子ども心に仮病から悟ったこと
1 5歳の時の悟り
昭和30年代のお話です。
当時私は、幼稚園の年長組だったと思います。理由は思い出せないのですが、幼稚園に行きたくなくて、
「今日はきついから幼稚園行きたくないと」
駄々をこねたことがありました。
いつもの様子と違うので、両親は心配して今日は幼稚園を休むことにしてくれました。
布団に寝かせつけてくれた母は、きつそうな素振りをしている私に
「何か食べたいものはない?」
と優しく尋ねてくれました。
私は即座に
「あんパンと牛乳」
と答えました。
私は今でもそうですが、あんパンと牛乳を同時に口に含んだ時のあの味が大好きなのです。あんパンの甘いあんこが口の中で牛乳と混ざり合った時に何とも言えぬまろやかな味わいが口の中に広がるのです。(このうまさに共感してくれる人はあまりいないと思うのですが、ダメもとで書いています。)
母があんパンと牛乳を持ってきてくれた時、私は自分が仮病であったことを忘れ、夢中になってあんパンと牛乳を口に頬張りました。その時、少し離れたところに座っていた父と目が遭いました。
父の目が語っていました。
「お前、本当に病気か?」
この時私は悟りました。
一つのものを得ようとする時には、何かを手放さなければならないと…。
2 8歳の時の悟り
小学3年生の時だったと思います。
この日は本当に体調が悪くて学校を休みました。両親は仕事に出かけました。兄は学校に行きました。
体調が悪いといっても、苦しみのたうち回るほどのきつさではありませんでしたから、一人静かに家でテレビを見ながら横になっていました。
お昼近くになると、何やら怪しい雰囲気のドラマが始まりました。何気なく見ていると、(子どもの目からすると、)おじさんとおばさんが見つめ合っていて、おじさんが後ろ手にふすまを開けると、向こうには布団が敷いてあるシーンになりました。
「おおっ!これから何が始まるのか!」
と前のめりになってテレビの画面をにらみつけていると、なんと、テレビ画面の右下に「づづく」という文字が出てきたではありませんか。
「えー!今日はここで終わりか!」
当時小学3年生だった私には、このシーンが何を意味するの具体的には分かりませんでしたが、何かしら、とても大切なことが今から起ころうとしていることは男の本能として感じました。
明日、あのふすまの向こうに敷かれた布団の部屋で何が行われようとしているのか、確かめずにはおれません。
ならば、明日も学校を休むしかありません。翌日、親にうそをついてしまいました。
「お母さん、今日もまだきつい。」
少しばかり後ろめたさを感じながらも、今日も一人布団の中でテレビを見ることにしました。
お昼が近づき、いよいよあのドラマの時間になりました。今日は、あのお布団のシーンからのはずです。
始まりました!ところが、ところがですよ。なんと、写し出されたシーンは、おじちゃんとおばちゃんが海辺を散歩しているシーンではありませんか。
「おい、おい!あのお布団のお部屋はどこへ行ったんだよ!」
興奮のあまり熱が出てきそうでした。
親にうそをつき、大切な学校の授業を犠牲にしたこの一日は何だったのか。
この時、おばあちゃんがよく言って聞かせてくれた言葉が頭をよぎりました。
「当て事と越中ふんどしは向こうから外れる」」
あの時、この世は自分の思い通りにはならないことが多いのだと悟ったはずでしたが、古希を迎えたこの年にしてまだ同じことを繰り返している自分が情けない。
