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良い子でいたら幸せになれるんじゃなかったのかよ

白瀬世奈さんの
良い子でいたら幸せになれんじゃなかったのかよ
を読みました。

SNSでこの本のタイトルを見た時
「わたしと同じ人がいる」と即思いました。

わたしもずっとそう思って生きてきたし、
今もまだ少し思っています。
30歳を過ぎた頃からは、
俯瞰して騙された!やられた!という気持ちが
1番近いです。そういう意味で、まだ少しそう思ってる、です。

この本の感想を書こうと思っても
書きたいことが多過ぎて、どこから書けばいいか、
どこに向かっていけばいいか、構成がまとまりませんが、
感想と私自身の経験、共感した部分をシェアすることにします。

わたしも、小さい頃から
「良い子」でいることを強要されて生きてきました。
良い子=大人にとって都合のいい子です。

親や祖父母の言うことが全て正しい、
大人の言うことが全て正しい、
大人の迷惑にならない子でいること、
成績優秀、品行方正の優等生でいることを
常に求められて完璧主義の超優等生で子ども時代を過ごしました。

全然目立ちたがり屋じゃないのに
学級委員や生徒会役員、班長、リーダー
肩書きの付くものは全て立候補すること、
読書感想文、書道コンテスト、、、
苦手な運動以外で賞は総なめ。
そうでいなきゃ、生きていられない環境でした。
(そうあることを求めるくせに、近所では
うちの子、ほんと目立ちたがりで恥ずかしいと言う)

皆勤賞は信頼の証
(将来大人になったら
健康でちゃんと毎日出勤できる人間の証)と言われたし、
通知表の空欄がないように
常に何か結果を出しなさい、
漢検、英検は常に受験して
内申書を埋めれるように…

ボランティア活動も積極的に参加、
もう超優等生模範学生時代を生きました。

それでも親に褒めてもらえたことは
1度もなく、「当たり前です」と言われてきたので
ずーっとずっと青天井の上を仰いで追いかけて生きていました。

学業優先だったけど
世間体的に?一応習い事もさせてもらいました。
母が譲らなかったピアノを習うことが条件で
自分の好きな習い事もさせてもらえました。
でも、大嫌いなピアノだけがいつも辞めさせてもらえず。
そんな小さな戦いもありました。

わたしの大好きな習い事(バレエ)は
いつも早く辞めて欲しいという対象にされ
それを分かって居たから、
スカラシップ(奨学金返還不要の留学制度)を取るために
かなり奮闘し、やっとの思いで手にしたのに
「義務教育が終わっていないから行かせられない」と
至極真っ当そうな理由で
最終的に両親がお断りしました。
11歳の時、ロシアへの夢の切符でした。

中学に入ると、高校受験という
親にとっては娘の人生最初の運命の分かれ道がありました。
(娘をピカピカに育てることが自己実現)

地元の中学は、偏差値も低く、
素行不良が多いせいで、部活動参加が強制でした。
=バレエを続けることができない状況に。

好きなことは奪われ、やりたくもないことを
強制的にやらせれるという地獄のような3年間を過ごしました。
しかも、部員の9割が不良で、不登校なのに
試合にはスタメンで出場するという理不尽❤︎
わたしは3年間毎日朝練と午後練をして、
長期休みも返上で練習に参加していたのに
試合には出れないという嘘みたいな3年間でした。

だったら、バレエを同じ時間やっていたかった。
けど、高校受験に必要なのはバレエの技術ではなく
中学校の成績。親からしたら、とにかく完璧優等生を続けてもらわなければ困る、という感じだったと思います。

両親、先生、、、周りの大人を喜ばせることばかり
積極的にやっていました。
たとえ試合に出れなくても、3年間所属することに意味があると言われた。
有難いことに、練習には来ない不良たちは
体格も良く運動神経が良かったので地区大会優勝という
タイトルを取ってくれたおかげで、出場して居ないのに通知表には
「3年間○○部に所属 3年間地区大会優勝、県大会出場」と
立派なタイトルだけいただけて、
ますますピカピカの内心書に仕上がりました。

