旅立ちの光
国内研修を終えて、久しぶりに地元・愛媛に戻ってきた。実家の空気はどこかゆったりとしていて、時間が少しだけゆっくり流れているような気がする。
母から手渡された一通の手紙。「あなたの詩集を読んで、ファンだという方からお手紙が来ていたわよ」と。その中には、私の詩「私はだれなのか?」を読んで、"深く考えさせられた"という感想が丁寧な文字で綴られていた。
今の時代に、あえて手紙で——その行為がもう、ひとつの詩のようだった。その温もりに背筋が伸びるような気持ちになり、心の中で静かに誓った。タイでも詩を書こう。心を届ける言葉を、また紡いでいこう。
タイ語クラスの仲間たちからは、写真や動画がたくさん届いた。私も思い出をかたちにしたくて、小さな動画をつくった。最終日にクラスメートと一緒に演じた「ドリアン太郎」(私は脚本、ナレーター役)、タイ人の先生たちにハートシールを貼ってまわった交流会、そして笑いの絶えなかったN先生を囲んでの打ち上げ——
たった1か月弱。でも、みんなと過ごした時間が放っていたぬくもりは、どこか"家族"のようだった。久しぶりに「生徒」になって、たくさんのことを一緒に覚え、笑って、困って、また笑った。
カナダから帰国した時もしばらく"カナダ脳"だったけれど、今度は"タイ脳"になるのかもしれない。そんなことを思いながら、心と体を整えようと88か所巡りの一つ、石手寺へ向かった。
お遍路さんたちとすれ違いながら、私は手を合わせた。願うことはただひとつ——「私の行く道が、光で照らされますように」
思えば、研修で出会ったタイの先生たちは、みんな笑顔であたたかだった。言葉はまだ完璧じゃないけれど、それでも私は、笑顔で返したい。**"サワディーカー"**の一言に、心を込めて。
夜。ひとり静かに部屋で瞑想した。そっと目を閉じると、黄金の光がすーっと降りてきた。その光が、私の前に道を描いた。やがてその道は、東の空へと伸びて、彼方のタイの地へとつながっていった。
そして、静かに、でも確かに——心の奥から、声が聞こえた。「深い英知を与えよう」
それは、呼びかけだった。祝福であり、導きであり、私の魂への贈りものだった。
旅立ちの光
ひかりの道が 胸に咲く
わたしは いま 目の前に立つ
あなたの声が 風に乗って
「行きなさい」と やさしく背を押す
すべてが整う時など きっと来ない
だからこそ 今、この瞬間を信じる
わたしの詩が まだ見ぬ土地で
誰かの心に灯をともすのなら
それだけで 旅立つ意味はある
住んだことのない国
生きていけるのだろうか
不安と期待の間で
わからなくてもいい
ただ この心のままに 歩こう
そして——
「深い英知を与えよう」
あなたの言葉が、光となって私を包んだ
私はもう、迷わない
