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マッチングアプリ無双日記(10) ~アプリで出会った女の実家は戦場だった ~

相馬海斗、17歳。ごく普通の高校二年生。
――というのは表の顔だ。
兄の免許証を使って年齢確認を突破し、マッチングアプリ上で『24歳・外資系IT企業のテックリード・年収1000万円』という仮面を被っている。

10万円の報酬に釣られ、アラサー女子・葵の
「ハイスペ彼氏」として実家に乗り込んだ俺。
厳格な父・巌(いわお) の鋭い追及を偽造名刺と苦しい嘘で間一髪乗り切ったが!?



巌は名刺をじっくり検分したあと、
座卓の端へぽんと置いた。

「……ふむ。横文字ばかりでよく分からんが、
大層な会社なのだな」

……勝った!
超一流企業のロゴパワーに親父が呑まれた!
砂消しゴムで削った30分は無駄じゃなかった!

だが、胸を撫で下ろしたのも束の間。
巌は一升瓶の栓を「ぽん」と抜いた。

「相馬くん。まずは一杯いこうか」

とっくりから注がれる透明な液体。
静かな居間に、酒がグラスへ落ちる音だけがやけに大きく響く。

……やばい。俺は17歳だ。
そもそも酒の味なんて知らん。
ここで『未成年なんで』なんて言ったら即警察通報、10万円どころか人生終了だ!
断る理由はなんだ? 下戸?
いや、それだけじゃ「男のくせに酒も飲めんのか」と親父に切り捨てられる。

俺は波々と注がれたグラスを見つめ、ゆっくりと首を横に振った。

「お気持ちは大変光栄ですが、お父様。
このお酒をお受けするわけにはいきません」


居間の空気が、音を立てずに凍りついた。

葵の顔が「嘘でしょ!?」と絶望に染まる。
叔母の扇子が止まり、母・節子が息を呑む。
巌が目を細め、静かな殺気が漂う。

「……ほう。俺の酒が飲めないと?」

俺は巌の視線を真正面から受け止め、 エリートの余裕を装った声で言い放った。

「いいえ。……本日、僕がここへ伺ったのは、葵さんとの将来という、僕の人生において最も重要な対話を行うためです。
そのような大切な局面において、アルコールで思考や判断力を鈍らせるわけにはまいりません」

俺はさらに深々と頭を下げた。

「……それに、不調法な体質でもありますので。
本日はシラフの、最もクリアな状態でお父様と
向き合いたいのです」

沈黙。
氷がグラスの中で“コト”と鳴る。

母節子が「あらぁ……」と感心したように声を漏らす。
巌は注がれた酒を自分だけ煽った。

「……ふん。生真面目な男だな」

俺は内心で胸を撫で下ろした。

……乗り切った! 俺の勝ちだ!


心の中でガッツポーズを決めた瞬間、節子が穏やかな笑みを浮かべ、葵へ向き直った。

「相馬さんが良さそうな人で本当に良かったわぁ。
葵ちゃん、東京ではちゃんとご飯は食べてるの?仕事も忙しいって言ってたし、無理してない?」

節子の声は柔らかい。
その柔らかさこそが、葵にとって最も痛い。

「えっ? あ、ええ。ちゃんと自炊してるわよ。
……ねえ、海斗?」

葵の視線が俺へと飛ぶ。
瞳がわずかに揺れ、声も少しだけ震えていた。

「ええ。僕の帰りが遅い時は、葵さんが必ず栄養バランスの取れた食事を用意してくれます。
とても家庭的な女性ですよ」

即興で新たな設定を積み増した。
葵は口元をひきつらせながら必死に合わせる。

「そう、それ! 海斗くんが先に帰ってる時は逆に作ってもらったりね!」

節子はほっとしたように微笑む。

「そう……なら安心したわ。あなた、昔から頑張りすぎるところがあるから」

節子が葵の頬をそっと撫でる。
その瞬間、葵の肩がわずかに沈んだ。

「うふふ、ありがとう、お母さん。
あたし、今すごく幸せよ」

その声は、どこか遠い場所から響いてくるようだった。

葵の指先が震えている。
彼女は幸せな娘を演じるために、東京の顔と実家の顔を同時に被っている。
その負荷が、静かに滲んでいた。

胸の奥に何か刺さるものを感じながらも、嘘つき同盟の相棒として、俺はさらに嘘を重ねた。

「……お母様にお伝えしたいことがあります」

俺はグラスを置き、葵の手を恋人のようにそっと包み込んだ。

「葵さんがこれほど立派な女性なのは、間違いなくご両親からの愛情があったからです。
葵さんの根底にある強さと優しさは、真木家の賜物ですよ」

節子は驚いたように目を見開き、ハンカチで目元を拭った。

「……あらまぁ……。そんなふうに言ってくれるなんて、本当に嬉しいねぇ……」

叔母が満足げに頷く。
「いい彼氏さんじゃないの!」

よし。母と叔母は完封した。

だが、巌は静かにグラスを置いた。
氷が“カラン”と鳴る音が、号砲のように響く。

「ところで相馬くん」
巌の声が、居間の空気を一段沈める。

「君のやっている『テックリード』とやらは、我が国の産業の何を支えているんだね」

その声は、畳の目にまで重さを染み込ませるような低音だった。

……ついに本丸が来やがったな。

俺は一拍置き、理解される気ゼロの専門用語を、あえてゆっくりと並べ立てた。

「お父様。日本の産業の根幹を支えているのは、舗装された道路や、役所の窓口の書類手続きだけではありません。
現代のインフラストラクチャーとは、目に見えないデータと通信の網の目、すなわち『サイバー空間の流通網』そのものです」

