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✍ ヴァーツラフ・ハヴェル『謁見』 Audience(1975)にみられる相互行為


 だが私はあたかも相対的生しか存在しないかのように行動してしまう……
 従って、私は自分にたいしても、他人にたいしても、芝居をしていることになる。
 だがまさしくその点で、私は芝居をしているのではない。つまり私はすべてのことがらに<絶対>を見出し、最小のもののなかに最大のものを求めるのである。

ジャン・グルニエ「不決断」

 わたしは『異邦人』を、随分と前に、それが非常に逆説的であるとわかったうえで、ある一つの文に要約した――「われわれの社会では、母親の葬式で泣かない者は皆、死刑になる恐れがある」[…]しかしなぜムルソーはゲームをしないのか[…]その答えは簡単だ。彼は嘘をつくことを拒んでいるからだ。

Albert CAMUS, PRÉFACE À L’ÉDITION UNIVERSITAIRE AMÉRICAINE. 


 チェコの劇作家ヴァーツラフ・ハヴェル[Václav HAVEL, 1936-2011]は1975年、一幕劇の戯曲『謁見』Audience を発表した。

 その当時のチェコスロヴァキアは、1968年にアレクサンデル・ドゥプチェク第一書記の推し進めた政治的・経済的自由化の改革がソビエト連邦とワルシャワ条約機構の軍事介入(いわゆる「プラハの春」)で失敗に終わり、改革派の一人だった後任のグスターフ・フサーク第一書記による政治体制が自由改革の流れや反体制派を弾圧・一掃して「人間の顔をした社会主義」の時代から元の教条的で求心的な正常の共産党体制へと差し戻す「正常化」路線を強めていたときだった。ハヴェルもまた、1971年に全作品の公開と上演が禁止された(阿部2019:141)。

 大きなバックラッシュが起きたその時代に、ハヴェルは戯曲『謁見』をわずか数日で書き、地下から発表した。『謁見』では、ハヴェルの実体験が描かれている。ハヴェルは1974年、北ボヘミアはトルトノフにあるビール醸造所で9か月のあいだ働いていた(阿部2020:55)。この戯曲は発表後、国内外で大きな反響を呼び、ハヴェルの書いた作品のなかでは、最も多くの言語に翻訳され、最も多くの回数が上演されている。

  では、その『謁見』のあらすじを確認しよう。

 
 一幕から成るこの戯曲の登場人物は、ハヴェル自身を彷彿とさせる劇作の仕事を干されたインテリ作家フェルディナント・ヴァニェクとビール醸造所の醸造長の、たった2人。シーンは、ヴァニェクが醸造長の事務室を訪れるところから始まる。お酒が飲めないヴァニェクにビールを時折勧めながら、日常のたわいもないことをあれこれと質問する醸造長。事あるごとにビールを飲んでは、酷く酔っている。ヴァニェクはなんで呼び出されたのかわからないまま、自分の上司に当たり障りのない言葉を返す。そのうちに、醸造長がヴァニェクを呼び出した目的が、自分よりも上の立場から監視している「奴ら」(=秘密警察)にあげるための秘密報告書を、ヴァニェク自身に書かせるためであることがわかる。秘密報告書に何をどう書いたらいいかで途方に暮れる地方ビール醸造所の醸造長と、暖かい場所での仕事と引き換えに今後や命に係わるその秘密報告書を自分で書くよう押し付けられる末端のヴァニェク。共に、望まない嫌な状況に直面している。信条を理由に醸造長の要求を断るヴァニェク。すると、醸造長は積もりに積もった社会への鬱憤を爆発させ、ヴァニェクにぶつける。そのときヴァニェクは、醸造長が苦悶し、同じ立場であることを知る。挙句、酔い潰れた醸造長。用を足すために場をいったん離れるヴァニェク。ヴァニェクが再び戻ると、まるで今やって来たかのようにヴァニェクをもてなす醸造長。醸造長が「で? 調子は?」と訊くと、ヴァニェクはジョッキに注がれたビールを一気に飲み干し、「何もかもクソくらえだ」とこたえる――。


 なんとも不条理極まりないシチュエーションが描かれた戯曲である。この戯曲をゴフマンの相互行為論から考えてみたい。「実際の戯曲ドラマをドラマトゥルギーの観点から分析する」というと読み手のなかには奇妙な感じを抱くかもしれない。が、ドラマトゥルギーが演劇から来ていることを踏まえれば、むしろ方法論として有効であると言える。

 そこで分析を試みる。

 『謁見』での表舞台は、実際の社会である。ヴァニェクも醸造長も本音や本心を自分の裏舞台に隠している。ヴァニェクが訪れる醸造長の事務所は、これからもう一つの裏舞台となる場である。見方によっては、それは心理療法に近い。醸造長は気の難しいクライアントで、ヴァニェクは技術の定まっていないセラピスト、とでも言えるように。

