あほう老士教えを説く/住宅展示場とは《領域展開》のようなものじゃ
ある日、
若い夫婦が老士のもとを訪ねてきた。
「家を建てたいのですが、
決められないんです」
老士は湯呑みを置き、にやりと笑った。
「ほう。決められぬのか」
「展示場もたくさん回りました。
どこも良く見えてしまって……」
老士は頷いた。
「それはのう、
“目”で選んでおるからじゃ」
夫婦は顔を見合わせた。
⸻
老士、問いを投げる
「そなたらに聞く。
家に求めるものを五つ、挙げてみよ」
「えっと……デザインと、
快適さと……ええと……」
言葉が止まる。
老士は静かに茶をすする。
「それが迷いの正体じゃ」
⸻
家は“全部入り”にはならぬ
「家というものはの、
足し算ではない」
「削り算じゃ」
「開放感を求めれば、
構造は難しくなる。
強さを求めれば、
コストは上がる。
安さを求めれば、
何かを手放すことになる」
「すべてを望む者は、すべてに迷う」
夫婦は黙った。
⸻
展示場という“術中”
「展示場とはの、
術者の結界のようなものじゃ」
「中に入れば、
その会社の正義が満ちておる」
「断熱こそ正義、
デザインこそ正義、
価格こそ正義」
「軸を持たぬ者は、
たちまち飲み込まれる」
ーー
「は? ぴんとこぬか――?
ほれ、あれじゃ。
“領域展開”に飲み込まれたようなものじゃ。」
夫婦の「あァーー」というようは顔を見て
老士はくくっと笑う。
「そしてな、
次の展示場で、また上書きされるのじゃ」
⸻
何のための家か
「そなたらは、何のために家を建てる」
夫は小さく答えた。
「家族のため……だと思います」
「“だと思う”では弱いのう」
老士の目が細くなる。
「守りたいのか
誇りたいのか
備えたいのか
豊かに暮らしたいのか」
「目的が定まらねば、手段は決まらぬ」
⸻
判断軸とは覚悟のこと
「判断軸とはな、知識ではない」
「覚悟じゃ」
「何を優先し、何を捨てるかを決めること」
「それができれば、営業の言葉に揺れぬ」
「できねば、一生揺れる」
湯呑みを置く音が、やけに響いた。
⸻
老士、最後に言う
「迷っておるのは、情報が足りぬからではない」
「自分の価値観を言葉にしておらぬからじゃ」
「まず五つ書け」
「順位をつけよ」
「そして声に出せ」
「それができれば、家は決まる」
老士は立ち上がった。
「家とは単なる箱ではない」
「そなたらの生き方の宣言じゃ」
夫婦は深く頭を下げた。
帰り際、老士は小さく呟いた。
「さて、あとは腹をくくるだけじゃな」
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