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もうひとつの文学史――朝宮運河『日本ホラー小説史』を読む

先日、自分のSubstackで朝宮運河さんの新刊『日本ホラー小説史』(平凡社新書) の英文書評を公開した。英語圏のホラー読者に向けて、いま日本のホラーに何が起きているか、その源流はどこにあるかを紹介する内容になっている。

このnote版は、Substackの記事を日本語読者向けに書き直したものだ。noteに自動翻訳機能が実装されたということで、英文をそのまま貼ってもよかったが、それもちょっと味気ない。日本のホラー読者の前提に合わせて構成を組み直し、英語圏向けには書ききれなかった論点も加えた。

2月に刊行した『男と女とチェーンソー』(晶文社)の訳を手がけられたのは僥倖というべきことだったが、同時に、欧米ではホラー映画研究の基本書とされている本書が30年以上も訳されていなかったことには驚きを禁じ得なかった。クローヴァーの豊富な脚注、また、関連で行き当たった研究書のいくつも――例えばベンショフのMonsters in the Closet: Homosexuality and the Horror Film(1997)やクリードのThe Monstrous-Feminine (1993) 、Return of the Monstrous-Feminine (2022)など――が未訳であることを知り、英語圏のホラー研究書を、研究者やマニアだけでなく、実際にホラー作品を作る現場の人々にも届けたいという気持ちを強くした。逆もまた然りで、朝宮さんの本も、世界を席巻したJホラーの成り立ちを紐解く一冊として、日本語から英語圏に渡されるべきだと強く思っている。


小島朋美。翻訳者・編集者。早稲田大学法学部卒。映画パンフレット文化の紹介と保存を目的とした自主団体「映画パンフは宇宙だ!」でZINE制作や企画を手がけるかたわら、海外ホラー映画の宣伝、パンフレット編集、インタビュー翻訳などにも携わってきました。訳書に、キャロル・J・クローヴァー『男と女とチェーンソー――現代ホラー映画におけるジェンダー』(晶文社、2026年2月)。
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80年の積層を、一冊で

朝宮運河『日本ホラー小説史』(平凡社新書、2026年1月)は、戦後80年の日本ホラー小説を、コンパクトな新書一冊で通史として描いた本である。
朝宮の中心的な主張はこんな感じだ――いま注目を集めている令和のモキュメンタリーホラーブーム(背筋、雨穴、梨ら) は突然変異的に現われたのではなく、「現代ホラーの新しい波」と朝宮が呼ぶ動きの可視的な頂点であり、その新しい波自体が、1945年から続く長い潮流の最新の一波に過ぎない。1945年が起点なのは、敗戦と検閲解除の重なりがあるため。戦時下に出版を封じられていた江戸川乱歩が、終戦と同時に「いよいよ復興だ」と編集現場に戻ってくるというエキサイティングな場面から、朝宮は話を始める。そこから1945-50年代、1950-60年代、1960-70年代、1980-90年代、長い停滞期、新しい波まで、章ごとに「大きな川」を遡上していく構成となっており、日本のホラー小説史を俯瞰することができる緻密な通史だ。鈴木光司の『リング』(1991) を含む90年代後半のJホラーブームは、その川のひとつの流域に過ぎず、現在の令和モキュメンタリーブームはその次の流域として位置づけられているのがとても興味深かった。


クローヴァー訳と並んで考えたこと

拙訳の『男と女とチェーンソー』(晶文社)が出たのが2026年2月。朝宮さんの本が出たのが2026年1月。自分が行間を彷徨いながら訳していたのとほぼ時を同じくして、朝宮さんはこれを書いていたということになる。両書には30年以上の隔たりがあるのにもかかわらず、私が朝宮本を読んだときにまず感じたのは、クローヴァーが取った方法論と驚くほど響き合っているということだった。

朝宮は怪談・オカルト・モキュメンタリーという三本の柱を立て、戦後80年の日本ホラーを通史として整理している。クローヴァーも『男と女とチェーンソー』で、スラッシャー・憑依映画・アーバノイア・視線論という四本の柱で、1960年代から1990年代までのアメリカホラーを通史として整理した。両者とも、複数のサブジャンルを並列に捉えながら時代を追う通史として書かれている。

