見出し画像

黄金の記憶/ショートストーリー

フロアの照明の大半は落とされ、栗山たちのデスク周辺だけをLEDの白い灯りが照らしている。窓の向こう、対面のビルの灯りも、さっきよりまばらになっている。
「キリのいいところで終わらないとな」
隣の山下がPCの画面から視線を外さずに呟いた。
「あぁ、俺もそうするよ」
栗山はわざとエンターキーを強めに叩き、今日の仕事の終わりを宣言した。
「ネクタイ、忘れるなよ」
山下はやっとPCの画面から視線を外し、ニヤリと笑いながら言う。
「あぁ、2日続けて同じ過ちは…しないよ」
そう返事をしながら、栗山は先日のミスを思い出した。ちょうどPCの液晶の灯りが消えた分だけ暗くなったオフィス。それ以上に暗澹たる気持ちが栗山を襲った。
「…悪いな、お先」
「おう、お疲れ」
PCの画面から視線を外さない山下に別れを告げ、栗山はオフィスを後にした。

駅のホームで電車を待ちながら、栗山はぼんやりとデジタルサイネージを眺めていた。
「完全個別対応を売りにする学習塾」の広告。「少子化だもんな…子供を対象にするビジネスは生き残るために必死だろうな…」
心の中で呟く。
いつの間にか広告を見た時に「広告を出す側」の目線になっていることに気付き、なんとも言えない気分になる。

次に流れてきたのは「夏休みの自由研究」に役立つイベントの広告だった。
「早いな…もうそんな季節か…。夏休みの自由研究…ヘチマの観察日記とかやったなぁ。楽しかったな。土鳩の鳴き声聴きながら朝早くからラジオ体操に行ってさ…『新しい朝がきた 希望の朝だ』なんて大声で歌ってさ…。あの頃はホントに朝日が眩しくて、希望の朝に違和感なんてなかったな…」
デジタルサイネージはもう栗山には見えていなかった。モニターの中で次々と切り替わる映像の代わりに頭の中で流れていたのは、川遊びのキラキラした水面や、夕暮れのオレンジ色と長く伸びた影。スイカの種を飲み込むと腹から芽が出ると本気で信じていたこと。花火の火薬の匂い…。
「あの頃は怖いものなんて何も無かったな。何でもできると思ってた」
電車に揺られながら窓に映る自分の顔を見て、栗山は逃げ出したいような気分になった。

翌日も、定時を過ぎてすぐのオフィスに栗山と山下はいた。
「なあ山下。お前、夏休みの自由研究って何やったか覚えてるか?」
「自由研究?あんまり覚えてないけど、雲の観察とかやった記憶はあるなぁ。うろこ雲とか積乱雲とか。ていうかどうしたんだよ急に」
「いや、昨日ふと小学生の頃を思い出してさ。あの頃は自由で楽しかったなぁって」

その時、ビルの隙間から溢れ出した強烈な西日が、無機質なオフィスを端から黄金色に塗り替えていった。舞い上がるわずかな埃が光の粒になってキラキラと漂っている。
その光の中、山下が言う。
「よせよ。あの頃は自由なんてものを知らないだけだ。今の俺たちの方がよっぽど自由だと思うぜ」

黄金の逆光を背に受けながらもPCの画面から視線を外さずに、少しだけ眩しそうに話す山下の横顔が、逆光の中に溶け込んでまるで映画のワンシーンのように見えた。

「お前…かっこいいな」
栗山は思わずそう呟いていた。
「なんだよ、コーヒー奢れってか? 分かったよ、ちょっと休憩しようぜ」

山下が買ってくれたコーヒーを一緒に飲みつつ一息入れる。紙コップから立ち上る香りと湯気が、西日に透けて黄金色に揺れている。
とても…悪くない時間だった。

俺が、30年前の自分を羨ましく思うように、30年後の俺は今の俺を懐かしく思うんじゃないか。
こうして同僚とコーヒーを飲んで一息つく瞬間すら、懐かしくて涙が出るほど戻りたい時間なんじゃないか。

30年後の俺からすれば、
今俺はまさに、黄金の記憶を生きている真っ最中なんだ。

ありがとう山下。
明日は俺がコーヒー奢るよ。


iさんの風まかせ文芸部の企画に参加させていただきました。
大まかなテーマを決めるのに存外時間がかかりましたが、決まったら割と一気に楽しく書けました。
そう言えば最近、土鳩の鳴き声を聴いてないな…

いいなと思ったら応援しよう!