マッチングアプリ無双日記(12) ~家柄尋問、第二ラウンド~
相馬海斗、17歳。ごく普通の高校二年生。
――というのは表の顔だ。
兄の免許証を使って年齢確認を突破し、マッチングアプリ上で『24歳・外資系IT企業のテックリード・年収1000万円』という仮面を被っている。
10万円の報酬に釣られ、アラサー女子・葵の「ハイスペ彼氏」として実家に乗り込んだ俺だったが、猛暑のなか墓参りに同行させられ、ヘトヘトになりながら帰ってきた。
ガラガラガラ……。
真木家の門をくぐり、母屋まで戻ってきた俺たちは同時に足を止めた。
出かけた時にはなかった軽トラやミニバンが
3台、行儀よく並んでいる。
「……海斗くん」
葵の声が、今までになく震えていた。
顔を見れば、死んだ魚のような目で
車列を睨みつけている。
「な、なんですか? 誰かお客さんですかね」
「それなりに覚悟しておいた方がいいわよ」
「え?」
困惑する俺の肩を、葵がガシッと掴む。
その手は冷たかった。
「……母さんよ。あんたが外資系テックリードなんて見栄張るから、嬉しくて近所に触れ回ったのよ! 『東京からエリートの彼氏が来た』って!」
「えっ、いや、回覧板は阻止したんじゃ?」
「田舎の口コミを舐めないで!
光ファイバーより速いんだから!」
葵の予言は、障子を開けた途端に現実となった。
「あ! 帰ってきたわよー!」
母・節子の弾んだ声とともに、目に飛び込んできたのは地獄のような光景だった。
和風の居間に敷き詰められた座布団。
そこに鎮座するのは、近所のおばさん三人、
向かいのおじさん、そして苦虫を噛み潰したような顔で端に座る葵の父・巌(いわお)。
テーブルの上には、煮物、キュウリの浅漬け、茹でたての枝豆が山のように積み上がっている。
「いやぁ〜! この人が噂の海斗さん!?
シュッとして男前だわぁ!」
「東京の外資系なんだって? すごいわねぇ!」
一斉に注がれる、好奇心100%の視線。
俺は咄嗟にエリートの笑みを貼り付けた。
しかし、手には「あるもの」を抱えていた。
墓参りの途中でおばあちゃんから貰った、
土のついた巨大な大根だ。
サマージャケット姿で大根を抱える都会の男に
近所のおばさんは目を丸くする。
「あら、それって、裏のばあちゃんトコの大根でねぇの?」
……やばい。スマートな都会の彼氏ムーブが、
出だしから大根で崩壊している。
「あ、はい!
地域コミュニティとのアジャイルなコミュニケーションの一環として頂戴しまして!」
自分でも何を言ってるかさっぱり分からん。
葵が背後から肘で突いてくるのが地味に痛い。
「まあまあ! 相馬くん、そこに座って!」
節子に促され、大根を脇に置いて座布団へ座る。
それと同時に質問攻めの始まりだった。
「で、海斗さん。『てっくりーど』ってのは何やる仕事なんだい? 孫正義みたいなもんかい?」
おじさんがビールを注ぎながら聞いてくる。
「あ、ええと……プロジェクトの技術的な意思決定や、開発チームの牽引を……」
「要するにパソコンだろ? ちょうどよかった!
うちの畑の監視カメラがWi-Fiに繋がらなくなってなぁ、ちょっと見てくれんか?」
「えっ、ネットワークの物理的なトラブルですか……?」
「私のLINEの文字も大きくしてほしいわぁ!」
「あ、それはアクセシビリティの設定で……」
偽りのITエンジニアの知識が、田舎では「便利なパソコンなんでも屋」として消費されていく。
奥では巌が、じっとこっちを観察している。
……まだ何か疑われてる?
冷や汗が背中を伝った、その時だった。
「お父さん、海斗くんは遠出で疲れてるんだから、あんまり質問攻めにしないで」
「まだ何も言っとらん」
葵がすっと割り込み、俺の前にお茶を置いた。
その横顔は、完璧な彼女の顔であり――同時に、俺を庇う「盟友」の顔だった。
「それに海斗くん、明日の朝も早いんだから。ね?」
「あ、はい! クラウドインフラの緊急アラートが飛んでくる可能性がありまして!」
嘘を重ねる俺に、葵が微かに口元を緩めた。
近所の大人たちの賑やかな声、畳の匂い、そして隣にいる葵の温度。
10万円のビジネスで始まった嘘の仮面は、田舎の濃密な空気の中で、少しだけ歪で、けれど確かな絆に変わり始めていた。
……しかし、この大量の枝豆は誰が食うんだ?
内心で突っ込みながら、二度目の深呼吸をした。
「で、相馬くんのご実家はどちら?