しかも両者は、ホラーを社会現象として読んでいる点で同じベクトルを向いている。朝宮は「ホラーが様々な形に擬態しながら日本の社会に潜り込んできた」と書く。クローヴァーはあとがきで「ホラーはメインストリーム映画より先に、女性運動・公民権運動・ベトナム戦争のレトリックを取り込んできた」と書いている。「擬態」と「先取り」という語彙の違いはあれども、ホラーを社会の鏡・触媒として見る視座は深く重なっているように見える。
そして、最も衝撃を受けたのが、両国で今、モキュメンタリーが新しい合流点になっているという事実だった。日本では怪談・オカルトの系譜が、背筋・雨穴らのモキュメンタリー的作品と融合し、アメリカでもスラッシャー・憑依映画の系譜が『パラノーマル・アクティビティ』シリーズのようなファウンド・フッテージものへ連なっていった。両国で同時に、ホラーがメディアの構造そのものに擬態するようになっているのは驚くべき同時代性だ。朝宮の本を読みながら、日米のホラーが思っていた以上に深いところで応答し合っていると感じた。


モキュメンタリーは本当に新しいのか

モキュメンタリーが日米双方の合流点になっているという点について、朝宮はこの本でもっとも刺激的な投げかけを行っている。その問いはこうだ――モキュメンタリーホラーは、本当に「新しい」のか?

モキュメンタリーの形式は、案外シンプルだ。複数の文書(日記、メモ、録音、掲示板の書き込み、なんでもいい)を寄せ集めて編集したように見せかける――そして、その「編集された痕跡」に、これは本当の出来事だという錯覚を上書きする。映像でも散文でも、やっていることはだいたい同じだ。
映像であれば、真っ先に頭に浮かぶのは『食人族』(1980)だろう。焼却を命じられたフィルムが流出したという、もっともらしいふれ込みで始まるこの映画は、カニバリズムや強姦という過激な出来事を本当に起こったかのように描き、配給があえて本物のスナッフフィルム(実際の殺人を記録した映像)だと匂わせて宣伝したため、たいへんなセンセーションを巻き起こした。この「本物の」という枕詞は、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(1999)の登場をもって、ファウンド・フッテージというホラーのサブジャンルを確立する。これは朝宮が序文で展開した、日記や手紙をコラージュする『ドラキュラ』の方法論が映像メディアに翻訳されたものとして読むことができるだろう。

散文系統に目を向けてみれば、事始めとされているのが『新耳袋』(木原浩勝・中山市朗、扶桑社1990年初版、メディアファクトリーが1998年4月に『現代百物語 新耳袋・第一夜』として再刊) だ。そこから30年にわたって、ひと段落程度の短い、「本当にあった」とされる体験談を集めるムーブメントが続いてきた。朝宮は、この実話怪談の伝統に加え、小野不由美『残穢』(2012)――実在する日本のホラー評論家や雑誌を作中に登場させた小説――を、現代モキュメンタリーモードへの直接の先行者として位置づけた。そして令和のブームは、ストーカーの書簡体的本能が、40年に及ぶ日本の怪談制作の蓄積を経由して再発見され、匿名のネット掲示板書き込みを「事実」として読む世代の前に置かれたものだと解く。朝宮が小説にとどまらず、雑誌の記事や連載にまで恐怖のアンテナを張り巡らせたからこそ見えてきた、確固たるひとつの道筋である。


「ホラー」という言葉そのものについて

ここから先が、朝宮の本がもっとも重い論じ方をする領域で、読みながら何度か姿勢を正した。

「ホラー」という語は、今ではそのジャンルのファンならずとも知っている言葉だろうが、元である英語の "horror" がカタカナ化して日本のジャンル名として定着するのが1980年代以降のことだというのは、あまりにも意外だった。それ以前の日本語にはこの単語に対応する一般的なジャンル呼称が存在せず、朝宮は評論家の中島河太郎の整理をなぞりながら、1980年以前の日本のジャンル呼称を、「怪談」「怪奇小説」「恐怖小説」「怪奇幻想」の4つに分類する。ホラーという語は、戦後半ばまでの日本の出版界にとっては、輸入されてさえいなかった概念だったということになる。

このことは、英語圏が日本ホラーを語る言葉にも影響を与えている。ラフカディオ・ハーンの『怪談』(1904) 以来、英語圏は「日本=怪談の国」というイメージを固定させてきた。だが朝宮は東雅夫の論を引きながら、「怪談」と「ホラー」が指す射程は大きく異なると指摘する。「怪談」が中心に据えるのは幽霊、祟り、死者の残留であり、その語りはしばしば疑似事実的な形式を取る。一方で英語圏の「ホラー」は、科学の破綻、肉体の変容、宇宙的恐怖、狂気までを含むが、原則として虚構の枠を出ない。つまり、英語圏が「日本ホラー」と呼ぶときに想定しているものは、日本の作家たちが実際に書いてきたものの一部しか拾えていない可能性が高い。