でも、わたしの心は何一つ晴れやかではなかった。

高校に行けばこんな仲間たちとは離れられるし、
やっと自由が得られると信じていました。
そう、この時からずーっと
「幸せの先送り」がモットーに。

高校生になったら、校則の緩い学校がいい、
もう髪型や、スカートの丈、ごちゃごちゃ言われたくないし
わたしだって好きなことを好きなようにやりたい。

そう思っていたので、
偏差値60くらいで校則の緩い学校を第一志望にしていました。
(模試の判定もA)

が!しかし!最終面談で母が突然
先生に伺ったのは、地元で有名な
名門女子校でした。

「狙えるならそっちに行かせたいのが本音です」と言い出したw

結局、あもすもなく丸め込まれて、
わたしは地元の名門女子校に入学しました。
中学校としても、偏差値60くらいの高校に行かれるよりも
地元で名のある高校に進んでもらった方が世間体がいい。
また地獄のガチガチ校則に縛られる日々。
育ちの良い、恵まれた生まれの子だらけの中で
「良い子」のハードルはどんどん上がっていった。

案の定、そこで上位に食い込むなんて全然無理です。
なんと言っても、学力や生活態度に加えて
親の資金援助が反映されるのでwww

それでも、親からは成績優秀を望まれたし、
資金という下駄がないと厳しい局面では
我が家にはそんな資金はないのが事実でも
「気のせい、お金で解決できるはずないから、頑張るしかない」と
根性論で返されました。

学校では
「えー追試の日、ハワイ行くから無理」というようなやりとりばかり。
ハワイに行って追試を受けなくても落第しないのは多額の寄付です。

高校受験が終わった日から
一度も開放感はなく、意思を持たないまま進んでいく未来が怖かった。
良い子でいたから、スムーズに進んでしまっていた。

大学受験でなんとか、自分の人生の舵を取り返したい、と
思っていたけれど、結局、偉大な学校名を手放させてはもらえなかった。
せっかくこの高校にいるのに何故わざわざ危険を犯すの?と
周りの大人たちはみんな言いました。

希望する学部があるのに、わざわざ外部受験するのは
許さないというのが両親の希望でした。

結局、先生たちも狭き門だけど
希望する学部に入れそうだから、そのまま併設校に進学することを
強く勧められ、外部受験の道は閉ざされました。

大学に進み、ここでも超優等生レールを邁進。
単純に好きなことだけを勉強する大学を楽しんでいたのもあったけど
こんなにもみんなが学校をさぼるなんて思いもしなかった、というのが
正直な感想でした。

支払った学費分以上の勉強をしました。
あんなにバレエ留学を否定していたのに
語学留学は強く勧められ、語学留学もしました。
(楽しくなかった訳ではないけど複雑な気持ち)

またピカピカな優等生です。
その裏で苦学生のようにバイトもしました。
お金持ちの同級生たちと同じ生活水準に揃えるために
1人必死にバイトをしてクタクタでした。

同級生と自分を比べると
同じ1日24時間なのにわたしだけみんなの3人分くらい生きていた感覚。

大学4年間の途中で、心理学に目覚め、
大学院進学も視野に入れましたが
当然両親の考えは4年で卒業、公務員になりなさい、でした。
何がなんでも公務員が1番いいというのが両親の考えで
口を開けば公務員、でした。

「あなたの人生が安心で安全で豊かになる」
これ以外にはない、という教えでした。

大学も、教員の就職率が欲しくて
公務員を激推ししてきました。

大人の都合のいい子でいることを
ずーっと叩き込まれてきて、そうやって生きてきた私は、
両親、祖父母、学校関係者の大人たちの言いなりで大学院への進学も静かに選択肢から外されていたことにも気付かぬまま社会人になりました。

