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「役者になってくれて、ありがとう。」#4この人なら大丈夫だと思える人―鈴木亮平さんへ

この連載は、役者を紹介するためのものではありません。私が「役者になってくれて、ありがとう」と伝えたい人たちへの、小さな感謝の手紙です。
第四回目は、鈴木亮平さんへ。

役者という仕事は、信じてもらう仕事なのだと思う。
この人は本当に医師なのだろう。
本当に教師なのだろう。
本当に誰かの兄なのだろう。
観る側がそう信じられた瞬間、物語はただの「作り話」ではなく、誰かの人生になる。

そんな「信じる」ということを、私は鈴木亮平さんのお芝居から何度も教わってきた。

私にとって鈴木亮平さんは、「圧倒的な信頼感」と「尊敬」という言葉が真っ先に浮かぶ役者さんだ。

演技力が高い。 役づくりが徹底している。
そう語られることは多い。

もちろん、それも間違いではない。

けれど、私が惹かれている理由は、そこだけではない。
作品を観ていると、「この人は役を演じようとしている」のではなく
「役を理解しようとしている」のだと感じる瞬間がある。

人はなぜ、その人になるのか。
何を見て、何を恐れ、何を守りたいと思って生きているのか。
その問いを最後まで手放さずに人物と向き合っているように思える。
だから私は安心して、その人物の人生を見届けることができる。

そして鈴木さんのお芝居には、不思議な安心感がある。
この人に任せておけば大丈夫。
そんな気持ちになる。

それは、派手な演技をするからではない。
静かな場面でも、激しい場面でも、その人物の芯がぶれないからだ。

一つひとつの表情や声、その場に立つ姿勢から、「この人物は確かにここで生きている」と感じられる。
その積み重ねが、揺るぎない信頼につながっているのだと思う。

そんなことを強く感じた作品の一つが、『TOKYO MER』だった。
極限の状況でも、人を救うという使命を見失わない姿。
冷静さと情熱。 力強さと優しさ。
相反するものを無理なく一人の人物の中に共存させているように感じた。

きっと、本当に強い人は、大きな声で自分の強さを語らない。
目の前の一人を救うために動き続ける。
そんな静かな覚悟が伝わってきた。

だから私は、画面の向こうにいる人物を自然と信じることができた。
また、家族を描いた作品では、まったく違う温度を見せてくれた。
大切な人を思う気持ちは、いつも上手に言葉にできるわけではない。
照れくささもある。 不器用さもある。
それでも、その人を守りたいという願いは、ふとした表情や間合いに表れる。

鈴木さんのお芝居には、その「言葉にならない愛情」がある。
だから胸が熱くなる。

優しさは大げさな行動ではなく、日々の積み重ねの中に宿るものなのだと教えられる。
さらに最近の作品「リブート」では、一人の人物の中にある別人の顔を見事に表現していた。

人は誰でも、一つの面だけでは語れない。
仕事をしている時の自分。 家族といる時の自分。 弱さを隠している自分。
誰にも見せない孤独。
そうした多面性を、説明ではなく演技で伝えていく。

その繊細さに、私は何度も息をのんだ。

人物を単純な言葉で片づけない。
だからこそ、観終わったあとも、その人は私の中で生き続ける。

インタビューライターという仕事をしていて
俳優さんのお話を伺うたびに思うのは
「役者とは、人間を学び続ける仕事なのだ」ということだ。

人を知ろうとする。
知らない世界に飛び込む。
自分とは違う価値観を受け止める。

その積み重ねがあるからこそ、一人ひとりの人物に説得力が生まれる。
鈴木亮平さんのお芝居を観ていると、その姿勢が自然と伝わってくる。

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