観測者という立場の話
周りのことを観察して、測定して、推察する。
観測者という立場が日々を過ごしている。
偏りという概念だって、ネガティブだって、生きる意味の模索だって、全てにおいて観測が前提になっている気がする。
別にそれが根本にある真理であり、誰もが通る道とかではなく、あくまで個人的な問題。
観測者という生き様、そもそも認知したもので動向を判断しているから、何をやっても得た情報がベースになっていると思っているけど。
観測していこう。
これから方向性が変化していくとも思う。
しかし、それは傍から舞い込んで来た何かしらの考えに当てられることで発生した事象に過ぎない。
思考とか、意識とか、身体とか、心とか、人生とか、哲学に該当するそれらが結局のところ、突発的に口から飛び出すこともないから。
仮に爆発したとしても、それに反応して議題にするなら、そこには観測が介在すると考えている。
誰かが言っていた。
人の発言は全てが偏見に該当する。
なるほど、人が得る情報は等しくないからこそ、そして個々が持つ性質がある以上、どこかしらの偏りが生じるのは必然である。
僕の意見が真理になるなんて、元より可能性ゼロって訳だ。
さて、観測していこうか。
