憎むべき嫌いな言葉について〜第一回「思想が強い」〜
今回から数回ほど、私がとにかく嫌いで、憎むべきだろう、使用されるべきではないだろうと考える言葉をつらつらと書いてみます。
今回は第一回ということで「思想が強い」について書きます。
まだまだ書くと思いますが、第二回「推し」、第三回「エモい」なんかをとりあえず予定しています。
本当になんの目的もなく書いてるだけなので悪しからず。
私は「推し」という言葉の方がとにかく嫌いで、とても嫌悪しているんですけど、しかし第一回には「思想が強い」を取りあげようと思います。実は当初は「推し」を第一回に取り上げようと思っていました。「思想が強い」を第一回に取り上げた理由は、この年始に私に取って衝撃的な内容を伝聞したからです。そのことも書きます。ほどほどにお楽しみに。
「思想が強い」という言葉
この言葉はいわゆるネットミーム的なもので、厳密には正しい言葉遣いではないでしょうね。ただ昨今の使用を見ると、そのうち広辞苑に載りそうだなとも思います。残念ですが。
内容としては陰謀論やジェンダー論、政治的内容や宗教観など、思想に関することについて特に偏っていたりその主張が耳に優しくない時に、嘲笑や非難、とにかく批判的な意を込めて使われる言葉です。
COUNT DOWN JAPAN、サンボマスターのライブでの出来事
さて、なぜこの言葉を第一回に取り上げようと思ったかというと、先日私も参加した「COUNT DOWN JAPAN 24/25」という音楽フェスの感想のツイートから、新年早々ド級の衝撃を受けたからです。その内容は簡単には以下の通りです。(原文ママではなく趣旨です)
サンボマスターのライブの余韻に浸ってたら、後ろから「途中から、思想が強くて付いていけなかった」という声が聞こえて、シュンとした
「COUNT DOWN JAPAN 24/25」の最終日にサンボマスターは登場しました。私はサンボマスターが大好きですし、相変わらずソウルフルで熱い、ライブにしかない良さを詰めたライブをしてくれるなと思いとても感動しました。
このツイートの中で言われている「思想が強い」部分というのは、おそらくサンボ山口の
「ロックンロールはNOっていう音楽なんだ。でも今日はNOって言わずにYESって言いに来た。コロナがあった、戦争があった、でもお前たちは2024年を生きてきた!お前たちは戦争をしない!差別をしない!そんなお前たちに何をNOって言うんだ!」
という内容のMCのことでしょう。
このすぐ後に比較的新しい曲、「Future is Yours」が披露されました。
私はこのMCを聞いて、流石だなと目頭を熱くしながらも、でも同時にモヤモヤしました。
サンボマスターはとにかく勇気づけてくれる。それも楽曲をただ聴くだけよりライブに行く方が何倍もその実感がある。災害や戦争など、どうしようもない絶望の中でも、それでも希望が人々に届くように、前を向いているバンドだ。恐らく、サンボマスターじゃなかったら同じことを言っても全く説得力はないだろう、あの説得力は、熱量と偽りない本気さと、「サンボマスター」という人柄そのものから出るのだと思う。「NO MORE WAR」を歌うバンドが多い中、しかしそのほとんどのバンドやアーティストがその内実に触れずにスタンスだけが形骸化してる中、大晦日のCOUNT DOWN JAPANでこの内容に触れるのは流石だな、これがロックだな、優しいから私が好きなパンクだと思いました。
しかし、同時に、私の中にはとてつもない違和感もありました。
今日も人が戦争で死んでいる。銃器、兵器、ミサイルで死んでいる。文章にするとこんなにも呆気ない。しかし現実だ。
そういった戦争の現実を前にして、「伝説を起こす」と言う内容をサンボマスターやその他のバンドはいうのだ。それも毎年のように。これには違和感が常にある。本当にそれは「伝説」なのか、内実がないのではないか、など。
さらに、私は日本に住んでいる。本当に幸いなことに、二郎系ラーメンの注文で盛ったか盛ってないかの論争で盛り上がれるくらいには暇だし平和だ。大晦日や年越しも音楽フェスで大好きな音楽とライブを観ながら、友人とその瞬間を過ごすことができる。戦争とのこのアンバランスさはなんなんだろうか、と違和感を持つこともある。
だから、私個人としてはもっと「思想が強い」ことを言って欲しかった訳です。つまり、あのMCだけでは「思想が弱い」と感じました。これは飽くまで完全に私の所感でしかない。ただ、現実に毎日人が大量に、ほぼ無差別に殺され、故郷を離れなければならない人がいること、これは「平和」や「NO MORE WAR」を謳うなら無視できないことだろうと思ってしまいます。(もちろん音楽フェスという場でそこまで踏み入る必要がないということは私も重々承知していますが)
そう思っていた中、上記のツイートを見かけました。衝撃でした。「戦争をしない」「差別をしない」ーーそれらの肯定や賛美が、そんな本当に基本的に思える内容の言説が、人によっては「思想が強」くて、付いていけないほどになるのか、と。
ならばむしろ、どんな内容ならば思想が強くないのでしょうか。確かに陰謀論めいたことや、極端な政治思想や差別論、エセ宗教は私も聞くに耐えません。
そして、これは第二回やそのうち書こうと思いますが、むしろ私にとって「推し」文化やマーケティング至上主義、人を「人材」と扱ってその効用だけに注目する考えや、行き過ぎた功利主義、性格診断(MBTIなど)やエセ心理学、不健全な科学信仰なども、とても極端で聞くに耐えないものに映ります。
各々がパースペクティブを持ち、それぞれの価値観から物事を見るのは当然のことです。なぜなら同じ人間が誰一人としていないから。だから、あなたにとっての普通ですらも、私にとって「思想が強」く移るかもしれないし、逆も然りです。
ただ、思想が強いという言葉は、そういった自分と違うパースペクティブを持つ人を、まるでキチ○イ扱いするような意を持っている。
「あいつは思想が強い奴だし、この言説は思想が強いから、私が理解できなくても別にいいし、理解できないことは当然でむしろ良いことだ。だからあの言説は無視して、異端のものとして扱っても何も問題がない」
そういう含意を持ち、理解できない言説を「あっち側(思想が強い側)」として排除しているように思います。
だから、「思想が強い」という言葉は、自分とは違っている存在や思考を排除し、異端扱いしてしまうような暴力的な言葉です。
次に、私のプライベートな話で、時系列が前後してしまいますが、所属している研究室で起きた、象徴的で心に残っている出来事のお話をします。
研究室での話。強い思想とは?
