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アニメ主人公の変遷:選ぶ者・流される者・観る者・共鳴する者 -【日本アニメ文化論】第22章

日本アニメの思想史は、主人公の「立ち位置」の変遷として読める

主人公とは「世界に対してどの距離で関与する存在か」である。この問いで日本アニメの思想史を読み直すとき、四つの類型に分けられる。

  • ヒーロー型

  • 巻き込まれ型

  • 観測者型

  • 共鳴型

この変遷は単なるキャラクターデザインの流行ではなく「主人公が世界とどう関わるか」という思想的な問いの深化として読むことができる。

『ヒーロー型』 - 使命によって動く主人公

最も古典的な類型がヒーロー型だ。世界から選ばれ使命を与えられ、その使命を果たすために戦う。アムロ・レイ(『機動戦士ガンダム』1979年)は「逃げ場のない状況」に追い込まれながらも戦場の中心になり、ルルーシュ(『コードギアス 反逆のルルーシュ』2006年)は自らの意志で世界の構造を変えようとする。『鬼滅の刃』(2019年〜)の竈門炭治郎は妹を救うという個人的な動機が世界的な使命へと接続する。ヒーロー型の核心は世界の意味を引き受ける主体であることだ。アムロは「強制された使命」を、ルルーシュは「意志的な使命」を体現する。その違いはあれどどちらも世界が動くとき、その中心に主人公の意志がある。

ヒーロー型の使命は、『新世紀エヴァンゲリオン』(1995年)の碇シンジにおいて一度崩壊する。「戦えない主人公」「使命を引き受けられない主体」。エヴァは世界を引き受ける主体の自明性そのものを崩壊させた。主人公が世界の中心として機能するという前提が問い直されたとき、主人公という存在の問いは次の段階へと開かれた。この崩壊ののちに現れたのが、新しい距離感を持つ主人公たちだ。現代においてもヒーロー型は消えていない。ただしその形は変わり、炭治郎虎杖悠仁(『NARUTO -ナルト-』2002年〜)、緑谷出久(『僕のヒーローアカデミア』2016年〜)のように、世界を変える存在ではなく「正しくあろうとする主体」として現れている。

『巻き込まれ型』 - 選ばないのに中心になる

2000年代以降に台頭した類型が巻き込まれ型だ。上条当麻(『とある魔術の禁書目録』2008年)・結城リト(『ToLOVEる』2008年)・桐ケ谷和人(『ソードアート・オンライン』2012〜)、これらの主人公に共通するのは、自ら選んで事件の中心に立ったわけではないという構造だ。「状況・偶然・能力」が彼らを巻き込む。

巻き込まれ型の本質は、主体が選択の起点にならないことにある。世界は主人公によって動くのではなく、主人公の外側で起きその中心に巻き込まれる。ヒーロー型の意志的な主体性と構造として正反対だ。「なろう系」異世界転生との接続はここに由来する。「気づいたら異世界にいた」という転生の文法は巻き込まれ型の極限形だ。世界に関与することの重さが回避されるとき、主人公は出来事の原因ではなく通過点になる。巻き込まれ型は世界に関与する責任を回避する構造でもある。それは責任の回避であると同時に、関与の負荷に対する時代の適応でもある。

『観測者型』 - ハルヒ以降の転換

2006年の『涼宮ハルヒの憂鬱』は、キョンという存在によって主人公の類型を根本から変えた。エヴァが「戦えない主人公の内面崩壊」を描いたとすれば、ハルヒは「そもそも戦わない主人公の登場」を実現した。これはエヴァからポストエヴァへの思想的な再配置だ。キョンは世界を変えない。

ハルヒという「世界を変えてしまう存在」を観察し、語り、時に制御しようとする。世界の中心にいるのにもかかわらず、自分では何も起こさない。この「観測者」としての立ち位置が、以後の日本アニメに強い影響を与えた。
比企谷八幡(『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』2013年)は社会を斜めから観察し、阿良々木暦(『化物語』2009年〜)は怪異と人間の境界を往還しながら語り手として存在する。これらはすべて「事態の中心にいるが、世界を変えようとしない主人公」だ。

