【旅日記】初夏の京都③〜おしゃれストリートから二条城へ
今日も今日とて京都へGO。

烏丸通の2階建てバス。
ロンドンみたい。
ただ車体表記から説明書きまで全て英語で、日本人が乗る感じではありませんね…

こちらは、烏丸通から少し入ったところにある焼菓子店「ヒビノ」様。


マドレーヌ、フィナンシェ、ブルトンヌ、フロランタン…
まさに焼菓子の宝石箱や〜✨️



こちらのベニエ。
小さな揚げパン、といったところで、薄手で軽い食感が楽しめる。
砂糖味も選べるのですが、塩味にすると絶妙なおいしさです。

外へ出て、またしてもあつあつの通りへ…
冷房が恋しい。

こちらも同じく、パティスリーとカフェ、お土産物屋さんを兼ねたようなお店「DEAN&DELUCA」様。


ちょっと京都ってお洒落すぎひん〜
てなもんです。





ちょうど、山の解体の日に当たっていました。
もうすっかり木組みだけ。
どんどん片付けられて、来年まで岡崎公園の蔵に納められるということです。



犬矢来。
みやびな感じですが、元々は犬のおしっこを防ぐためのものだったらしいですね…

堀川通まで抜けてきました。
昔はここに、堀川というまっすぐな運河が通っていたわけです。
そういう雰囲気が残ってますね。






お堀に映る陽射しが美しい。



史上、二条城と呼ばれるお城はいくつかあります。
現存するこちらは、もちろん徳川期のもの。
三代家光以来、将軍の上洛もなかったので、城は荒廃。
今の姿は、幕末に十四代家茂を迎え、最後の将軍慶喜の居城となった時のものでしょう。
維新のあとは宮内庁の管轄下に置かれ、「二条離宮」と呼ばれました。

ただ私にとっての二条城は、室町将軍足利義輝が洛中に築いたお城。
管領斯波氏の屋敷跡に建てられたので、「武衛御所」とも呼ばれていました。
(右京大夫の細川氏が京兆家、であるように、左兵衛督の斯波氏は、唐名で武衛家、と呼ばれるのがならいでした)
京を離れることの多かった義輝のために、三好長慶が築いた城塞。
ところが、その養子の三好義継によって攻め落とされ、義輝自身が討ち取られたのは、皮肉と言う他ありません。
その後同じ場所で、義輝の弟・義昭のために、織田信長が城をさらに強固にして再建します。
(この辺りでも、信長はやっぱり長慶の再来という感じがします)
そしてやはり、義昭も信長と仲違いし、圧倒的軍事力で二条城から逐われてしまうのでした。

御所の近く、二条通から離れたそちらの旧城が「二条城」と呼ばれているのは、理由を調べても今一つピンと来ない謎です。


残念ながら、閉門時間を過ぎていました。
内側はまたの機会に…


やっぱり外国人の方が多いです。
日本もイタリアやフランス並みの観光立国になってきたのかな…という気もします。


お堀沿いに歩いてゆきます。


こちらは、神泉苑の北門。
「御池」の由来になった、平安京の都市型リゾート地です。
雨乞いの神様でもあり、お花見のルーツでもある。
中世以来荒廃していたそうですが、その広大な用地を奪ったのも、庭園として復興させたのもやはり徳川幕府でした。


五山の送り火のパネル。
右端の「大」の文字は如意ヶ嶽。
地元では「大文字焼き」とは呼ばないそうですが、これを見ていると、私はやはり、赤沢宗益が立てこもりの一揆衆ごと丸焼きにした一件を思い出してしまいます。
(そんな人間、日本でほぼ唯一でしょうが…)👇


仏教大学がめちゃくちゃ駅前に。
都市型キャンパスが、最近の流行ではありますね。


大きな木製の屋根が涼しい駅舎です。
風も吹き抜けていく。

京都の魅力は奥深くて、汲めども尽きない。
正直なところ、ここで暮らしたり働いたりはきついのかな〜と思ったりもしますが、たまに奈良から通うくらいの距離感がちょうどいいのかもしれませんね。

帰りの近鉄特急で、西京焼弁当をいただきます😋
駅弁を電車で食べるのが好きなんですよね…
しつこくなくて、あっさりと味わいの深い鰆でした。
さすがは京都!
それではまた〜
エンディングテーマ「Strangers When We Meet」David Bowie
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【旅日記別館】今日も今日とて京都へGO
旅マガジン『大純はるのトラベル・チャ~ンス』別館。 千年の古都を舞台に 大純はるが西へ東へ旅サラダ!ぜひともお楽しみに🤩
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