♭8 感動は”無計画”に導かれる
私は“家出”をしたことがない。
正確に言えば、その勇気がなかったのだと思う。
しかし我が家の第2子(長男)は、
何度となく“プチ家出”や部屋にこもってのハンストを繰り返した。
今思えば、
父親である私の威厳のなさによるところもあったのかもしれない。
さて、
どこで覚えてくるのかわからないが、
「子供は親を選べないからねっ!」というのは、
反抗期の子供が持ち出す”最終兵器”のような言葉だ。
ご多分に漏れず、我が家にもその“気配”が漂う時期があった。
当然、そういう時期が来ることは予測していた。
つまり私は、その瞬間に備えた“完璧”なシミュレーションをしていたのだ。
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そして“まさに”そのタイミングと見極め、私は先回りしてこう言った。
「親は、子供を選んで産んでいるわけじゃないんだからな」
我が子はキョトンとしている。
彼にしてみれば、
次に自分が言う予定だった言葉を奪われたのかもしれない。
私は続けた。
「お前はヨーイドンでスタートした
数億のライバルの中から、一番最初にたどり着いたんだろ?」
――いい感じだ。
「この世に生まれたいっていう想いが、
一番強かった証拠じゃないか」
――よしよし。
「だから今ここにいる。
お父さんとお母さんは…そんなお前を、
よく頑張ったなって思いながら、涙ながらに抱きしめたんだ」
――うんっ!ここは自分の言葉に陶酔して良いところだ。
だが、我が子はまだキョトンとしている。
「あれっ?」
今日は、まだ“そのタイミング”ではなかったのか?
そう思い始めると、急に気恥ずかしくなる。
この先、どう続ければいいのか。
私の頭の中では、
我が子は感涙し、私は彼を抱きしめる――
そんなシミュレーションしか用意されてはいない。
……「あれっ?」
この空気をどうしてくれる?
私は咳払いをひとつして、眉間にしわを寄せながら、
「自分のことをもっと大切にしなさい」
と言い残し、彼の部屋から立ち去るのが精一杯だった。
ああ、長年の計画が水泡に帰した瞬間である。
だが…
何度目だろう…過去にも同じ思いをしたような気がする。
感動的なことを言おうと思うなら、
“無計画に”心の底から湧き上がる想いと一緒でなければならないのだ…と。
どうも、計画した感動はだいたい外れるようだ。
自慢ではないが、私は計画を立てるのが得意だ。
ただし、思い通りの”効果”が伴うことは、ほとんどない。
そして今、その彼も父親になった。
父親となった彼が、
父親である私と同じミスを繰り返さないこと“だけ”を祈る。
と、
「あっ、そうだ。
次の感動的な計画は、この辺りのストーリーで……」
などと瞬時に考えてしまうところに、
自分の進歩のなさを感じてしまうのだった。
が、
心が”わくわく”していればそれで良しとするか。
--自己修復機能は結構ハイレベルなようだ。
