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気を使ってきたのは、私だけだったのかなと思ってしまうあなたへ

大切にしていた関係ほど、分かってもらえないと苦しくなる理由

「ちょっと手伝ってくれ」

幼なじみの親友から、そう頼まれたことがありました。

彼は農業を営んでいて、ちょうど農繁期でした。
私は農業高校の出身で、農作業にはある程度慣れていました。
農繁期の農家がどれだけ人手不足になるのかも、知っていました。

本当は、私自身も激務を乗り越えたばかりで、
少しでも体を休めたかった。
自分の生活もあるし、本業に支障を出すわけにもいかない。

それでも、親友が困っていることは分かっていました。

幼稚園の頃からの付き合いです。
大変な時に、何もせずにいるのは薄情な気がしました。

だから私は、手伝うことにしました。

その日は、作業が終わったあとに、

「本当に助かった」

と言われました。

相場より少し少ないアルバイト料も受け取りました。

正直に言えば、心のどこかで、

「感謝していると言う割には、少し評価が低いんじゃないか」

と思いました。

でも、彼の表情は本当に感謝しているように見えました。
彼もきっと大変なのだろう。
幼なじみに対して、そんな細かいことを気にする自分の方が小さいのかもしれない。

そう思って、私はその違和感を飲み込みました。

けれど、それから彼は、ことあるごとに私へ手伝いを頼むようになりました。

最初はまだ、申し訳なさそうな雰囲気がありました。
でも、だんだん変わっていきました。

「ワリ、手伝って」

いつしか、依頼の言葉すら雑になっていました。

正直、断りたかったです。

自分には自分の生活がある。
本業を疎かにするわけにはいかない。
疲労も溜まっている。
休みの日くらい、本当は体を休めたい。

それでも私は、

「彼も疲れているんだ」
「農繁期だから仕方ない」
「幼なじみなんだから、少しくらい力になりたい」

と、自分に言い聞かせました。

けれど、関係は少しずつ変わっていきました。

彼は私に農作業のほとんどを任せ、現場から姿を消すようになりました。
感謝の言葉は、だんだん軽くなりました。
アルバイト料も、いつの間にか支払われなくなりました。

代わりに、昼に定食屋でBランチをご馳走してくれるだけ。

それでも私は、言えませんでした。

「これはおかしくないか」

「さすがに雑に扱われていないか」

「私は手伝っているのであって、都合よく使われるために来ているわけじゃない」

本当は、そう言いたかった。

でも、彼とは幼稚園の頃からの付き合いでした。
長い時間を一緒に過ごしてきた相手でした。
そんな関係を、自分の一言で壊したくなかった。

だから、できるだけ彼の力になろうとしました。
できるだけ波風を立てないようにしました。
できるだけ、自分の中で処理しようとしました。

けれど、ある時、私の中で何かがポキンと折れる音が聞こえました。
絶妙なバランスで積みあがっていた何かが、音を立てて崩れ落ちました。

私は彼に冷たく「もう手伝えない」と伝え、そのまま電話番号を着信拒否しました。

それで終わりでした。

幼稚園の頃から続いていた関係は、そこであっけなく途切れました。

そのあとで聞いた話があります。

彼は、私に仕事を任せて、自分は家で寝ていたそうです。

それを知った時、怒りもありました。
もちろん悔しさもありました。

でも、一番深かったのは、寂しさでした。

私は、どこで間違えたのだろう。

気の置けない関係だと思っていたのは、私だけだったのだろうか。

私は、親友を助けているつもりでした。
彼の事情を分かっているつもりでした。
彼も、私の気持ちを分かってくれていると思っていました。

でも、彼にとって私は、いつの間にか、都合よく使える人になっていたのかもしれません。

この痛みは、簡単に「我慢した自分が悪い」とは思えません。

もっと近いのは、

「どうして分かってくれなかったのか」

という寂しさでした。

苦しいのは、我慢した自分を責めているからだけではない

人間関係で本当に苦しいのは、相手のわがままそのものだけではないと思います。

もちろん、雑に扱われることはつらいです。
こちらの都合を軽く見られることも苦しいです。
感謝が薄れていくことにも、傷つきます。

でも、それ以上に苦しいのは、

「私はこんなに関係を大切にしてきたのに、どうして相手は分かってくれなかったんだろう」

という寂しさではないでしょうか。

関係を壊したくなかった。
だから言葉を選んだ。
相手の事情を考えた。
嫌なことがあっても、すぐには責めなかった。
自分の違和感より、相手との関係を優先した。

それなのに、こちらが気を使えば使うほど、相手はどんどん遠慮を失っていく。

最初は小さなお願いだったものが、いつの間にか当然になる。
最初は感謝されていたことが、いつの間にか当たり前になる。
最初は対等だったはずの関係が、いつの間にか片方だけが我慢する形になる。