 仕事やプライベートのことなどを一方的に質問しヴァニェクと距離を詰めようとするなかで、大量のビール(アルコール)でたかが外れた醸造長は、秘密警察が報告するよう求めて来ていることを当人に明かしていく。

醸造長 フェルディナント――
ヴァニェク はい?
醸造長 何が最悪かわかるか?
ヴァニェク 何です?
醸造長 毎週、奴らに何を言えばいいか悩ましいのさ――だって、俺はお前のことをまったく知らない――お前と親しくなるわけないからな――耳に入るのは――お前さんが実験室に潜りこんだとか――瓶詰係のマルシュカと町でいっしょにいるのを見たとか――メンテナンスの連中が家の暖房の修理をしたとか――他愛のないことばかり――でも、こんなこと書けるか?  だから、教えてくれ――奴らに何を言えばいいんだ?  いったい、何を?
ヴァニェク 気分を害して欲しくないんですが、そういうことには力添えできないかと――
醸造長 いや、できる。その気になりさえすればな――
ヴァニェク 私が?  どうやって?
醸造長 お前はインテリだろ?  政治にも目配りがきくだろ?  文章も書けるな?  奴らが何を知りたがっているか、お前以外に誰がわかるっていうんだ?

ハヴェル2022:219-220

 
 このやり取りから、醸造長が、ヴァニェクのほうが、インテリ連中である奴ら(=秘密警察)や為政者たちと共有している「舞台」が多いとなかば考えていることがわかる。しかし、ヴァニェクはそう考えない。ヴァニェクは、より目上の立場に居るのは自分の上司である醸造長だと考えている。にもかかわらず、その「上」であるはずの醸造長が、「下」であるはずの自分に願い乞うている。次第にヴァニェクは、醸造長が自分と類似したディスフォリア状況下に――wishが国家体制によって禁止され、上からのshouldのみに従ってcanを実行しないといけない不条理な状況下に――置かれていることを理解していく。

 しかし、本職がセラピストではないヴァニェクは、自分の信条を理由に、醸造長の要求をいつものような丁寧口調で断ってしまう。

ヴァニェク 醸造長――
醸造長 何だ?
ヴァニェク 私に配慮してくださっていることは、ほんとうに感謝しています――今日こんにち、あなたのような振る舞いをする人はなかなかいないので、ありがたく思っています――かかとに刺さったトゲを抜いてくれたようなものです。あなたがいなかったらどうすればいいか、見当もつきませんでした――倉庫での仕事は、あなたが考えている以上に、私にとって大きな安らぎになるはずです――ですが――気分を悪くしてもらいたくはないのですが――自分で自分を密告することはできません――
醸造長 密告?  ここで誰が密告の話をした?
ヴァニェク 私に害が及ぶのを恐れているのではありません――そんなことは、何ものにもできません――信条の問題です!  自分の信条から、加担できません――
醸造長 何に?  さあ、言ってみろ!  何に加担できないんだ?
ヴァニェク 自分が納得できないことにです――

ハヴェル2022:222

 
 それまでは醸造長の質問を受け身でのんだりかわしたりしていたヴァニェクが、「書くこと」を拒否し、初めて建前の返事ではない本音を、それまでの舞台上の(二者間の)約束を無視して、ぶつけた。ただ一つ、「自分に正直に生きること」(「真実の生」)を理由に。*1

 しかし、それが醸造長の逆鱗に触れることになる。約束を反故にされたかっこうの醸造長は、ヴァニェクや一般の人民、社会に対する鬱憤をぶつけ始める。このとき、醸造長の事務所の空間は、二人にとっての「もう一つの裏舞台」と完全になった。上下関係に基づく「ビール醸造所の舞台」(「対立舞台」)から、同じような不条理な状況下に置かれた、二人だけの「力のない人民の舞台●●●●●●●●●」に。

 二人に共通の敵は、行政府であり、独裁体制を敷く国家であり、それに服従している人びとであり、その人びとがつくる社会である。その現実を知っている。その「ポスト全体主義」に自分たちも巻き込まれてしまっている。だからこそ、ヴァニェクも醸造長もなんとかその状況から脱しようと試みる。が、うまくいかない。

 散々罵り、咽び泣いたあと、酔いが回った醸造長は、潰れて、その場に寝てしまう。ここで注目したいセリフがある。「そんな暗い顔しないで/悲しそうにすんなよ」(A) nebuďte smutnej というセリフだ。このセリフは、それまで醸造長が時折ヴァニェクに言っていた言葉である。その言葉を、ヴァニェクは酔い潰れて眠っている醸造長に吐き棄てる。

