旧宮家復帰賛成!
皇位を継げなかった家が、皇統を救った
― 伏見宮、600年の物語 ―
前回の皇位継承の話で、「旧宮家」がちらっと出てきました。その筆頭が伏見宮(ふしみのみや)。
実はこの家、めちゃくちゃドラマチックなんです。
今の天皇陛下も、血の筋(男系)をずーっとたどると、ある一つの宮家に行き着きます。
それが、かつて「皇位を継げなかった」家――伏見宮。
今日はその物語を。
始まりは、南北朝の"負け組"
時は14世紀、南北朝時代。北朝に崇光天皇(こうごう)という天皇がいました。ところが政争に巻き込まれ、退位させられてしまう。
その息子が栄仁親王(よしひと)。
本来なら皇位を継げる立場だったのに、継げなかった。代わりに京都・伏見の所領をもらい、「伏見殿」と呼ばれる。
これが伏見宮家の始まりです。スタートは、いわば皇位レースの"負け組"だったんですね。
どん底からの、まさかの大逆転
伏見宮家は、その後も安泰じゃなかった。所領を奪われかけたり、断絶の危機もあった。栄仁親王の孫・貞成親王(さだふさ)のころも、苦しい時期でした。
ところが。
皇位を継いでいた"本家"のほうで、まさかのことが起きる。
称光天皇(しょうこう)が、跡継ぎを残さないまま亡くなったんです。
天皇の血筋が、途絶えそうになった。そこで白羽の矢が立ったのが――伏見宮・貞成親王の息子。
彼が即位して、後花園天皇(ごはなぞの)となります。
…分かりますか、この逆転。
「皇位を継げなかった家」から出た子が、皇統そのものを継いだんです。負け組が、本流になった瞬間。
しかも驚くことに、今の皇室は、この後花園天皇=伏見宮の血を引いている。あのとき伏見宮がいなかったら、皇統は途切れていたかもしれない。
「血の予備」として、600年
この一件で、伏見宮家の役割がはっきりします。皇統が途切れそうなときの"血の予備"。
以後、伏見宮は世襲親王家(代々親王を継ぐ特別な家)の筆頭として、江戸時代までずっと続く。
明治になると、その系統から山階宮・久邇宮・北白川宮・朝香宮・東久邇宮・竹田宮…と多くの宮家が枝分かれし、皇室を守る"藩屏(はんぺい)"になりました。昭和天皇のお后さま(香淳皇后)も、この伏見宮系のご出身です。
そして、静かに消えた
ところが、600年続いたこの家にも終わりが来ます。
1947年(昭和22年)10月。
敗戦後、GHQの方針で、11の宮家・51人が一斉に皇籍を離れました。その大半が、伏見宮の系統。
南北朝から続いた、いちばん古い宮家が――静かに、歴史の表舞台から消えたんです。
でも、血は途切れていない
ここが大事なところ。
表舞台から消えても、伏見宮系の男系の血は、今も続いている。
だからこそ、前回出てきた「旧宮家の皇籍復帰」という案が、現実味を持つわけです。
かつて一度、皇統を救った家。その血筋に、もう一度光が当たるかもしれない。
おわりに
伏見宮の物語は、ひとことで言えば――
皇位を継げなかった家が、皇統を救い、皇室を支え、そして静かに退場した。
でも、その血は、今も流れている。
600年。負け組から始まって、本流を生んで、消えて、なお続く。
歴史って、こんなに地続きなんだなと、しみじみ思うんです。
その辺の訳のわからない有識者とか学者とかが、簡単に愛子様でいいじゃない、女性天皇でもいいじゃないとか言ってる奴は、本当に愛子様の幸福を考えていないと思う。愛子様が天皇になったら結婚できないんだからね!
次回はそろそろ僕の本業――土木の話を歴史に絡めてみます。「昔の人はどうやって測量してたのか」、現場屋目線でいきますよ。