横で葵が絶句しているのが分かったが、
もう止まらない。

「僕たちテックリードが日々行っているのは、世界中に散らばる情報とリソースを最適にルーティングし、あらゆる企業のバリューチェーンを極限まで効率化することです。

例えば、お父様が日々目にする行政のデジタル化、地域の過疎化を救うリモートワークの基盤、それらすべては僕たちが書くコードの先にある、いわば、現代の『田んぼの用水路』をデジタルで作っているようなものです」

(……よし、これでどうだ!)

しかし巌は、その比喩を軽く受け流すように鼻を鳴らした。

「ふん。用水路の管理をしてるという理屈は分かった。だがな、相馬くん」

巌は一升瓶のグラスを傾け、鋭い目をさらに細めた。

「テックリードというのは楽なのかね?
一日中パソコンを叩いているだけで、若い人間が大金を稼げるものなのか。実態が見えんよ」

痛いところを突かれた。
“楽です”と言えば舐めていると言われる。
“過酷です”と言えば娘を養えないと言われる。
どちらも死。
だが、ここで怯むような俺ではない。
俺は脳をフル回転させ、最適解を導き出す。

「お父様、楽ではありません」

巌の眉がわずかに動く。

「むしろ、毎秒が生存競争の連続です。
僕たちが動かしているのは数千人規模の組織と莫大な資本の流動。
少しのバグや判断ミスが、致命的な損失を生む。精神的プレッシャーで言えば、毎朝ジャングルに単身で飛び込むようなものです」

言いながら、俺は内心で迷っていた。

……ジャングルより、ボス部屋に全裸で特攻の方が伝わりやすかったかも?

巌はしばらく無言で俺を見据えた。
その沈黙は、将棋の一手を考える時の沈黙に似ていた。
やがて、ふっと息を吐く。

「まあ、若いエネルギーだけは認めてやろう。
……でだ」

巌は視線を横へずらし、葵へ向けた。

「我が家の娘を、お前はどう思っとる?
結婚を前提に付き合っていると言うからには、
それなりの覚悟があってのことだろうな」

……来たか。直球の「結婚の覚悟」質問。

葵の体がビクッと震え、息を呑む音が聞こえる。

俺は真剣な表情を作り、テーブルの上に置いた葵の手を再び包み込んだ。

葵と会うのは2回目だが、形だけはそれっぽく。

「お父様。僕が葵さんと共に生きると決めた以上、その覚悟に揺らぎはありません。
葵さんがこれまでどんな環境で育ち、どんな想いで東京で戦ってきたのか。そのすべてを受け止めるつもりです」

巌の視線が、俺の目を刺すように貫く。
俺は逃げずに受け止めた。

「僕にとって葵さんは、単なる恋人ではなく、
人生という荒波を共に航海する不可欠なパートナーであり、最愛の人です。安心してください。
僕が必ず、彼女を幸せにします」

完璧だ。高校二年生が発しているセリフとは思えないほどの仕上がり。我ながら鳥肌が立つほどのイケメンムーブである。

巌は少しだけ目を丸くし、やがて満足げな、しかし父親としての威厳を保った苦笑を漏らした。

「……口だけは達者な奴だ。だが、その目、
嘘をついてるようには見えんか……な」

(……勝った……ッ!!!)
ついに巌の防衛線を突破した。

ようやく安堵の息を吐こうとしたその時――

「はい、お待たせしましたぁ〜!」

節子が台所から戻ってきた。

「仕事の話もいいけど、若いんだからしっかり食べないとダメよ!
遠慮せんとどんどん食べてね〜!」

節子が台所から運んできた大皿がドサリとテーブルに着地した瞬間、さっきまでの緊張感が一瞬で吹き飛んだ。

山菜の天ぷらタワー。
唐揚げの山脈。
煮物の鉢はもはや地形。

……おいおい、マジかよ。

この圧倒的な田舎の母親力。
胃袋の許容量を完全に無視している。

「あ、ありがとうございます……」

引きつる笑顔を隠しながら、俺は目の前にそびえ立つ唐揚げの山を見上げた。

平穏を取り戻した――ように見えたのも束の間。
さらなる爆弾が、居間の中央に転がり込んだ。

「しかし、イケメンさんねぇ!」

叔母がにんまりと笑い、俺の顔をジロジロと舐めるように観察する。

「こんな東京のスマートな男の子が、地味な葵なんかをよく捕まえたもんだわぁ。
ねえ、二人は一体どこで知り合ったのさ?
ドラマみたいな運命の出会いってやつかい?」

叔母の好奇心という名の爆弾が、テーブルの上でピンを抜かれた。

俺の脳裏にマッチングアプリのUIと「24歳・テックリード・年収1000万円」という香ばしい自作自演プロフィールが鮮やかに蘇る。

課金とブースト機能で血で血を洗う戦いを繰り広げた末の、現代的ハイスペ偽装マッチングだが?

