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ありのままの自分を愛するには、視点を変えるだけ

今年もフェイジョアの花が咲き始めました。食べられるエディブルフラワーと聞いて昨年試しに食べてみましたが、ほんのりと甘かったです。

最近パーマ大佐の「ミュージシャンの○○っぽいシリーズ」にハマってます。

なるほど確かにこんな特徴がある!って感心しちゃいます。「これはミセスの曲」とか「これバクナン」って言われても気づかなそう、笑。

最近人気のアーティストの曲を聴いていると「ありのままの自分を愛しましょう」的なメッセージを当たり前のように耳にします。

ちょっと前だったら「そんなことを言っていたら、人は現状に満足してしまって成長しない」という価値観の人が多かった気がするけど、
今ではありのままの自分を全部愛することが、健全な精神を保つためにとても大事なんだってみんなが気づくようになって、いい時代になったなと思います。

といっても、実際に自分をありのまま全部愛するって、人によっては至難の業に感じられるかもしれません。

私もそうでした。
古い価値観の中で育ったせいもあってか、油断するとついつい、こんな自分はダメだ、嫌いだ、と自己嫌悪の感情がわいてきてしまう。
とくに、泣き言言ったり、怒ったり、不安になったりしてしまうネガティブな自分のことはなかなか好きになれない。
・・・そう思ってずっと葛藤していたんです。
でも、最近「それって自分のカン違いだった」と思うようになりました。

というのも、今までの記事でも説明してきたように、私たちの意識には、
思考や感情などのマインドの部分と、
真我・神我、魂などともいわれるスピリットの部分が存在しています。

マインドの部分は偽物の自分で、スピリットが本物の自分だとも言うし、
マインドが「人間の自分」、スピリットの部分が「神的な自分」と言われることもあります。
その二つの意識は違うわけです。

どんなに自分はダメだ、嫌いだ、って思っていたとしても、それはマインドの中だけの話。
スピリットのほうは、そんな自分を、いついかなるときも、必ず愛100%で、慈しみ、見守っています。
そういう意味では、誰もが自分のことをちゃんと、ありのまま全部愛しているんですよね。

「人間の私」がどんなに自分のことが大っ嫌いなときでも、「神的な私」にはそんな気持ちは1ミリも1ミクロンも1ナノもなく、自分のことを愛と慈しみでしか見てないわけです。

だから、ありのままの自分を愛することが、「人間の自分」にはできなくてもいい。
ただその「神的な自分」の視点に気づくだけでいいんです。

もちろん「神的な自分」は自分だけでなく、自分を取り巻くすべてのものに対しても愛を感じています。
だから神的視点に気づくだけで、無限に愛を広げることもできるんですね。

「人間の私」は、つらいときも落ち込むときもあるし、過去を後悔したり、これからが不安でどうしようもないときもある。悲しいとき、悔しいとき、イライラするとき、自分を責めたり卑下するとき、誰かを非難したくなるとき、憤るとき、嫉妬するときも・・・・・・。
ポジティブになりたいのに、とにかくあらゆるネガティブ感情が出てきて、自己嫌悪になってしまう癖はなかなか抜けません。

だけどどれだけネガティブになり、自分が嫌いになっても、「神的な私」は、それを否定せずに、愛情100%で受け止めてくれている。
さらに言えば、どんな私のことも許してるし、完璧だと思っている。

このことに気づくと、「あんなに自分を愛せない、愛せないって言ってたのは何だったの」ってくらい、あっさりと自己愛の感覚がわかります。
そして、「なんだ、ネガティブでも大丈夫なんだ、ありのままの自分でいいんだ」って思えるんです。

ちょっと前にうまくいかないことがあって、つらくてどうしようもなく落ち込んだ時があったのですが、こんなふうに神的な自分の視点に気づけたことで立ち直ることができました。

以前、「本物のスピリチュアルって現実を思い通りにするためにあるんじゃない」って話を何度か載せていましたが、
スピリチュアルには、それよりもむしろ、
どれだけ思い通りにならない現実に打ちのめされたとしても、自分で自分を救える」という面でとても大きな意義があるんだ、と思います。








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リュウメイ | 書籍編集者、ライター、翻訳者、児童英語講師。くらしたのしむくらぶ 読んでいただきありがとうございます!このnoteではより良い人生を歩むために欠かせないと思うことを全部制限なしで公開しています。参考になったこと、心に響いたことがあればチップで表現していただければとても嬉しいです(^^)