これは、いま私たちが当然のように使っているジャンルの境界線が、自然に存在していたものではなかったことを意味している。歴史的に構築され、しかも一定の偏りを持っている――それが朝宮の主張だ。

そして朝宮はさらに踏み込む――ジャンル境界は政治でもある、と。戦時下、日本のホラーは実質的に封殺されていた。横溝正史『本陣殺人事件』は連載開始が1946年4月まで遅れ、江戸川乱歩『芋虫』(1929) は戦時中、再録を禁じられた。当時の検閲側の言葉として中島が引いているのは、「市民同士の殺し合いを描く文章は国内の動揺を煽り、現状にふさわしくない」というものだ。日本のホラーは、それを規律してきた政治の歴史と切り離して語ることはできないと朝宮は言う。


英語圏の読者に、いちばん驚かれたこと

日本語読者には自明でも、英語圏読者にとっては衝撃的な事実――それが朝宮の本にはいくつも書かれている。Substack版の書評で、英語圏読者向けに特に強調したのは、「日本では、ホラー作家を文学的に認知させる戦いを、ほぼやらずに済んだ」という点だ。

スティーヴン・キングがスーパーマーケットのペーパーバック作家から、全米図書財団の卓越貢献賞 (2003) を受けるまでに何十年もかかったこと――それこそが「ホラーが文学に認められる」アメリカンドリームである。日本では1910年代の時点で、文学的本流が既にホラーに開かれていた。日本最高峰の文学賞として名を残す芥川龍之介は、輸入怪奇小説の熱心な読者で、『妖婆』(1919) などにその影響がはっきり出ている。谷崎潤一郎は大正期にモダニズム的怪奇小説『金色の死』(1914)、『人面疽』(1918)を書きながら、日本の代表的小説家としての地位を失うことはなかった。英語圏では『沈黙』の作家として知られる遠藤周作も、自身の実体験に基づく怪談集『蜘蛛』(1959) を出している。映像はまた違う世界だろうが、イギリスの映画監督マイケル・パウエルが、『血を吸うカメラ』(1960)というたった一本のホラー映画を撮ったばかりに、その地位を失墜させたのとは雲泥の差がある。

英語圏向けに書きながら自分でもいちばん驚いたのが、香山滋だった。1947年に推理作家クラブの第一回新人賞を『海鰻荘奇談』で取り、『オラン・ペンデックの復讐』(1947)、『怪異馬霊教』(1948) と怪奇小説を量産していたこの作家は、1954年の映画『ゴジラ』の原作者。日本ホラーで最も世界に輸出されたイメージである怪獣ゴジラの源流に、戦後直後の怪奇小説の文脈があったということだ。

朝宮はこの事実を派手に強調はしていない。それでも、東宝の怪獣産業と日本の文学的ホラーが人材を共有していたというのは目から鱗の発見をした思いだった。

そしてその人材ネットワークは、特撮テレビにまで広がる。1963年に恐怖文学セミナーを平井呈一、紀田順一郎、桂千穂と共同で立ち上げた大伴昌司は、『ウルトラマン』(1966-67) の脚本家になった。『ウルトラQ』(1966) のクレジットには、筒井康隆、眉村卓、半村良、豊田有恒 — 日本SFの第一世代がほぼそろって並んでいる。そのうちの何人かは、パルプ雑誌でホラーを書いていた人々だった。


翻訳者が、ジャンルを作った

朝宮がこの本で繰り返し戻っていく一人の人物がいる。翻訳者である。より正確には、自分の手で原文のページをめくり、自費で同人誌を出し、次の世代に託していった翻訳者・批評家たちだ。その中心人物が平井呈一(1902年生まれ)である。

平井は永井荷風の弟子だったが、1937年に荷風の原稿と署名を偽造していたことが発覚し、関係は決裂する。1963年、平井は荷風にもう一度会おうと訪ねるが、玄関先で断られてしまう。朝宮はこの破綻について何ページもかけ、深い愛着と哀しさをもって書いている。私にはこの部分が、本書の隠れた一本の柱に見えた――平井という人物像の輪郭を、朝宮は静かに描こうとしている。難しく、執着的で、社会的礼節の中には収まらないテキスト群への献身を持つ人。

平井の翻訳者としての仕事は戦後に再開し、1950年代後半に最盛期を迎える。1958-59年、東京創元社『世界恐怖小説全集』(全12巻)を編集主幹として企画――ル・ファニュ、ブラックウッド、ラヴクラフト、マッケンらを、日本に体系的に紹介した最初の試みである。そして1963年に紀田順一郎を中心に発足した恐怖文学セミナーに合流する形で、平井は翌1964年、同会誌『THE HORROR』の創刊を担う。20ページの薄い雑誌で、購読者は10〜20名、平井が自費で資金を出し、1965年3月の13号まで続いたという。