「あ、それはですね。僕たちが知り合ったのは、もちろんマッチングアっ

ドスッ!!
――っぶ!!?」

マッチングアプリと言い終わるより早く、強烈な肘鉄が俺のみぞおちに突き刺さった。

肺が空気が一瞬で空になり、声にならない悲鳴が喉の奥でひっくり返る。

葵は真っ青になり、冷や汗が滝のように流れていた。

「ま、待って叔母さん! 私から話すから!」

作り笑顔を全開にして、葵は声を張り上げた。

「そ、そう! 二人の出会いはね、ロマンチックな場所なんかじゃないのよ!ええと……街の、ボランティア活動よ! そう、ボランティア!」

(ボランティア……!?)
俺は胸を押さえながら、涙目で葵を二度見した。

「ボランティア?」
節子が首をかしげる。

「そう! 地域の環境美化とか、そういう社会貢献系のボランティアの会場でね!
海斗くんがリーダーとしてテキパキ指示を出してて、その姿がとっても頼もしかったのよ!」

葵の繰り出すボランティアという大嘘のトス。
それはもはや偽装工作の域を超え、壮大なファンタジーになりつつあった。

しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。

俺はみぞおちの激痛に耐えながら、必死に「爽やかなボランティア青年」の表情を作り、引きつった笑みを浮かべて頷いた。

「ええ、そうです。……社会貢献は、ITエンジニアにとっても大切なアジェンダですからね」

「へぇ〜、ボランティアねぇ……」

叔母はまだ疑わしげな目を向けているが、節子はすっかり感動した様子で胸を押さえている。

(マッチングアプリは出会いの主流なのに、
言ったらダメなのかよ……)

心の中でツッコミを入れながら、 俺はそっと息を整えた次の瞬間、節子は瞳を輝かせ、とんでもない爆弾を投下してきた。

「いやぁ、こんな誠実な方が葵の相手なんて、母さん本当に安心したわ。ねぇ、お父さん?」

巌は難しい顔で徳利を見つめたまま
「……まあ、悪くはない」とだけ唸った。

その反応を肯定と受け取った節子はさらに身を乗り出し、畳の上に手を突いた。

「それでね、相馬くん。二人は、その……
お式はいつ頃を考えてるのかしら?」

(お……しき……?)
俺の脳内で、危険を知らせる警報がけたたましく鳴り響いた。

「まだお若いから焦る必要はないけれど、しっかりしたお仕事をしていて、お互いの気持ちが固まってるならねぇ……。
暖かいうちに両家の顔合わせを済ませておいたほうが、親としても安心できるでしょ?」

……待て待て待て待て!!
まだ出会って数日の偽装彼氏だぞ!?


この難局をどうかわすべきか、 脳内で高速会議を開いていたその時。

「ちょっとお母さん!
何を急に先走ったこと言ってるのよ!」

葵がガタッと座布団を鳴らして身を乗り出し、
真っ赤な顔で母を制止した。

「だ、だってねぇ!
あんたもいい歳だし、これだけ立派な彼氏さんなんだから、親としては気になるでしょ!」

「気になるって、まだ付き合って……
その、お互いのキャリアとか、色々あるでしょ! 今すぐどうこうってわけじゃないんだから、
そういう話しはまだ早いって!」

葵が必死の形相で母親のトークを遮断する。

(ナイスアシストだ、葵さん……!)
俺はすかさず葵に追随する。

「……お母様のお気持ちは大変ありがたいですが、葵さんの言う通り、僕たちとしてもまずはそれぞれのキャリアと基盤をしっかりと固めるのが先決です。ですから、その……温かく見守っていただければ」

耳障りの良い大人のトーンでかわす。

「まあ……! なんて頼もしいのかしら。
本当にしっかりなさってるわぁ……」

節子はすっかりメロメロになり、テーブルの端に置いてあったタッパーを取り出した。

「ほら、これ持って帰りなさい!
うちの畑で採れた野菜の煮付けだから!」

次から次へと繰り出される母の愛。
俺の胃袋と精神は同時に攻撃されていた。

(助けてくれ……誰か、この偽装ミッションを早く終了させてくれ……!)

心の中で絶叫しながら、俺は作り笑いを死守し続けるしかなかった。



【作品概要】
マッチングアプリで出会った嘘つきふたりの、
夏休み実家帰省ラノベラブコメディ小説。

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