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なんかモヤモヤする月曜日

月曜日の朝は、なぜこうも特別な重さを持っているのだろうか。目覚ましの音が鳴った瞬間、まだ夢の続きにしがみついていたい自分と、現実に引き戻そうとする義務感が静かに衝突する。カーテンの隙間から差し込む光は決して弱くないのに、その明るさがどこかよそよそしく感じられるのも、月曜日特有の空気のせいかもしれない。

布団の中で数分、いや実際にはもっと長い時間を過ごしながら、「あと5分だけ」と自分に言い聞かせる。その5分がもたらす安らぎは一瞬で、むしろ後からじわじわと焦りに変わっていくことを知っているのに、それでも繰り返してしまう。週末の余韻はまだ体の奥に残っていて、楽しかった記憶や、何もせずに過ごした時間のやわらかさが、逆に現実との落差を際立たせる。

ようやく起き上がり、顔を洗い、コーヒーを淹れる。湯気の立ち上るカップを手にしても、心の中の霧はなかなか晴れない。ニュースを流し見しても、SNSを開いても、どこか上の空で、情報が頭に入ってこない。時間だけが淡々と進み、「そろそろ出ないといけない」という現実だけが、じわじわと存在感を増してくる。

外に出ると、空気は思ったより冷たかったり、逆に妙に生ぬるかったりする。どちらにしても、身体が完全に目覚めきっていない状態では、その感覚が少し過剰に感じられる。通勤途中、同じような表情で歩く人たちを見て、「みんな同じなのかもしれない」と思う瞬間がある。誰もがそれぞれの月曜日を抱えていて、完全に晴れやかな顔をしている人は少ない。

電車の中や道路の流れには、独特の重さがある。静かだけれど、決して穏やかではない。どこか張りつめた空気の中で、人々はそれぞれの思考に沈み込んでいる。これから始まる一週間のこと、やり残した仕事、会いたくない相手、あるいは小さな楽しみ。それらが混ざり合って、「モヤモヤ」としか表現できない感情の層を作り出している。

このモヤモヤの正体は、単純な「嫌だ」という感情ではない。むしろ、やらなければならないことが分かっているからこそ生まれる、微妙な抵抗感に近い。完全に拒絶するほどでもないけれど、心から受け入れているわけでもない。その中間にある曖昧さが、月曜日の朝を独特のものにしている。

職場や学校に着き、日常が動き始めると、不思議なことにそのモヤモヤは少しずつ薄れていく。やるべきことに手を動かし、誰かと言葉を交わし、小さなタスクをひとつずつ片付けていくうちに、気づけば「いつもの自分」に戻っている。あれほど重く感じていた朝の空気が、いつの間にか背景に溶けているのだ。

それでも、完全に消えるわけではない。心のどこかに、薄い膜のように残り続ける。その存在は決して大きくはないが、確かにそこにある。そしてそれは、次の月曜日にもまた顔を出す。

もしかすると、このモヤモヤは悪いものではないのかもしれない。週末の自由さと、平日の規律との間に生まれる「ゆらぎ」のようなもの。完全に割り切ってしまうよりも、その曖昧さがあるからこそ、自分の生活に立体感が生まれているのかもしれない。

月曜日の朝のモヤモヤは、消すべきものではなく、ただ「そういうものだ」と受け止めるだけで少し軽くなる。無理に元気を出そうとしなくてもいいし、完璧なスタートを切ろうとしなくてもいい。ただ、重たいままでも一歩外に出て、流れの中に身を置いてみる。それだけで、時間は確実に前に進み、やがて自分もその流れに馴染んでいく。

そして気づけば、次の週末を楽しみにしながら、また新しい一週間を生きている。月曜日の朝のモヤモヤは、その繰り返しの中にそっと寄り添う、小さな影のような存在なのだ。
やるしかない。しかたない。

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