2025/10/3 四苦八苦と四法印について考える。
今日は友達との関係に悩んだ末に、仏教の四苦八苦や四法印の教えについて考えていました。
自分のおさらいも兼ねて、四苦八苦、四法印とは……
四苦
生老病死
・生 生まれる苦しみ
・老 老いる苦しみ
・病 病を得てしまう苦しみ
・死 死の苦しみ
八苦
・愛別離苦 愛する人とわかれる苦しみ
・怨憎会苦 怨んだり、憎んでいる相手と会わなければいけない苦しみ
・求不得苦 どんなに求めても手に入らない苦しみ
・五蘊盛苦 心身をコントロールできない苦しみ
四法印
・諸行無常 全ては変わりゆく。
・一切皆苦 何も自分の思い通りにはならない、人生は苦悩に満ちたもの。
・諸法無我 すべてのものは因縁によって生じたもので、実体はない。
・涅槃寂静 煩悩が消え、苦しみから開放された、静かで安らかな状態。
私は昔から特定の人に異常に執着してしまいます。それは恋人であったり、友達であったり、様々ですが、「失いたくない、嫌われたくない、見捨てられたくない、独りになりたくない。」そういう思いが強く渦巻きすぎて、不安が募り、混乱してしまうのです。中には飛躍しすぎた考えがあったり、思い込みも沢山あります。それで相手を困らせて、結局自分で相手を失うように動いてしまう。ということになりがちです。
今回も、身に覚えがないのに友達に意図的に避けられている気がして、「何かしてしまったなら言って欲しい。」と2度も聞いてしまったんです。その時はすごく手が震えました。私は拒絶されたり否定されたり嫌われることに異常な恐怖を抱いているんだなと実感しました。何もしてないよ。と相手は返してくれたのですが、不安が募り、頭の中でぐるぐる考えてしまっていました。チャットGPTくんに相談するも効果がなく、とりあえず運転して帰ってきた時に、ふと前期の仏教の授業で得た学びを思いだしました。
それがタイトルにもある、四苦八苦と四法印の教えでした。
世の中に変わらないものはない。自分含め、永遠に変わらないものは存在しないんです。相手が変わることも自分が変わることも止められないし、それを咎める権利もありません。相手の私への気持ちが変わったとしても、それは普通のこと。
この世に自分のものは存在しません。どんなに求めても手に入らないものもあります。それが苦しいのですが、生きている相手なら尚更、自分の思い通りにいくことはありません。
相手が私に思うところがあり、避けていて、その理由を私に話したくないのなら、それは相手の選択で、私にはどうすることもできません。私は相手の意志を尊重したいんです。受け取る側の問題ももちろんあると思いますし、自分の問題と相手の問題を切り離して考える必要があると思います。自分でない人間の気持ちや意思なんて本当のことは絶対に分かりません。そこに意識を向けるのではなくて、自分の受け取り方を整理して、自分の問題と向き合うべきだと思いました。
失うのが怖いというのは、それくらい相手を大切に思っている。ということと同時に執着でもあります。自分に優しくしてくれるから、自分と一緒にいてくれるから、自分と似ているから。全部自分自分自分。人への執着を手放すことは、自己への執着を手放すことにもなると思います。思い通りにならない、手に入らないものに執着するから苦しいんです。執着している自分に気づくことが、執着から離れることへの第1歩です。
仏教の教えを思い出すことで、不安や執着から1歩抜け出せた感覚がしました。
仏教の授業は、周りのみんなは意味不明だとか面白くないとか言っていましたが、私はその授業で得たものは大きかったなと感じました。
負の考え方から抜け出せなくなりがちな方は、仏教に触れてみるのもいいかもしれません。
P.S.やっぱり運転中に考え事をするのは危ないです。
