見出し画像

♭10 言葉に“なり始めた”家の話

二度目の打ち合わせは、初回よりも少しだけ空気がやわらいでいた。

日豊本線で向かう行橋駅までの道すがら、車窓に流れる街並みを眺めながら、前回のやり取りを思い返していた。
大きな要望は出ていなかったけれど、不思議と手応えの残る打ち合わせだった。

 二度目の今回は、いつものように3つの平面計画案を持参している。
ご夫妻の一番のテーマは『大切な家族を安全に守る家』である。
だから鉄筋コンクリート造(RC造)を希望され、設計士として私が選ばれた。
――あの津波には木造では抗えない、という確信から舵を切った鉄筋コンクリート住宅専門の建築士である。

テーブルの上に図面を広げ、前回の内容を確認しながら話を進めていく。
ご夫婦は相変わらず丁寧で、こちらの質問にはきちんと答えてくださるけれど、自分から話を膨らませることは多くない。

私は必要なことを一つずつ確認しながら、急がせないように言葉を選んでいた。

「前回お話しした内容で、何か気になった点はありましたか」
そう聞くと、少し間があってから、
「まだ、はっきりとは……」
という返事が返ってくる。
迷っているというより、言い切ることをためらっているように聞こえた。

打ち合わせが進んでも、大きな要望は出てこない。
「予算的に大丈夫でしょうか」
「こういうのは、やりすぎですかね」

やはり、まだ慎重にならざるを得ない理由があるのだろう。
だが私は、その遠慮の中に、確かに前を向いた気配を感じていた。

しばらく図面を見ながら話していると、奥様が指先で一か所を指した。
そして、あまりに控えめな希望が添えられる。
「ここ……窓があったら、気持ちいいですよね?」
声は小さいけれど、ほんの少し弾んでいる。
ご主人も、図面から目を離さないまま、「いいです…よね?」と短く言った。
遠慮がちではある。
しかし確実に、少しだがトーンは上がっている。

その一言で、空気がわずかに変わった。
方向性が決まったわけでも、何かを即断したわけでもない。
ただ、その瞬間に、このご夫婦の「わくわく」が、言葉の端から滲んだ気がした。

打ち合わせは、今回も淡々と終わった。
しかし、ご夫妻の希望は確実に“言葉”になり始めた。
帰り際の「ありがとうございました」は、初回よりも少し柔らかく聞こえた。

帰路につき、再び日豊本線に乗る。
座席に身を預けると、車内は静かで、窓の外の景色がゆっくりと後ろへ流れていく。
今日打ち合わせた家はまだ、私の頭の中にしかない。
それでも、あのご夫婦の中では、もう何かが確実に動き始めている。

ようやく言葉になり始めた、そのわくわくを壊さないように。
次回はそのわくわくをもっと、自由に広げてあげられるように。
そう思いながらも、一番わくわくしているのは私なのかもしれない。


いいなと思ったら応援しよう!