【第7弾】なぜ正解を求め続けたのか
私は長い間、
正解を探していました。
仕事でも。
お金でも。
人生でも。
もっと言えば、
「これで大丈夫」
と言ってくれる何かを探していました。
でも今振り返ると、
私が求めていたのは
正解ではありませんでした。
安心だったのだと思います。
私には、
10年ごとに大きな学びへ投資する癖があります。
30代ではMBA。
40代ではコーチング。
50代では起業塾やスピリチュアル。
振り返ると、
人生の節目ごとに
何かを学んでいました。
MBAは、
転職のためでした。
銀行の中だけではなく、
外の世界でも通用する自分になりたかった。
箔が欲しかったのかもしれません。
実際、
転職にも役立ちました。
学びも多かった。
海外での経験も楽しかった。
だから、
無駄だったとは思いません。
でも、
人生が変わったかと言われると、
そうでもありませんでした。
英語がペラペラになったわけでもない。
今でも連絡を取り合う友人が
たくさんいるわけでもない。
そして何より、
安心できるようにはなりませんでした。
その後も私は学び続けました。
コーチング。
リーダーシップ。
経営。
起業塾。
スピリチュアル。
気づけば、
1,000万円を超えるお金を使っていました。
そのたびに思うのです。
これを学べば安心できる。
これを身につければ大丈夫。
これで次のステージへ行ける。
でもしばらくすると、
また不安になる。
そして次の学びを探す。
そんなことを繰り返していました。
今ならわかります。
私は正解を探していたのではありません。
安心を探していたのです。
仕事で評価されれば安心できる。
資格を取れば安心できる。
先生に認められれば安心できる。
成功者に近づけば安心できる。
そう思っていました。
でも、
どれだけ正解を集めても、
安心は長続きしませんでした。
なぜなら、
私自身が
自分を信じていなかったからです。
自分の意見より、
他人の評価。
自分の感覚より、
世間の常識。
自分の選択より、
誰かの正解。
そんな生き方をしていました。
だから、
正解が必要だった。
自分で決めることが怖かったからです。
でも最近、
少し変わってきました。
資格取得をやめる決断。
会社を卒業する方向を決めたこと。
どれも、
誰かが正解だと言ってくれたから
決めたわけではありません。
むしろ、
意見はバラバラでした。
持った方がいい。
続けた方がいい。
やめた方がいい。
勿体ない。
いろんな声がありました。
それでも最後は、
「私はどうしたいのか」
で決めました。
不思議なことに、
その方が安心できたのです。
正解だから安心したのではない。
自分で決めたから安心できた。
そんな感覚でした。
今思うのです。
私は長い間、
正解を探していたのではなく、
安心を探していたのだと。
そして安心は、
誰かに与えてもらうものではなく、
自分で選び、
自分で引き受けることで
少しずつ育っていくものなのだと。
これからも私は学び続けると思います。
でも昔とは少し違います。
恐怖からではなく、
好奇心から。
安心のためではなく、
人生を面白くするために。
変化の早いこの時代を、
経験と知識を使いながら、
軽やかに渡っていきたいと思っています。
もし今、
正解を探し続けて疲れているなら。
もしかすると、
本当に欲しいのは
正解ではなく、
安心なのかもしれません。
一度、
人生とお金の"つまり"を
整理してみませんか。
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