これはもう2,3年前の話です。後輩が研究発表で、政治学系の発表していました。その際の引用で、アリストテレスを引用した二次文献を使用していたのですが(古代ギリシアは専門でないので深入りはできません)、その二次文献の中に、「アリストテレスは男女差別的だ」というものがありました。
その際に後輩が「これは思想が強いですね」と普段の友達と話す口調で放ったわけですが、それを指導教員が聞き、「『思想が強い』とはなんですか?」と聞き返したわけです。後輩はうまく答えられず、教授は続けて、「思想に強弱があるのか、強いものがあるなら弱い思想を教えてほしい」と素朴に問うていました。
そして数分ほど議論になったわけですが、結局妥当性や論理性に大小はあれど思想に強弱はなく、「強い思想」とレッテル貼りをしてしまうのは本質を見えなくする差別的、暴力的なことではないか?ということに落ち着きました。
この議論で私は初めて気付かされました。
私も今でも友達との間では冗談で「思想が強い」という言葉を使います。しかしこの出来事以前はなんの自覚もなしにこういった言葉を使っていました。どこか盲信的に、自分と周りはほとんど同じものを共有していて、極端な思想は異端だと同意が取れること、それは排除されても良いと考えていたようです。むしろもしかしたら自分が本当に「思想が強い」とレッテル貼りされ、異端扱いされ無視され続けてしまうという可能性もある。そういったことに自覚的になりました。
どうもツイッターやSNSという場は、その人の人格、「顔」が見えて来ず、ただ思想や言論だけが現れてくるようです。それも書籍のように詳細な記述があるわけでもなく、リアルタイムに匿名に感想や批判が本人へと届く。そういったコミュニケーションに慣れていると、見たくないものを簡単に異端にしてしまうほうが楽になるのでしょう。
ただ、SNSがこの世の全てではない。むしろSNSは本当に虚像に過ぎない。
現実において「思想が強い」と人々や主張を異端扱いするのは暴力的でしょう。
もちろん聞くに耐えない言説が沢山あることは私も共感します。辛い気持ちになります。ただ、それでも理解できないものを単純に無視するわけでなく、そして多数によって異端やキチ○イ扱いするのでもなく、一度内容を少しでも聞いてみて、それからただ同調するだけでなく、自分自身で判断することのほうが健全ではるかに正しいのではないでしょうか。
「思想が強い」という言葉は、こういった意味でとても暴力的だと思います。だからこそ、私は大嫌いだし、嫌悪すべき言葉だと思います。
おそらくこのnote自体も、読み手によったら「思想が強い」もので見るに耐えないものだと思います。そうしてキチ○イ扱いされたとしても、それは悲しいけれども、同調するより遥かに自分にとって良いです。
もちろんこの内容は誰かを攻撃するわけでもないし、特定の人や集団を指すわけではないです。ただ、潜在的な暴力性というか危険性があるなってことを書きたかったということに過ぎません。悪しからず。
次回は「推し」について書けたらなって思います。
特に構成も考えず書いたのでちょっとぐちゃぐちゃになってますが、自己満足なのでまあ良いやって思いますね。思ったより長くなってびっくりです。もし読んでくださった方がいたら、ここまで読んでくださりありがとうございます。お互いに今年が良い一年になりますように。
p.s.
画像は少し前に流行ったネコの画像です。このミームは大好きです。ネコが可愛いしネコが大好きだから。
ネコはかわいいです。これは猫嫌いの人にとっては「思想が強い」のかなって思いました。私はかわいいと思います。
それでは(-_-)/~~~ピシー!ピシー!
