【歴史小説】寧らかの波 第六章(3)「できるか、できないかではない。必ずやるのだ」
ここまでのあらすじ
16世紀。
異国の血を引く少年・楠葉入鹿は、育ての親ジイを自らの手で殺めてしまい、管領・細川高国のために働くことを強いられる。
美貌の明国人・宋素卿と行動をともにした入鹿は、南海の臥蛇島から大陸の港都・寧波へと渡ってゆく。
そこで明の官吏・朱子純と武人・愈志輔に尋問され、一行は双嶼島へ逃れて海賊たちと明の海軍を迎え撃つ。入鹿の剣技は明兵を圧倒するが、愈志輔と斬り合って海へ逃れざるを得なくなる。
意識を失い、父赤沢宗益とジイの戦いを夢に見る入鹿を温めていたのは、裸になった素卿であった。実は素卿は乳房を落とした元歌妓で、その壮絶な過去を打ち明けられた入鹿は、境界に生きる者の国を作る、という夢を叶えようと決意を新たにする。
高国の命を受けた二人は、土壇場で大内氏による遣明使を阻止すべく、唐船の建造されている堺へと向かうが…
本編
三
遠くの海からも、一条の煙が棚引いているのが眺められた。
煮炊きのかすかなそれではない。島の数少ない木々が炎をまとい、黒いものが空へ立ち昇っている。
分厚い曇り空から、ぽつぽつと小粒の雨が散っていた。
「まずいな」
素卿は舳先に立ち、手庇をかざしながら目を細めていた。
見つめる先に浮かんでいるのは、蛇が腹這いになっているような形の臥蛇島だった。
吐噶喇の海へ帰ってきて、ようやく一息つけるかと思いきや、またしても不穏な予感が漂っている。
「何があった」
「わからん。ただの山火事であってくれればいいが」
強烈な潮風に混じって、焦げたにおいが鼻に届いてきた。
海が荒れている。波は高い。そうでなくても、ここからは潮流がぶつかり合って近付き難くなる。容易く大船が寄せられるような岸ではない。
「ここで艀を下ろせ。私と入鹿だけで、様子を見に行ってくる」
鸞岡瑞佐や他の使僧、堺の客衆たちが気遣わしげに見守る中を、小船に乗り移っていった。
手練れの水手に櫓を漕がせ、そろそろと島へ近付いてゆく。
北東岸の浜辺へ乗りつけると、坂の上の竹林や集落は、既に真っ黒い炭になりかけていた。燃え始めから一昼夜ばかり経った、というところだろうか。
きつい坂を登ってゆきながらも、人の気配をまるで感じなかった。
「みな、どこへ行ったのだ」
「海賊に襲われたのか」
「この辺りに、吐噶喇の島々を襲える海賊などいるものか。明国の軍勢が、わざわざやってくるとも思えんしな」
確かに、島人たちの骸一つとてない。村が燃え、人が根こそぎいなくなっている。ただそれだけだった。
集落の一番奥、テラ、と呼ばれる広場へ差しかかった時、鳥居の先の草叢がわさわさと動き、ふいに小柄な姿が飛び出してきた。
「何だ」
入鹿は咄嗟に素卿の前へ出て低く構えた。が、こちらを襲うような殺気は感じられない。
顔が真っ黒く汚れ、袖や裾の先が焦げている。白い髭や髪でさえ、煤と泥ですっかり色が変わっていた。
「そ、素卿殿」
「永春か」
呼びかけるなり、広場の土くれへばさりと倒れ込んでしまった。
「入鹿、水を飲ませてやれ」
言われた通り、地べたから頭を持ち上げ、革袋へ入れてきた真水を口に含ませてやった。
老人はゆっくりと息を吹き返し、薄く開いた目の光も定かになっていった。自分で頭を振り、口の中で何事かをぶつぶつとつぶやくようにもなった。
「何があった」
相手は地べたに座り込んだまま、素卿の方を見上げた。怖気をふるうように、がたがたと肩を揺らしている。
「中林孫太郎じゃ」
「孫太郎がどうした。あいつは、双嶼の留守に置いていったはずだ」
「それがどうやら、大内方の調略を受けたようで。細川の遣明船には道理がなく、恐らく市舶司に撥ねつけられる。そうすれば、もはや何の分け前にも与れない。ならばいっそ大内方へ寝返り、その警固に加わった方が得じゃ。そう説きつけて、同心した海賊どもの船を率い、この臥蛇島へ攻め寄せてきたのです」
入鹿は思わず素卿の顔を見やった。眉根を深く寄せ、下唇を口惜しげに噛んでいる。
「それで、島の者たちは」
「連中に駆り出され、戎克船に乗せられて、連れ去られてゆきました。たった一人を除いて」
永春は覚束ない足で立ち上がると、しつこい藪を掻き分け、テラのさらに奥へ進んでいった。二人も押し黙ったまま、そのあとへ続いていく。
赤土の崖際に、一つ燃え残っている小屋があった。外れた板戸の向こうを覗き込むと、一人の女が藁の中に横たわっていた。裾が乱れ、胸乳が露わになっている。両目は虚ろに見開かれたままで、口の端から一筋の血を垂らしていた。
安那だった。
三人は沈痛な面持ちで、小屋の外へ戻った。
「孫太郎っ。このような行い、あとで必ず高くつくぞ」
あたかも聞こえる相手がいるかのように、素卿は空高く絶叫してみせた。
丈高い梢の先端で、カラスに似た鳥の啼き声だけが応えた。
「これからどうするんだ」
素卿はかぶりを振り、きつい横目でこちらを睨み据えてきた。
「どうもこうもない。我らは予定通り寧波へ向かう」
「先だっての報せによれば、大内の船団は、既に当地へ入港せんとしているとのことでした」
「ならばなおさらだ。船足を急がせ、奴らのあとを追いかける」
「大内を出し抜けるのか」
ここまでやられて、という思いが言外にあった。
堺で唐船を燃やしたにしろ、孫太郎を切り崩したにしろ、素卿の根城である臥蛇島を襲ったにしろ、敵のやり口には、もはや何の容赦もない。
情けの欠片も見せず、こちらを潰しにかかっている。そのような中で、さらに敵の上を行くことができるのか。
が、素卿は眦を決し、敢然と言い放った。
「できるか、できないかではない。必ずやるのだ。我らの一生の中の切所だ。それを乗り越えなければ、度外れた夢を手繰り寄せることなど、決してできはしない」
入鹿は我知らず喉を鳴らした。
敵方へ寝返った孫太郎に、大内方の正使である、狂僧の謙道宗設。あの三本腕の怪物、神代源太郎も加わっているかもしれない。
さらには、浙江の岸を嗅ぎ回っている朱子純に、その用心棒の愈志輔。
そんな場所へ素卿や永春、そして自分が乗り込んでゆく。
これだけの者たちが、あの寧波という町に勢揃いして、平穏無事に終わるわけがない。
一体このうちの誰が命を落とし、誰が生き残ることになるのか。
いよいよ決死の時だ、と思い詰めるにつけ、入鹿は震えの来る手で懐中の短刀をきつく握りしめた。
~第七章へ続く
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