ヴァニェク 暗い顔しないで――
〔ヴァニェクは部屋を出る。すぐに、ノックの音が響く。醸造長はすぐに目を覚ます。しばし寝て、すっかり元気になり、それまでの出来事をすべて忘れてしまったかのように、冒頭と同じように振る舞い始める〕
醸造長 どうぞ――
〔部屋にヴァニェクが入り、チャックをあげる〕
    ああ、ヴァニェク君か! さあ、中に! ここに坐って!
〔ヴァニェクは腰掛ける〕
    ビールは?
〔ヴァニェクは頷く。醸造長はケースからビールを一本取り出して、栓を開け、二つのグラスに注ぎ、一つをヴァニェクの前に出す。ヴァニェクは一気に飲み干す〕
    で? 調子は?
ヴァニェク 何もかもクソくらえだ――

                                幕。

ハヴェル2022:226-227


 最後、オチとして使われた「何もかもクソくらえだ」Je to všechno na hovno というセリフもまた、醸造長が二度、本音として漏らしていた言葉である。*2

 この「何もかもクソくらえだ」には、〈われわれ〉が絶望的な状況に悲観しているその事実確認というよりも、どうしようもない現実に直面したヴァニェクや醸造長、観客、作者であるハヴェルが、共通して見出し得る舞台「サードプレイス」への移行可能性が込められているように思われる。

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 本記事では、戯曲『謁見』の梗概を確認し、早急に、かつ粗雑にだったが、そこにいくつかの「相互行為」をみた。

 ハヴェルの作品にみられるように、いわゆる「不条理演劇」に描かれているのは、その形式がカミュやサルトルのように古典的であれ、イヨネスコやベケットのようにアンチテアトル的であれ、別役のようにコント的であれ、まさに表舞台である近現代的な法の下では「真実の生」を生きられない「不条理な」人びと、あるいはその表舞台から人々が排除される過程ではないだろうか。

 ヴァーツラフ・ハヴェルの戯曲『謁見』Audience は、不条理な表舞台=「現実」に苦しむ観察者舞台――Audience――に、演技をし続けなければならない状況下で「真実の生」を生きるとは何かという実に重い問いを、その軽快なコントを通じて、今もなお投げ掛け続けている。


【註釈】
*1  ハヴェル作品における「書くこと」に注目した豊島2024は、「書くこと」をめぐるやり取りがヴァニェクと醸造長の対立の要因(本稿における「ビール醸造所の舞台」)であり、ヴァニェクは権力側に取り込まれる形で自分の物語を「書く」ことを拒否したと分析している。
*2  作品内のチェコ言語使用を分析した倉光2006の指摘に拠れば、醸造長が酔い潰れる前までは、醸造長が一般口語的で割とラフな口調であるのに対し、ヴァニェクは共通語的で畏まった表現を使っていたが、そのコードがヴァニェクのなかで終盤のシーン付近でスイッチングした。

【参照文献】
●阿部 賢一 2020『NHK 100分de名著 2020年2月:ヴァーツラフ・ハヴェル『力なき者たちの力』』NHK出版.
●CAMUS, Albert. 2006. [Appendice] PRÉFACE À L’ÉDITION UNIVERSITAIRE AMÉRICAINE, Œuvres complètes Ⅰ 1931-1944, coll. « Bibliothèque de la Pléiade », Paris : Éditions Gallimard., pp.215-216. ; p.215.
●倉光 雅己 2006「ハヴェルの自伝的戯曲における言語的特徴」創価大学別科日本語研修課程編『創価大学別科紀要』第18号, pp.19-49.
●グルニエ, ジャン. 1990「不決断」『Xの回想』大久保 敏彦 訳, 国文社., pp.125-143; p.127.[=GRENIER, Jean. 1985[1971]. Mémoires intimes de X, Le Jas-du-Revest-Saint-Martin : Robert Morel, rééd. Montpellier : Fata Morgana.]
●ゴフマン, アーヴィング. 2023『日常生活における自己呈示』中河 伸俊, 小島 奈名子 訳, ちくま学芸文庫.
●豊島 美波 2024「ヴァーツラフ・ハヴェルの戯曲における「書くこと/署名」のモチーフ」日本スラヴ学研究会 編『スラヴ学論集』第27号, pp.51-83.
●HAVEL, Václav. 1975. Audience.
●ハヴェル, ヴァーツラフ. 2019『力なき者たちの力』阿部 賢一 訳, 人文書院.
● ──── 2022「謁見」阿部 賢一 訳,『通達/謁見』阿部 賢一, 豊島 美波 訳, 松籟社., pp.173-227.


本記事は、ある講義を受講した際に書き下ろされたものに若干の修正を加えたものです(初出は2024年7月)。



[2025.6.1]