長寿のトリセツ㊲【未来を脅かす病⑨】ガン——細胞の「暴走」を制御するエピジェネティック戦略
日本人2人に1人が経験する
「ガン」というテーマは、「未来を脅かす病」において最大の山場です。ガンはかつて「不治の病」や「不運な事故」と考えられてきましたが、現在では「遺伝子の働き方の乱れが蓄積した結果起こりうる、細胞の暴走」という側面からも研究されるようになってきました。
研究、論文、知見の情報量が多いため、総論で「ガンの正体」を解き明かし、各論で主要な部位別の特徴と知見を整理します。
ガンは「悪性新生物」と呼ばれ、日本人の2人に1人が生涯のうちに経験する疾患です(国立がん研究センターの推計)。私たちは日々、体の中で少なからぬ数の異常な細胞が生まれては免疫によって排除されるというプロセスを繰り返しています。このバランスが崩れ、特定の細胞が「死ぬことを忘れ、増殖し続ける」のがガンの正体です。
ガン抑制遺伝子が封印されガン遺伝子が不適切に開放される
従来、ガンは「遺伝子の突然変異(設計図の書き換え)」が主因だと考えられてきました。近年の研究では、設計図そのものは無傷でも、その「読み取り方(スイッチ)」の乱れが、ガン化のプロセスにおいて重要な役割を果たしうることが分かってきています。
なぜスイッチは狂うのか? ガンをエピジェネティクスの視点から見ていきましょう。まず、ガン抑制遺伝子の「封印」です。本来、異常な細胞を見つけて増殖を止める「ガン抑制遺伝子」が存在します。しかし、加齢や慢性炎症、不摂生によってこの遺伝子のスイッチが「メチル化(封印)」されると、細胞の増殖にブレーキがかかりにくくなる可能性があります。
次に「ガン遺伝子」の不適切な開放という問題です。胎児期など特定の時期にしか働かないはずの増殖遺伝子が、エピジェネティックな変化によって成人後に再活性化してしまうことがあります。この「スイッチのオンとオフ」の乱れが、ガンの発生と進行に関わる要因の一つと考えられています。
ガンの自滅を促す薬も開発されている
現代のガン治療は「切る(手術)」「焼く(放射線)」「毒で叩く(抗ガン剤)」の三大療法がよく知られていますが、それらに加え、新たな選択肢が広がりつつあります。
最近よく聞くのが「分子標的薬」。ガン細胞が持つ特定の「スイッチ(受容体や酵素)」を狙い撃ちし、正常細胞へのダメージを抑えることができる薬です。「免疫チェックポイント阻害薬(オプジーボなど)」も注目されています。これは、ガン細胞が免疫からの攻撃を逃れるための仕組み(免疫チェックポイント)を阻害し、自分自身の免疫力を再活性化させる薬です。この分野の基礎的発見(PD-1やCTLA-4という免疫チェックポイント分子の発見)に対して、本庶佑博士とジェームズ・アリソン博士に2018年のノーベル生理学・医学賞が授与されています。
「エピジェネティック療法」の研究も進んでいます。異常に封印されたスイッチを再び開け、ガン細胞の増殖を抑えたり、自ら死滅(アポトーシス)するように促したりする薬剤の研究が進んでいるのです。このようにガンを分子レベルの特徴で捉える治療のアプローチが広がっています。
部位別ガンの発症要因
では、主要なガンの特徴と関連する要因を見ていきましょう。ガンには部位ごとに、特有のリスク要因が存在することが分かってきました。
肺ガンは日本のガン死因第1位です。喫煙だけでなく、PM2.5やアスベストなどの環境要因も関与すると考えられています。タバコの煙に含まれる化学物質は、肺細胞のDNAメチル化パターンに影響を与えることが研究で報告されています。非喫煙者の女性に多い「腺ガン」では、特定の遺伝子変異(EGFRなど)をターゲットにした分子標的薬が効果を上げています。
大腸ガンは食生活の欧米化に伴い、増加傾向にあるガンです。関連要因として考えられるのは、高脂肪食や加工肉の過剰摂取です。腸内細菌叢を介して大腸粘膜細胞に慢性的な炎症シグナルが伝わり、「アデノーマ(ポリープ)」から「ガン」への進行に関与する可能性が指摘されています。定期的な内視鏡検査は、早期発見の重要な手段です。
胃ガンはピロリ菌の感染と関連が深いガンです。かつては日本で最も多かったガンでしたが、ピロリ菌除菌の普及で減少傾向にあります。ピロリ菌の感染は胃粘膜の遺伝子メチル化パターンに影響を与えることが研究で示されています。除菌後もリスクが完全にゼロになるわけではないため、除菌後の定期検査が重要です。
乳ガンと前立腺ガンは、性ホルモンが増殖に関わる「ホルモン依存性」のガンです。内分泌かく乱物質(環境ホルモン)や、肥満によるホルモンバランスの変化が、リスク要因として研究されています。これらは食事や体重管理といった生活習慣の改善が予防に関わりうる分野と考えられています。
ガン化のプロセスを食い止めるために、日々の生活で意識すべきポイントは3つあります。次回はそれを詳しく見ていきます。
参考文献
免疫チェックポイント阻害の発見に関するノーベル生理学・医学賞(2018年)
受賞者:本庶佑(京都大学)、James P. Allison(テキサス大学MDアンダーソンがんセンター)
内容:免疫細胞のブレーキ役となる分子(PD-1、CTLA-4)の発見と、それを阻害することでガンに対する免疫応答を高める「免疫チェックポイント阻害療法」の基礎を築いた業績に対して授与されました。
がんの罹患率(2人に1人)については国立がん研究センターの統計に基づく一般的な数値です。
