昔話⑧社会人〜落ちこぼれの私が、成長を感じられた瞬間〜
市の奨学金を借りる条件には、金額に応じて市立病院に勤める縛りがありました。
その為、卒業後は考えるまでもなく市立病院に就職する事を選択しました。
私の同期はほぼ全員、
同じ市立病院に就職する事になりましたので、
各病棟に3人以上同期が配置される環境はシンプルに心強かったです。
市立病院の就職説明会当日、
右も左も分からず、
何を説明されているのかもイマイチ理解出来ない状態で生命保険に加入させられた事を、
今となってはとても悔やんでおります。
20代前半独身者が、
自分より稼いでいる両親に遺すための死亡保証金を捻出する為の保険加入。
就職したと同時に数百万の借金返済生活が既に始まっていると言うのに。
無知は罪です。
就職後、配属されたのは小児科病棟でした。
正直、
当時の私は子供がそれ程好きな訳では無かった為、かなり落ち込みました。
ところが実際働いてみると、
子供はとても可愛かったです。
小児科病棟のケア対象者は病児である子供とその保護者の二本立てです。
子供がしんどい時は保護者もしんどい。
子供が元気になれば保護者も嬉しい。
その瞬間に立ち会えるのは、
大変な事もありますが素敵な事だと感じていました。
しかし、
要領が悪く、
自分の意見を伝えられない私は、
完全な "落ちこぼれ" でした。
職場の先輩看護師からは何度も、
分からないなら聞け。
やる前に確認しろ。
自分で考えろ。
と言われ続けました。
まず、
わかっていない事がわからないから聞く事が出来ない。
言われた通りの事しか出来ない為、言われない事はそもそも出来ず、確認のしようが無い。
自分で考えても、
先輩に声をかける事も助けを呼ぶ事も出来ない為、いつまで経っても成長しない。
そんな状況でした。
一緒に配属された同期は、
コミュニケーションが上手で先輩達とよくご飯に行っており、
どんどん成長していた為、
同期と比較されては
"ダメなやつ" 扱いでした。
小児科病棟勤務が一年半程経過した後、
あまりに不出来だった為か、
他病棟に異動させられました。
移動先は"最恐病棟"の1つ、循環器病棟です。
看護学生時代の実習先が就職先の病院だった為、
この病棟の先輩看護師は恐い。
あの病棟の先輩は優しい。
と言う情報が常に同期内で共有されていました。
そんな中でも、
恐い先輩率の高い病棟が
循環器病棟でした。
恐怖に慄きながら循環器病棟に出勤してみると、そこはとても"正常な場所"でした。
循環器病棟は死に直結する病気を扱います。
勿論、小児科病棟も死がない訳ではありません。
しかし市立病院の小児科病棟は
長期療養の病児が多く、
出産後から7年以上
病室で生活している子がいたり、
幼児期に発症した脳腫瘍の治療の為に
入退院を繰り返しながら
何年も治療をする子がいたりと、
生活の一部である事が
病棟に科せられた役割りではないかと思います。
その為
良くも悪くも閉鎖的な環境で、
顔馴染みの看護師と病児の関係は、
家族の様な間柄を形成していました。
一方循環器病棟では、
短期の患者さんが殆どです。
入退院を繰り返している方もいらっしゃいますが、入院期間は長くて1週間程度です。
対象年齢が高い為に
何年もの長期間入退院を繰り返す事が、
多くの場合ありません。
心筋梗塞で一命を取り留めた人、
大動脈解離で助からなかった人、
心不全で生活の質が著しく低下してしまった人。
様々な状況下での
入院生活を医療的にサポートしていく事が
役割りだった様に思います。
そしてその環境が、
私には合っていたのだと感じます。
学生時代に恐れられていた先輩看護師方も、
日々真剣に患者さんと向き合い、
より良い医療サポートができる様、
常に勉強していました。
"心電図が読めない看護師は循環器看護師に非ず"
と言う信条のもと、
県外の研修に参加したり、
本を買って学習したり、
病棟内での勉強会に参加したり。
小児科病棟では課せられなかった
必須タスクがたくさんありました。
小児科病棟での私は、
必死に言われた事を
言われた通りにこなすのが精一杯の状態で、
いつまで経っても成長を感じる事が出来ませんでした。
循環器病棟では勉強する環境が整っていた事で、
少しずつ心電図が読める様になり、
疑問に思った事を先輩に聞ける様になり、
仕事以前の心得を教えてもらえる様に
なっていきました。
その様な一つ一つの積み重ねが、
小さな成長を感じられた、
就職してから初めての体験でした。
小児科病棟では、
あれ程毎日出勤するのが苦痛で、息苦しく、
仕事以外の時間も
自分のダメさ加減に
打ちのめされる日々を過ごしていているうちに、
気付けば
就職してから1カ月で
5kg以上体重が落ちました。
病んでましたね。
今考えると、
強制的な病棟異動により
私は救われたのだと思います。
あのまま小児科病棟に居続けたら、
遅かれ早かれ潰れていたと
今では考えられます。
小学生時代の下僕根性が染み付いていた為、
休む事も、
逃げ出す事も出来ず
ただ壊れていく自分を放置していたと思うのです。
少しだけ成長し、
市民病院の借金返済縛りから解放された私は、
退職を決断します。
1年間の産業看護師を経て、
再度別の総合病院に就職し、
そこで人生最大の転機に恵まれます。
新たに就職した総合病院は、
新築移転して間もない病院でした。
勤めている職員の多くは若く、
同年代の娘が殆どでした。
市民病院の様に
付属の学校から一斉就職する環境では無く、
色々な所から集まって来た方々です。
その為、
皆一様に自立していて、
己の意見があり、
他人との意見交換を厭わず、
違う意見どうしを擦り合わせ、
より良い方向に進んでいける。
そんな職場でしたので、最高に楽しかったです。
それまでの人生で1番、
最高に楽しい時間を過ごしました。
同年代の娘達と一緒に全力で働き、
プライベートでは食事に行ったり、
遊びに行ったり、
時には旅行にも行きました。
そんな中、
20代後半の結婚を意識する年齢に差し掛かっていた事もあり、
食事会という名の合コンに片っ端から参加していました。
仲間と一緒に行く合コンは、
どんな状況でも楽しめました。
そしてある日、
病棟の主任から食事会のお誘いを受けて、
同期と参加することになりました。
そこで出会ったのが、今の配偶者です。
お付き合いに発展し2年が経過した後、
別れるか
結婚するか
を選択させた結果、
結婚に至ります。
自営業一家であり、
結婚後は家業を手伝って欲しいと言われ、
素直に病院を退職しました。
配偶者には、離婚歴があります。
詳しい経緯は聞いていませんが、
嫁に出て行かれた"可哀想な家"と
心の何処かでそう思っていたのかも知れません。
両手を上げて大歓迎は無いにしても、
多少の気は使ってもらえるだろうと。
ろくに話もしないまま、
知識ゼロの状態で嫁いだ私は、
自分の甘過ぎる予測と
現実の違いに
深く反省する事になります。
