♭12 ”描かない時間”の設計図
PCのデスクトップにはいくつものフォルダがある。
最新のものは中央に、古いものほど端へ追いやられる。
そして一番端のフォルダの中には、
いつからあるのかわからないフォルダがいくつも収納されていた。
法規の確認が甘いままの平面図。
施主の要望が曖昧なまま止まっている断面。
描けば描けるが、決めきれない線たち。
私はそのフォルダを「後回し」と名付け、
建築士としての自分の弱さだと思っていた。
学生時代に習った通り、仕事は前倒しが正義だ。
締切から逆算し、工程表を引き、遅れは許されない。
それでも、どうしても手が伸びない案件があった。
ある日、所長に聞かれた。
「あの住宅のプラン、進んでる?」
私は一瞬ためらい、こう答えた。
「あっ…あれは…取ってあります」
自分の口から出た言葉に、少し驚いた。
後回し、と言うつもりだったのに。
「そうか。あれは敷地が難しい。しばらく寝かせた方がいい」
所長はそう言って、図面を見もしなかった。
寝かせる…
その言葉が、頭の中で反響した。
それから私は、考えを変えた。
描けない図面は、描かないのではなく、取っておくのだ。
取っておく間は、頭の片隅には置きつつ別の案件に向かう。
似た敷地の建物を歩き、光の入り方を体で覚える。
法規集を読み返し、施主の言葉を反芻する。
そして育つ時を待つ。
そして…
数週間後、あの図面に向かったとき、
迷っていた線は、驚くほど素直に引けた。
意外と“後回し”ではなかったようだ。
もちろん、失敗もした。
「取っておこう」と思った結果、確認申請が一つ遅れた。
その結果、営業担当者に随分迷惑を掛けてしまった事は忘れない。
その夜、私は図面を整理した。
フォルダ名の「保留」の名前を破棄して「取っておき」と変えた。
フォルダの説明欄には、こう書いた。
「今は描かないが、熟成させている設計」
“意味”ある時間を掛けて熟成させ、一気に花を開かせる。
書き始めてからの迷いがない分、図面を描くスピードは上がった。
“後回し”と“取っておき”…外見は同じだが、全く異質のもののようだ。
私は今日もイメージを線にする。
今日引くべき線と引かない線、
そして取っておくべき線を、ちゃんと分類しながら。
“分類”に対する意識が、少し明確な方向性を持った…ということか。
(タイトルとも936文字)
若い頃を振返りながら書きました。
時代は《 製図板+T定規 》から《 PC+CAD 》になりましたが、クリエイティブな仕事には 情報と感情 の熟成期間が”時には”必要なようです。
若い皆さんに、少しでも参考になればと思いつつ。
