期待を背負う、から、想いを胸に。

ワンネスって、個々も根源は繋がっているってことを言うよね。
人間一人一人
みんなバラバラにここで生きているけれど、根源は一緒。

そして、ワンネスは愛そのものだって。

自分の体もワンネスかと思った。

目があって、髪の毛があって、心臓があって、足がある。それぞれまったく違う役割を持っている。でも全部合わさって、一つの体だ。

どこか一箇所が「本当の自己」なのではなく、全体が「私」を作っている。
私自身もワンネスで、愛そのもの。

あるテレビドラマを見ていて、作品というものもワンネスだと思った。

脚本家がいて、監督がいて、カメラマンがいて、照明さんがいる。
違う人生を歩んできた人たちが、それぞれの夢や想いを持ち寄っている。
そしてみんな、「今これをやりたい」という個々の想いと愛がそこにはある。
監督がいなくても困る。
アシスタントがいなくても困る。
みんなが同じことをしていては、作品にならない。

その全部が最後、役者という一人の人間を通して画面に出てくる。
役者は「自分を表現している」というより、
関わった全員の想いを通すパイプとなって表現していると思った。
背負って演じるのと、想いを胸に表現するのは、まったく違う。

俳優さんや、スポーツ選手とか、
周りの期待を「背負っている」と思われがちだ。
関わっている人や、ファンの「期待に応えなきゃ」と。

でも、背負うのではなく、関わっている人すべての想い・愛を
パイプとなって全てを表現する人なんじゃないかと。

そう思うと、その作品はワンネスになり、見ている人を愛で包み、
さらにワンネスが広がっていくのではないかと思った。

これは俳優さんや、スポーツ選手や、表舞台で活躍している人だけに言われることではなく
お母さんとか、子どもとか、社長とか、一人の人でも言えることではないかと思う。

家族も会社もチームだ。
一つのワンネスの形だと思う。

誰かの期待を背負う、責任を背負う、と考えてしまうと途端に重くなり
愛が失われるように思う。
みんなの想いを、自分が表に出す時、そこに愛が生まれる。

親の期待に応えて受験をする
と言う思考のままでは、重さで苦しくなる。
重いから、想いへ
親の期待を背負うではなく
親の期待を胸に進むと
そこには信頼と愛が生まれるように思う。

愛って突き詰めると、自他の境界が溶けるような感覚だと思う。
背負うは境界があるけど、表現するは境界がない。
その集まりがワンネスなのでは?

自分であることは、背中ではなく、ハートで感じるもの。
自分に正直であればあるほど、重いから想いへ。

誰かと同じ役割の人は必要ない。
誰かと比べる必要もない。
監督が二人いても、脚本家が二人いても、作品はちぐはぐになる。
みんなが違うからこそ、一つの作品が生まれる。
宇宙は困る。
同じピースばかりのジグソーパズルでは、何も完成しないから。

「自分でいい」は宇宙への貢献なんだと思う。

期待に応える自分
責任を背負う自分ではなく
想いを胸に
自分を存分に表現すること。
それが愛であり、生きるということなんじゃないか。

小さなワンネスが集まって、大きなワンネスへつながっていく
そんな宇宙なのかもしれない。

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