英語版でもこの一節はとりわけ強調して書いた、というか、書かずにはいられなかった。ひとりの執念深い翻訳者と、机を囲む4人、購読者20人と、13号で、戦後日本ホラーの制度的インフラが敷かれた。これをエポックメイキングな出来事と言わずにはいられないだろう。のちに荒俣宏がこの系譜に加わり、平井の通信教育的な弟子として、輸入の仕事を1970年代に拡張していく。紀田順一郎と荒俣の共同編集による『幻想と怪奇』(三崎書房、1973年4月創刊)、両者が監修した『世界幻想文学大系』(国書刊行会、1975-84、全45巻)。平井がル・ファニュやマッケンといった英国怪奇文学の根幹を日本に届けた仕事を、荒俣はラヴクラフトやダンセイニにまで押し広げていった。

たぶん、朝宮が見せようとしている景色のひとつは、ここにあるのだと思う。ジャンルというのは、発見されるものではない。それを導入し、編纂し、翻訳し、編集し、さらに編み直し、次の世代に継いでいくことを選んだ人々によって、作られていく。これは表立っては書かれていないが、全章を通して見えている、本書のメタ論点だと私は読んだ。


まだ届いていない作家たち

これだけの厚みを持つ伝統が、英語圏にはほぼ届いていないのはあまりにも惜しい。英語圏にも谷崎ファンはいるが、その怪奇小説『金色の死』『人面疽』は知らないだろう。香山滋の怪奇短編、中井英夫『虚無への供物』(1964)、『幻想博物館』(1972)からの『トランプ譚』四部作――このいずれにも英訳はない。澁澤龍彥が編集人を務め1968年に創刊した「血と薔薇」、その周辺にいた種村季弘、中井英夫、これらの「異端文学」の系譜は、海の外へは届いていない。

そして山尾悠子。『夢の棲む街』(1978)で戦後日本のもっとも独特な幻想作家の一人とされ、長い沈黙の後、1999年にふたたび筆を執って『ラピスラズリ』(2003)を発表し、いまも書き続けている作家。英訳されているのは「遠近法」(1982)という一篇のみ、ジニー・タプリー・タケモリ訳『Speculative Japan 2』(Kurodahan Press、2011)所収だけだ。これが英語で読める山尾悠子のすべてである

書評の英語版に、次のような一文を書いた――荒俣宏は世界の怪奇文学を日本に翻訳した。一方で澁澤、種村、中井、山尾は、世界の怪奇文学的なるものに向けて日本側から書いて出ていた――しかし英語圏は、まだその彼らを読み返してくれていない


紀田順一郎さんへの献辞、そして「もうひとつの文学史」

朝宮の本は、ある献辞をもって閉じられる。本書を執筆中に、紀田順一郎――平井呈一の協働者、荒俣宏の師、恐怖文学セミナーの創設メンバー――が亡くなったのだという。朝宮は「あとがき」を、京都の学生時代、紀田が中島河太郎と共同編集したアンソロジー(現代教養文庫『日本怪奇小説傑作集』全3巻だと思われる)を初めて手に取った瞬間の回想から始める。そして、そのなかに自分が存在を知らなかった「もうひとつの文学史」があったと書く。一晩に一篇か二篇のペースで読んだ、あの夜の読書の喜びを、自分は忘れたことがない、と。さまざまな文化的ベクトルから恐怖を抽出して80年を俯瞰した一大プロジェクトが、読むことの喜びを伝える個人的な原風景で閉じられるのは、なんとも胸熱である。


結びに

ここまで書いてみて、改めて本書は英訳されてしかるべきだと感じている。「あちら側」では、いまもJホラーへの好奇心は高まっている。背筋氏の本が相当の部数売れ、映像化されていることを、英語圏のホラー読者・批評者は興味深く見つめている。けれど、その背筋氏に至るまでの80年、平井から朝宮へと続く、翻訳者・編集者・批評家の鎖については、ほとんど何も知られていない。

朝宮さんの『日本ホラー小説史』を翻訳することは、英語圏の読者を、この鎖の中に引き込むことだ。あちら側にだって、(クローヴァーが論じた)ファイナル・ガールだけでなく、幽霊も魔女も、編集者も読者たちもいると、私はSubstack版の最後に書いた。このnoteも同じようにして締めくくろうと思う。


▼Substack原文(英語)

▼『男と女とチェーンソー──現代ホラー映画におけるジェンダー』(晶文社、2026年2月)

▼5/30 刊行記念トークイベント@下北沢 本屋B&B(配信・見逃し視聴あり)


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