バレエが大好きで頑張っていた時も
「バレエで食べていくことは厳しいから勉強は1番でいなきゃダメ」
「勉強が1番ならバレエ続けても良い、成績落ちたら辞めてもらいます」
「勉強が出来て、先生から褒められて、内申書に書くことが沢山あれば、絶対に幸せな人生になるから」
「今、少し我慢するだけ、大人になったら好きなことなんでもしたらいいから」
「好きなことするにもお金がないと出来ないから。だから、公務員になってお金の心配ない職に就くことが1番大事なの」
「公務員になったら、なんでも好きな事できる」
中学校の時も
「部活は理不尽で変だけど、いいの。とにかく3年間耐えていれば、たった3年じゃない、あなたバレエはもう10年以上やってるのよ、そう考えたらたいしたことないでしょ」
「高校に行けば、同じくらいの成績の子達しかいないから、今みたいに、学校を休んで夕方にバイクで校庭荒らすような人たちとはもう関わらなくてよくなるから、いまだけだから、もう少しだから我慢しなさい」
「ここで我慢したらあとは全部好きなように決められる人生なんだよ」
高校大学の時も
「この学校は就職率もトップクラスだし、ここにいれば間違いない」
(就職率がいいのは、学校の歴史もそうだけど、親が大企業を含む経営者だからです)
「社会に出ればそんなこと沢山ある。その練習だから」
「いま、我慢するだけ。今、我慢すれば大人になれば幸せで、好きなことをなんでもできる」とみんなから言われて理想を押しつけられました。

子どもの頃って、大人の言うことが絶対で、
本当と思うしかないことが多いです。

何かを選択する時も
最初は「あなたが好きな方にしなさい」風ですが、
いざ選ぶと、「本当にそっちでいいの?
こっちのがいいんじゃない?」だし、
「お母さんは絶対こっちがいいと思うよ」
「金払ってるのは俺だ」です、。

ずっとずっと「幸せの先送り」をして
「良い子」でいたから
身内以外の大人みんなにすごいねって言われるし、
学歴や経験を話すと称賛されるし、
身近な大人たちがいいとする道へスムーズに進んでいけたけど
わたしは自分の居場所がここで合ってるのかわからないし、
全然納得出来てないし、嬉しかったことも1つもない。
志望校に合格しても、全然嬉しくなかった。
おめでとうって言われるのが気持ち悪かった。
ずっと不安だった。

大人になっても幸せを待ちながら
「良い子の延長で良い人」でい続けたら、知らぬ間に
「どうでもいい人」「都合の良い人」になっていた。

良い子でいることと同時に
植え付けられたのは
「ありがたがられること=搾取されること」を
積極的にやりなさいという教えでした。

頼まれたら断るな、なんでもやれる人になった方がいい。
出来ることが多いことは素敵でしょ?

…素敵なことだけど、
それは同時に何でも頼めて、あいつにやらせればいい!となります。
確実に。

でも、それが良いこととずっと教えられてきたので
ずっと笑顔で断らず、なんでもやってきました。
良いことをすれば幸せになれるから。

気付けば、搾取され放題人生でした。
社会人生活だけでなく、思い返せば、
学生時代も、大人にとって都合の良い子で
わたしの大切な時間や経験は搾取されていました。

見事に、メンタルブレイクをしました。
白瀬さんと同じ30歳頃です。

だって、誰よりも頑張ってるのに
全然幸せになれない!
給料が上がるどころか、タダ働きばかりが増えて、
みんなに重宝されて、1人だけ超多忙。
気付けば、あっという間に一人ぼっち。

恋愛や結婚についても、学生時代から
「良い学校を出て、公務員になって、お仕事頑張って、
好きなことして普通にしてれば、良い人が現れるから」
「だから今は、勉強を頑張って!恋愛なんて大人になってから
どれだけでも出来る」
「でも、良い学校を出て、公務員になれないと、もし良い人がいても
学歴がイマイチって言われて縁を逃すかもしれないよ」
と半ば脅しのようなやり方で洗脳されてきました。

でもね?恋愛も筋肉だから10代の時に恋愛してないのに
20代で急に恋愛はできないです。そういうもんです。
20代で10代にやり残した恋愛を1からやろうとしても、
もう時遅しです。

