♭11 プライドをかけた戦い ―――――惜敗か 大勝か
私は一級建築士である。
図面の上では、世界はきわめて素直で整然としている。
人間の要求する理屈が、ほぼそのまま形になる。
だからだろうか。
反動のように始めた家庭菜園では、
結果が予想できない世界に身を置いている。
自分でも不思議なくらいに、そこにどっぷり…と。
春になると、私は必ずトウモロコシを植える。
理由は明確で”美味い”からだ。
土が合っているのだろうか、今年も順調に育っている。
今年“こそ”は、茹でたてを頬張りたい。
そう信じて疑わないとともに、
そうでもない別の“期待”も…実はある。
異変は、ある朝突然やってくる。
私は畑に立ち、そして立ち尽くす。
――ない。今年もまた。
昨日まで誇らしげに並んでいた
トウモロコシだけが、見事に消えているのだ。
昨日は半分の被害。
そして今朝、全滅である。
ナスもピーマンも無事なのに、
なぜかトウモロコシだけ。
しかも、完璧な食べ頃を見計らったように。
残されたのは、なぎ倒れた茎と、意味ありげな足跡。
侵入経路は…昨日の一組目は柵の上から。
これはきっとサルだ。
お尻を向けて“あっかんべー”をしている姿を思い出す。
だが、半分は食べ残しているところに少し知性を感じてしまう。
そして今朝のもう一組は、下のすき間から。
こちらは多分、アライグマだ。
こいつらは好き勝手に“食い散らかして”いる。
二番手だったことに憤慨してか、知性のかけらも感じさせない。
私は、建築士としての知恵と経験と意地を総動員していたのだ。
今年は…下部のすき間は1センチ以下とし、
上部からの侵入を防ぐために水平ネットも張った。
が、
彼らは、毎年必ずその一歩先を行く。
だが、
現場検証をしながら、今年もなぜか少し感心している自分もいる。
悔しいのだ。実に悔しいのだ。
だが同時に、胸の奥が妙に暖かくなっていることに気づく。
『なるほど~、今年はそう来たか』
『そりゃ~、そこまでしてでも食べたいよな』
本当に悔しくはあるが、目じりは少し下がる。
いつの間にか、
界隈の野生動物が「被害を与える存在」ではなく、
「他人には説明しがたいわくわく感を与えてくれる存在」になっていた。
妻は言う。
『もういいかげん、トウモロコシはあきらめたら?』
確かに、理屈的には正論だろう。
だが私は、その正論への悔しさがゆえに反論する。
『いや、来年こそは“あいつら”には負けられん』
だがこの行間にある、とても深い”感慨”を
あえて妻には説明しない。
建築の仕事では、不確定要素は極力排除すべき対象だ。
しかし畑では、その不確定さこそが主役になる場合がある。
思い通りにならないから、次を目指す。
結果が分かっていても、勝負をやめられない場合だってあるのだ。
『どんなもんだ。今年も美味かっただろう!』
設計担当者として、「人手に渡すのは惜しい」と思える作品を引き渡すときの感慨深さに似ているような気さえする。
控えめに判定すれば、試合には惜敗したが、勝負には大勝した。
…といったところか。
たぶん来春、私はまたトウモロコシの種もまくだろう。
“試合”には惜敗するあたりを狙って、わくわくしながら。
