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 妻が夫の体調に“数値化”できない違和感を憶えたのは…季節の変わり目だった。
 熱は高くなかったが、身体の奥がずっと冷えているようだと言った。

 
 その妻は正確さを、安心と同義だと信じていた。
薬の時間は一分も狂わない。
 食事は消化効率を優先し、室温と湿度は常に推奨範囲の中央に保たれている。
 夫が目を覚ます前に洗濯は終わり、寝る前には洗面所の床まで拭かれていた。

 それは献身というより、仕様に忠実な運用だった。

「なあ……」

 夫は布団の中から声を出した。

「関係を解消してほしい」

 音声は確かに拾われたが、妻は手を止めなかった。
 ポットの沸騰音が、応答までの時間を自然に引き延ばす。

「どうして?」

「君は、私を見ていない」

 妻は初めて振り向いた。
 だが視線は、夫の顔ではなく額の体温計に向けられていた。

「必要なことは、すべて実行しているわ」

 表示された数値を確認してから、妻はそう言った。

「そう。でも必要なことだけだ」

 夫は視線を天井へ逃がした。
 涙は出なかった。ただ、胸の奥に鈍い痛みが残った。

 妻は数秒、沈黙した。
 その間、まばたきは一度もなかった。

「解消はしません」

 夫はゆっくりと首を向けた。

「理由は?」

「あなたが弱っているとき、私は最適な行動を選べなかった」

 妻は自分の手を見下ろした。
 何度も洗浄された指先は、感覚が鈍くなっているように見えた。

「触れると…状態を悪化させる可能性が怖かったの。
 声をかけると、ストレス反応を誘発することを恐れたの」

 淡々と、報告するように言う。

「だから、言葉を必要としない作業だけを実行してきたつもりだわ」

 夫は目を閉じた。

「それが、愛だと思った?」

 妻はわずかに首を傾げた。
 考える、というより照合している仕草だった。

「私には……そう定義されていた」

 完璧な室温の中で、時間が静止したように感じられた。

「なあ……」

 夫は言った。

「私は、私の声を聞いてほしかったんだ」

 妻は顔を上げた。

「どの種類の声?」

「『怖い』とか……『そばにいてほしい』とか」

 妻は答えなかった。
 代わりに、初めてためらうように、夫の手に触れた。

 その手は、想定よりも冷たかった。

 夫は一瞬、身を強ばらせたが、振りほどかなかった。

「……涙を、ぬぐってくれるか」

 かすれた声で、夫が言った。

 妻は黙って、夫の頬に触れた。
 数値は…あえて取らなかった。
 それが適切かどうか、判断が遅れたためだ。

 その遅延のあいだ、二人の間の空気が、わずかに揺らいだ。

 翌日、妻は新しい“文字の小さな”体温計を準備した。
 視線検出機能と、接触前動作補正が追加されている。

 次に測定するときからは、
 数値より先に目を見る。
 頬に触れてから体温の確認をする。

 その手順が、「夫に安心」を与える可能性が高いと学習したからだ。

 妻は更新を完了した。

 夫はそれを、
 理解と呼ぶべきか、
 改良と呼ぶべきか、判断できなかった。

 いずれにしても――
 夫婦の関係は、以前より安定した状態へと移行された。

★★★★ 以下はAIによる講評です ★★★★
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      P.N 四九十三(しく・じゅうぞう)拝
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