観測者型の思想的な意味は深い。エヴァのシンジが「戦う自分とは何か」を問うたとすれば、観測者型主人公は「見ている自分とは何か」を問う。自意識の崩壊ではなく自意識の距離化、これはポストエヴァ世代の主人公の在り方だった。大きな物語が信じられなくなった時代において、世界を変えるよりもそれを理解しようとする態度が選ばれた。距離を取ることで世界を過剰に引き受けずに済むという利点もあった。これが観測者型が広く支持された理由だ。ただし観測することは理解であると同時に、関与しないための装置でもある。距離を取ることで傷つかず、責任も負わない構造がそこには潜んでいる。

『共鳴型』 - 世界を動かさず、感情に寄り添う

日常系が「関係そのものが出来事になる」地点に到達したとき(16章「日常系:「何も起きない」ことの思想(2001年〜現在)」)、主人公もまた世界を動かす存在から、関係の中で感情を受け取る存在へと変化していく。そして現在、第四の類型が増えている。共鳴型主人公だ。観測者型が「距離を取る」主人公であるとすれば、共鳴型は「距離を溶かす」主人公だ。見るのではなく、感じる。記録するのではなく、受け取る。

黄前久美子(『響け!ユーフォニアム』2015年)は部員の感情の複雑さを受け取り、その感情に共鳴することで物語が動く。フリーレン(『葬送のフリーレン』2023年〜)は千年の時間の中で人間の感情を少しずつ理解していく。「世界を救う」のではなく「誰かの感情を知る」ことが彼女の旅の意味だ。『スキップとローファー』(2023年〜)の岩倉美津未は周囲の人間の感情を無意識に引き受け、その純粋さで環境を変えていく。後藤ひとり(『ぼっち・ざ・ろっく!』2022年〜)は極度の内向きさを持ちながら、音楽という回路で他者の感情と共鳴する。

共鳴型に共通するのは「主人公が世界を動かすのではなく、誰かの感情に動かされる」という構造だ。使命も、選択も、観察も、その先にある感情の受容と共鳴が物語の駆動力になる。ただし距離を溶かすことは、他者に飲み込まれる危険とも隣り合わせである。共鳴は世界を変えない。だがそれは変えられない世界に対する応答でもある。この変遷は主人公の役割の変化ではない。世界と人間の関係の変化そのものである。

主人公はかつて世界を引き受ける存在だった。やがて世界に巻き込まれ、距離を取り、それを観測する存在へと変わった。そして現在、主人公は世界を動かさない。他者の感情に触れ、それを受け取ることによってのみ物語に関与する。世界はもはや変える対象ではない。理解され引き受けられる現実である。このとき主人公と読者の距離は消滅する。
主人公とは「特別な存在」ではない。世界と関わる「私たち自身の位置」、その仮の名前にすぎない。

この章のキーワード

  • ヒーロー型(アムロ・ルルーシュ・炭治郎):使命・選択・世界を変える意志

  • 巻き込まれ型(上条・キリト・リト):偶然・状況・なろう系への接続

  • 観測者型(キョン・八幡・阿良々木・咲太):ハルヒ以降・自意識の距離化

  • 共鳴型(久美子・フリーレン・美津未・後藤ひとり):感情の受容・他者との共鳴

  • 四類型の思想史:国家の使命→漂流→距離化→感情の共鳴という変遷

  • 主人公と読者の距離:ヒーロー型では乖離していた両者が、共鳴型においてほとんど重なり合う — この変遷の中で、主人公とは特別な存在ではなく「世界と関わる私たち自身の位置」へと変質した


次章:『23 ヒロインの欲望:「装置」から「主体」への変遷』へ

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