20代半ばでやっと出来た彼氏に
クリスマスに彼氏とディズニー行くのが夢だった、と言ったら
「は?クリスマスにディズニー?寒くて1番混んでる時にわざわざ?」と
即却下されましたし、当然わたしには、
制服ディズニーの経験はありません。

そんなことをしてる間に、周りはどんどん結婚出産を済ませていました。
人生ゲームで言ったら、半周遅れです。

いいですか?
成績優先で学生時代に恋愛を疎かにして、
良い学校に入って、良い就職先に入れば
ちゃんと理想な恋愛の末に結婚できるなんて、嘘ですよ。
幸せは前からやってきません。
やってくるのは、経験してこなかったツケだけで、
社会人1年目には
恋愛市場は狭くなり、困難を極めるばかりです。

「幸せの先送り」はただの幻想です。
メンタルブレイクが教えてくれたことです。

苦労という名の「徳」を詰みまくれば
特大の「幸せの扉」がパカーンって開くように
幸せ人生ロードを歩けると思っていました。

辛い時、苦しい時
文字通り「これがわたしの糧になる」と
歯を食いしばって噛み潰して飲み込んで乗り越えてきました。

糧=徳
(徳って、今世で結果が出るとは限らないらしい、爆)

これがわたしの
良い子でいたら幸せになれるんじゃなかったのかよ、です。

良い子は地獄の始まりです。
親をはじめとする、大人たちからの搾取です。
搾取されることを当然にする洗脳システム。

母の好きな曲、
槇原敬之さんの「僕が一番欲しかったもの」

全部暗記できるほど聞かされました。

あなたが欲しいものは、みんなも欲しいです、
だから簡単には手に入りません、
手に入れるために誰よりも努力しなさい、
手に入れられたら
惜しくても譲りなさい。
神様は見てるから、その良い行いを見て
もっと素敵なものをくれます。

聖人君主的な意訳で、教えられました。
純粋だったから、この曲を聞くと
本当に素敵な人はこういう人だ、と思えました。
こういう大人になろうって本気で思っていました。

大人になって聞くと、
胸が苦しくて、吐きそうになるし、過呼吸を起こす。

欲しいものは欲しいでいいし、
努力して得たなら、それを誰かに簡単に渡さずに
大事に持っているべきです。

ね?誰だって、自分の成果横取りされたら
怒るでしょ、普通。
笑顔で、どうぞ、あげます!な訳ない。

あげたら、受け取った人は
「あなたって良い人ですね」って褒め称えてくれるでしょう。
その一言で喜んでたら、ただのバカです。

わたしが「良い子」でい続けたら
幸せがやってくるのではなくて、
周りの人間から見た時に
都合の良い「良い人」でいられるだけで
報酬は壊滅的、むしろ全て、骨の髄まで奪われます。

槇原さんの歌では

結局僕は、そんなことを何度も繰り返し
最後は何もみつけられないまま
ここまで来た道を振り返ってみたら

僕のあげたもので沢山の人が嬉しそうに笑っていて
それを見た時の気持ちが僕の探していたものだとわかった

と歌っています。

が、わたしの場合は、、、
振り返ってみたら、みんなは笑っているけど
(うっかり娘自慢しちゃって凄く幸せそう)
わたしはやっぱり何も持ってなくて
心も身体も、手も空っぽだと気付きました。
完全にエンジンタンクも焼けついて灰です。(36歳今ここ)

⚠︎全てを他責にして逃げるつもりはないです。
気付かなかった自分も悪いし、チャンスをチャンスと思わなかったのも悪い、自分を大切にしなかったのも悪い。
一生懸命やってきたことは全部は消えてないと思っています。
意味なかったで終わらせる気もないです。
これを糧にして自分を幸せにしなくちゃ、と思っています。

槇原さんも薬物で表舞台から消えました。
彼の楽曲には、本当に素敵なものが多いです。
きっと、純粋で優しい素敵な人なんだと推測できます。
それが故に、搾取されたり、人一倍傷つくことが沢山あって
その逃げ場が薬物依存だったのではないか?とすら思います。
(個人の感想です)

良い子、良い人なんて糞食らえ!です。
そんなのになっちゃダメです。




















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