そして、ある時ふと思うのです。

「気を使ってきたのは、私だけだったのかな」

この気づきは、とても苦しいです。

それは単に「相手に腹が立つ」という話ではありません。

大切にしていた関係が、自分が思っていたほど、相手にとっては対等ではなかった。
同じ温度で大切にし、大切にされていると思っていたのに、そうではなかった。

そう感じてしまうから、心が深く傷つくのだと思います。

関係を大切にしたい人ほど、痛みを言葉にできない

関係を大切にしたい人は、すぐに怒りません。

相手の言い方に引っかかっても、まず事情を考えます。

「疲れていたのかもしれない」

「悪気はないのかもしれない」

「今ここで言ったら、空気が悪くなるかもしれない」

「これくらいで嫌だと思う自分が、小さいのかもしれない」

そうやって、自分の違和感を一度飲み込みます。

もちろん、それは悪いことではありません。

人間関係には、多少の受け流しも必要です。
何でもすぐに言葉にすればいいわけでもありません。
相手の状況を想像できることは、優しさでもあります。

でも、もしその優しさがずっと一方通行になっているとしたなら、少し立ち止まった方がいいのかもしれません。

あなたが黙っていたのは、どうでもよかったからではないはずです。

本当は、関係を壊したくなかった。
相手を傷つけたくなかった。
これからも仲良くしていたかった。
大切な人だからこそ、分かってくれるはずだと思っていた。

だから強い言葉を避けた。
だから自分の中で処理しようとした。
だから、少しずつ無理を重ねてしまった。

でも、こちらとしては何度も飲み込んでいても、相手にはその痛みがまるで見えていないことがあります。

「何も言わない」

「受け入れている」

「嫌ではないのだろう」

「これくらいなら大丈夫」

そう受け取られてしまうことがあるのです。

もちろん、だからといって、あなたが悪いという話ではありません。

本当なら、大切な相手の表情や声の変化に気づこうとしてほしい。
一方的に甘える前に、相手の負担を考えてほしい。
親しい関係だからこそ、雑に扱わないでほしい。

そう思うのは自然です。

ただ、残念ながら、現実には、こちらの我慢や寂しさは、言葉にしない限り相手には伝わらないことがあります。

あなたの中では限界に近い我慢でも、相手には「何も起きていない」ように見えていたのかもしれません。

だからこそ、相手の態度は変わらない。
むしろ、どんどん遠慮がなくなっていく。
こちらが受け止めるほど、相手は「この関係ではここまでしても大丈夫」と感じてしまう。

その流れの中で、関係のバランスが少しずつ崩れていきます。

最初は対等だったはずなのに、気づけば自分だけが気を使っている。
自分だけが機嫌を読んでいる。
自分だけが傷ついた理由を飲み込んでいる。

それに気づいた時、人は怒りだけではなく、深い寂しさを感じます。

一番つらいのは、相手の態度より「分かってくれなかったこと」

相手のわがままがつらい。
雑な態度がつらい。
こちらの都合を考えてくれないことがつらい。

もちろん、それもあります。

でも本当に心に残るのは、そこだけではないと思います。

一番つらいのは、

「どうして分かってくれなかったの?」

という気持ちではないでしょうか。

自分は相手の小さな変化に気づこうとしてきた。
傷つけないように言葉を選んできた。
関係が悪くならないように、空気を読んできた。
相手の事情を想像して、飲み込んできた。

