【教育】「理想の教員」になるな、死ぬぞ。
こんにちは、お疲れ様です。
今回は、「死なないための教員」になるという話をします。
誰かに向けて書く、というわけではないですが、
今仕事が辛いそこの先生に届くと嬉しいです。
私は、私が文字通り死ぬほど辛かったあの頃の自分に向けて書きます。
理想の教員は自分ではない
そもそも、私はこの仕事に就く人間には少なからず「理想の教師像」があると考えている。
それが漫画やアニメ、ドラマなどのフィクション由来のものか、
はたまた現実の人間(恩師、先輩など)由来のものかの違いにすぎないと思っている。
特に、教員になりたての頃というのは、その「理想の教師像」に向かって直向きに頑張る気持ちが強いだろうと思う。
それ自体はとてもいいことだし、理想をもつことは向上心につながり、ひいてはそれが資質や能力の向上に結びついていく。今でも「理想」をもって働くことは大切だし、それがなくなったら潮時かな、とも感じている。
そんな「理想の教師像」を追いかけていくうちに、2つの道に分かれていくことになる。
1つは、「理想の教師像」に自分が近づいていることを自覚し、自己肯定感を高めていく道。
そしてもう1つは、「理想の教師像」と自分の姿の乖離に気づき、絶望していく道だ。
1つ目の道を進んでいるあなたには、今回の話はあまり必要ないかもしれない。
また必要な時に思い出してください。でも最後まで読んでいってね。
そして、今現在絶望しているあなた。私の体験談を少しだけ読んでいってほしい。
「なんだよ役立たず!」となったらごめん。
まず、元も子もないことを言います。
あなたの理想の教師は、あなたではない。
それはあなたの想像であって、あなたではない。
私はサッカー観戦が好きなので、子どもたちとサッカーをする時に好きな選手のようにボールをトラップしようと頑張ってみる。
だが、全くできない(笑)。当たり前だ。向こうはプロで、こっちはサッカー経験のないただのサポーターである。
そんな当たり前のことが、なぜか「教師像」になるとすっかり忘れられて、「自分もあんなふうになりたい!」に支配されてしまうのだ。
サッカーと教師では例えが離れすぎていたり、プロと素人の違いがあると言われたりすると思う。ただ、同じサッカー選手でも、初めはフォワードを目指して始めていたのに適性の違いに気がつきディフェンダーとして華開いた選手もたくさんいる。
私の好きな、知念慶というサッカー選手がいる。
初めは鹿島アントラーズにフォワードとして加入した。しかし、鹿島にはすでに絶対的エースのフォワードがいたため、なかなかスタメンで試合に出ることは叶わず、ベンチ要員となる試合が多かった。
そんな知念は、2024年シーズンにひょんなことからポジションを変え、ボランチとして出場することになる。
そのボランチとしての活躍には目を見張るものがあり、今では鹿島の中盤では絶対的な存在となっている。
どんな業界にも、このような例を探せばごまんとあるだろう。
「理想の自分」が「現実の自分」と合致する方が珍しい。
それなのに、仕事となるとその違いが苦しいものとしてのしかかってしまう。
「理想の教師像」はあくまで「理想」であって、それが自分と合っている保証はどこにもない。
近づく努力はプラスになるが、同じになろうとする努力は必ずしもプラスに転じない。
このことを理解して、どんな道を進むか選ぶとよいと思う。
「自分が楽になる道」が理想の教師像だ
私がこの短い教員人生で、今のところ見つけた納得解がこれだ。
自分が楽になるような教員になろう。
仕事を蔑ろにする、とか
子どもたちを大事に接しない、とか
そういう話ではなく
無理なものは無理!と割り切ることを是としよう。
そういう心持ちである。
ポジションを極めた先に「理想」がある
長々と「理想の教師像」を捨てることの大切さを語ってきたが、どんなときも反対意見には代替案を出すことが大切だ。
そこで、今悩んでいる方々に勧めたいのが
「理想の教師像」を捨て、自分が輝けるポジションを見つける。
ということだ。
サッカーの例えばかりで恐縮だが、
ボールタッチやボールコントロールに卓越した選手がいれば、縦に速い推進力を武器としている選手もいる。
強いフィジカルを守備で生かす選手がいる一方で、そのフィジカルで全線を張り、点を取ることを一番の仕事としている選手もいる。
なんなら、ピッチ上で唯一、手でボールを扱うことを許された選手もいる。
一流のストライカーも、いざ試合で急にゴールキーパーを務めれば失点をするだろうし、
世界屈指のディフェンダーに年間30ゴールを求めるのも酷である。
プロサッカー選手がプロたり得る所以とは、卓越したセンスと努力に、適正ポジションを見つけていることが掛け合わさっていると考えている。
残念ながら、我々教員にはポジションを見極めてくれる監督はいない。
少なくとも、そういった管理職に出会ったことはない。
すなわち、我々は自分を俯瞰する目線と他者評価を掛け合わせて
自分の最適ポジションを見つけることを第一とすることが
プロ教員選手として生き残るための一丁目一番地なのだ。
激ムズである。偉そうに講釈を垂れておいて、できっこないと思っている。無理無理。
ということであまりよくないが、レッテル貼りという名の大雑把な分類をしてポジションを振り分けることで、私はこの難局を乗り切った。
自分はどこで最も輝くことができるのか、考えてみよう。
