
のらりくらりと漂っている。
先日、その海月と話す機会があった。
「そう見えますか。私たちは波に弄ばれて、潮の流れに行き先を決められている。ただそれだけです。」
言われてみればたしかにそうか。
しかし“しがらみ”のようなものも無いのだろう?
「しがらみが無いということは、孤独だということです。」
しがらみが無いことは孤独?
はたしてそうだろうか?
「おや、腑に落ちないような表情ですね。分かりますよ。あなたたち人間は、自分に都合が悪いものを“しがらみ”と呼び、都合が良いものは“絆”や“仲間”などと呼び方を変えますからね。」
……なるほど。
「あなたは『しがらみは無くても、家族や友人はいるではないか』と思ったのでしょう?」
「だから孤独ではない、と。」
たしかに、そんなイメージはあったかもしれない。
「私からすれば、それは『向かい風だけを取り除いて追い風だけは残しておきたい』という理屈に思えます。あなたが東を向いている時は向かい風だけれど、西を向いたら追い風になるだけです。風は風です。」
海月がこんなに饒舌だとは知らなかった。
でも言われてみればそのとおりかもしれない。
いや、恐れいった。
どうしてそんなに人間のことが分かるんだい?
「どうしてでしょうね?
自由な者より、不自由な者の方が、自由についてよく考えるのかもしれませんね」
なかなかどうして私の心を刺してくれる。
「ふふ、痺れましたか?
なんといっても私は海月ですからね」
帰り道、
私は生温い風を背に受けながら、
“しがらみ”と“絆”のことをずっと考えていた。
三條さんのビンゴエッセイ(7月)に絶賛参加中です。
今回のマスは「くらげ」でした。