なのに、相手は自分の寂しさに気づいてくれない。

それどころか、こちらの優しさを当然のように扱った。
こちらが黙っていることに甘えた。
こちらが怒らないことを、許可のように受け取った。

その時に感じるのは、ただの怒りではありません。

「私は、この人にとって何だったんだろう」

という残念さです。

気の置けない関係だと思っていた。
安心できる相手だと思っていた。
少しくらい不器用でも、根っこの部分では分かり合えていると思っていた。

でも、もしかしたら、そう思っていたのは自分だけだったのかもしれない。

この気づきは、とても苦しいです。

傷ついたのは、相手がわがままだったからだけではありません。

あなたが大切にしていた関係を、相手は同じ温度で大切にしていなかったように感じたからです。

「気の置けない関係」と「雑に扱っていい関係」は違う

親しい関係になると、遠慮が減ることがあります。

それ自体は悪いことではありません。

気を使いすぎずに話せる。
弱い部分を見せられる。
少し不機嫌な日があっても、すぐに関係が壊れない。
完璧な自分でいなくてもいい。

そういう安心感は、関係が深まったからこそ生まれるものです。

でも、気を使わなくていい関係と、相手の心を雑に扱っていい関係は違います。

親しいから何を言ってもいいわけではありません。
近い関係だから、相手の都合を無視していいわけでもありません。
許してくれる人だから、何度も同じことで傷つけていいわけではありません。

本当に安心できる関係は、片方だけが我慢し続ける関係ではないはずです。

言いたいことを言える。
でも、相手の心を踏みにじらない。
甘えられる。
でも、相手の負担を当然にしない。
近い距離でいられる。
でも、最低限の思いやりは失わない。

それが、対等な関係なのだと思います。

もしあなたが今、

「私は気を使っているのに、相手はどんどん雑になっていく」

と感じているなら。

その違和感は、見なかったことにしなくていいです。

あなたが細かすぎるのではありません。
あなたが面倒な人なのでもありません。

あなたの心が、

「この関係は少し苦しい」

と知らせてくれているのだと思います。

必要なのは、もっと分かってもらう努力ではなく、自分を守る軸

相手に分かってほしくて、もっと丁寧に説明しようとする。

相手を怒らせないように、言い方を考える。
今度こそ気づいてくれるかもしれないと期待する。
自分さえもう少しうまく伝えられれば、関係は変わるかもしれないと思う。

でも、それを続けるほど苦しくなる関係もあります。

なぜなら、分かってもらう努力が、いつの間にか「自分を削る努力」になってしまうからです。

もちろん、話し合いは大切です。
伝えることも大切です。
相手を決めつけず、歩み寄ることも大切です。

でも、その前に必要なのは、自分が何に傷ついたのかを、自分で分かってあげることなのです。

どんな言葉がつらかったのか。
どんな態度に寂しさを感じたのか。
どこまでなら受け入れられるのか。
何をされたら、これ以上は苦しいのか。
どんな関係なら、自分は安心していられるのか。

それを自分の中で言語化することが、自分を守る軸になります。

自分軸とは、相手を突き放すためのものではありません。

自分の心を見失わないための基準です。

相手を大切にする時も、自分を完全に消さないために。
関係を続けるか考える時も、相手の機嫌だけで決めないために。
傷ついた時に、「自分が気にしすぎなのかな」と流さないために。

自分を守る軸が必要なのです。

関係を守るとは、相手の機嫌だけを守ることではありません。

自分の心も含めて、大切にすることです。

大切にしたい関係の中で、自分を置き去りにしたくない方へ

もしあなたが、関係を壊したくなくて気を使い続けてきたのに、相手に分かってもらえず、寂しさや苛立ちを抱えているなら。

必要なのは、相手にもっと分かってもらおうと自分を削ることではなく、まず自分の本音に戻ることだと思うのです。

「私は何に傷ついたのか」

「本当は何を分かってほしかったのか」

「どんな関係なら安心できるのか」

「これから何を大切にして生きたいのか」

その問いに、少しずつ戻っていくことです。

私は、有料noteで「祈り」という言葉を使っています。

でも、ここでいう祈りは、神様にお願いして、相手を変えてもらうことではありません。

自分の本音に戻ること。
ネガティブな感情を否定しないこと。
自分がどう生きたいのかという軸を決めること。
その軸が折れないように、毎日自分に言い聞かせること。

それが、私の考える祈りです。

有料noteでは、ネガティブな自分を否定せず、本当の望みを見つける方法、自分軸を立て直す「祈りの言葉」の作り方、1日3分で自分へ戻る習慣化の方法をまとめています。

関係を大切にするために、自分の心だけを犠牲にし続けたくない方は、こちらから読んでみてください。

有料noteはこちら


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