昔話⑦一人暮らし〜学業、バイト、数百万の借金。どん底の成績から「社会人」へ変態を遂げた日々〜
高校での進路決めの際、
私は看護の道を選びました。
真綿で首を絞められているような息苦しさを感じる実家から逃げたかった私は、
免許さえ持っていれば何処でも就職でき、
一人で生きていくのに必要なお金を稼ぐ事が出来るだろうと言う思いと、
小学生時代の身近に感じた死と言う概念に引っ張られたのだと思います。
医者にも憧れはありましたが、
私の偏差値では天地がひっくり返っても、
目指せる職業では無い事を重々承知していました。
同じ県内ではありますが、
物理的に距離のある市立病院附属の専門学校に滑り込めた私は、
18歳で一人暮らしを始めました。
1人の生活は何もかもが新鮮で、
全てを自己の裁量で決められる事に喜びを感じていた様に思います。
当時住んでいた部屋は、
病院職員用のアパートを学生にも空きがあれば提供してくれていた部屋でしたので、
身元がハッキリしている分、
安心できる物件でした。
数人の同級生と共にアパートでの暮らしが始まりました。
両親には極力借りを作りたくなかった為、
日本育英会の無利子型奨学金を借り、
市立病院だった事もあり市からの奨学金も合わせて借りていました。
これもまた、
今となっては大いに反省すべき事ですが、
私は18歳の時点において既に、
就職したその瞬間から
数百万円の借金生活となる事を全く考慮に入れておりませんでした。
無知とは実に罪深いです。
奨学金だけでは学費と生活費を賄うのは厳しい為、勿論アルバイトを始めました。
知らない土地で仕事を探す事も、
何もかも初めてでしたので、
実家暮らしの時に
時折利用していた中華系ファミリーレストランに親近感を覚え、
そこに就職するべく、
面接に向かいました。
住んでいたアパートからはそこそこの距離がありましたが、
"知っている"と言う安心感から、
そこを選び採用してもらう事が出来ました。
コレもまた"安心料"という名の勉強費用がかかっていましたね(汗)
暑い日も寒い日も、
風の強い日も雨の日も、
台風の日であっても、
真っ黄色のリトルカブ
(製造中止になってしまいました。
ちょっと寂しい。)
をかっ飛ばしアルバイトに勤しんでいました。
自分が働けば、
働いた分だけ対価がもらえる。
それがどれだけ素晴らしい事かを、
毎月の給料明細書を握りしめながら、
しみじみ噛み締めていました。
バイト先で一緒に働くメンバーは
とても良い方々で、
お客さんも様々な人種の方々がおり、
自分の狭い世界の広がりを感じました。
優しい言葉をかけてくれる方、
嫌な言い方をしてくる方、
その全てが社会勉強でした。
アルバイトに自分のリソースを
全ベットした結果、
本業である学業が疎かになり
1学期の成績は散々でした。
初めての赤点補習を受けている時に、
"授業を真面目に受けて、
補習を回避しないと
バイトをする時間が減ってしまう!"
と言う事を遅ばせながら理解し、
学業を疎かにしない様な生活に
シフトしたのでした。
その後は、
決意の甲斐あって補習を受ける事なく
無事に卒業する事が出来ました。
そして、
専門学校生活1番の大きな山場である、
国家試験に合格し、
いよいよ学生と言う身分から
社会人へと変態を果たしたのでした。