お父様は何をされている方なのかな?」
突然巌が探るような目つきで、お茶を啜りながら聞いてきた。
……出たか、地方特有のルーツ探り。
俺は、待ってましたとばかりに背筋を伸ばし、
一番完璧な角度で微笑んで見せた。
「父は大手商社で中東のプラント事業を展開中です。母は外資系バイオテックで臨床開発のプロジェクトマネージャーをしています。
実家は都心のタワマンですが、両親とも地球規模でプロジェクトを回しているので、我が家は家というより『グローバルな拠点』と呼ぶ方が正確ですね」
……フッ、このハイステータスな現実。
これ以上の言葉は不要だろう。
俺が圧倒的なスペックを見せつけ、巌が絶句するのを待っていると——
「まあ……!」
隣で話を聞いていた節子が、急に目頭を押さえて声を張り上げた。
「お忙しいご両親のもとで、小さい頃からずっと一人でお留守番してたの!? お母様もお仕事ばかりで、ろくに温かいごはんも作ってくれなかったんでしょう……寂しかったわねぇ」
「……は?」
想定外のリアクションに、俺はフリーズする。
「いいのよ、相馬くん。今日から私のことを本当のお母さんだと思って甘えても!ほら、まずこの枝豆、全部食べちゃいなさい!」
ドサッと目の前に押し出される、山盛りの枝豆。
「いや、そういうことではなくてですね、我が家は自立と相互尊重の理念のもと——」
「いいから食べなさい! ほら、カツオのタタキもおかわり切ってくるからね!」
節子は俺の言葉を一切聞かず、目にも留まらぬ速さで厨房へと消えていった。
残されたのは山盛りの枝豆と呆然としたままの俺。
その向かいで「これだから最近の親は……」と
妙な納得顔をしている巌。
……なんだこの空間は?
俺の完璧なロジックが、一切通用しない!?
「……相馬くん」
巌の呼びかけに背筋がゾワッとした。
「はい……お父様」
巌は湯呑を置き、俺の顔をじっと見据えた。
「君のご両親の話だがな」
……やっぱりきたか。
巌は将棋の駒を置くような慎重さで言葉を続けた。
「中東のプラント事業、外資系バイオテック……
ずいぶんと華やかな家庭のようだが」
「ええ、まあ……」
「だがな」
巌の目が細くなる。
「君のような若者が、そんな家庭で育ちながら、
ITエンジニアに就くのは、少しばかり不自然ではないか?」
(!?)
居間の空気が一気に冷えた。
巌はさらに続ける。
「商社とバイオテックの家庭なら、普通はそのまま商社か製薬か、あるいはMBAでも取って経営の道に進むだろう。なぜ君はITなのだ?」
完全に矛盾の深掘りだ。
俺の話の継ぎ目を正確に突いてきている。
……落ち着け。ここで動揺したら終わりだ。
俺はゆっくりと息を吸い、エリートの仮面を一枚厚く縫い直した。
「……お父様。確かに、僕の家庭環境は経営や商社の道を自然に選びやすい環境でした」
巌は無言で頷く。
「ですが、僕は幼い頃から、人の生活を根本から変える技術に興味がありました。
父の事業も、母の研究も、最終的には人の生活を豊かにするためのものです」
巌の眉がわずかに動く。
「僕はその理念を、デジタルという形で継ぎたいと思ったんです。
父のように海外で巨大なプラントを動かすのではなく、母のように新薬を生み出すのでもなく、僕は世界中の人が使うインフラを作りたかった」
巌は湯呑を持ち上げ、一口だけ飲んだ。
沈黙。
俺はさらに作り話を続けた。
「それに……父も母も、僕がどんな道を選んでも
尊重してくれます。
家のためではなく、“自分のために選べ”と」
巌の目がわずかに揺れた。
父としての理想を突かれた時の揺れだ。
……あとひと押しだな。
そう確信した俺は、畳の上に置いた手を意識して力強く握りしめた。
「だから僕は、ITを選びました。父のように世界を動かすことも、母のように命を救うこともできないかもしれない。ですが、僕は僕のやり方で、人の生活を支える仕事をしたいんです」
巌は湯呑を置き、深く息を吐いた。
「……ふむ」
その声は、さっきまでの疑いの声ではなかった。
「筋は通っているな」
(よし、決まった!)
葵が横で安堵の息を吐いた。
近所のおばさんたちは「立派だわぁ」と囁き合う。
巌は腕を組み直し、俺をじっと見た。
「……もう一つ聞きたいことがある」
(まだあるのかよ!!)
巌は静かに言った。
「君のような家庭なら、家柄や縁を重んじるはずだ。なぜ、葵のような地方の女を選んだ?」
居間の空気が再び凍りつく。
俺は巌の鋭い視線を正面から受け止め、
ゆっくりと口を開いた。
「……理由は一つです」
「ほう」
「葵さんは、自分の人生を自分で選んでいる女性だからです」
巌の目がわずかに揺れた。
「家柄でも、地元のしがらみでもなく、自分の力で東京で戦っている。
その強さと誠実さに、僕は心を動かされました」
葵が息を呑む。
「僕の家庭がどれだけ華やかでも、僕自身がどれだけ肩書を持っていても、そんなのは関係ありません。
僕が選んだのは葵さんという一人の女性です」
俺は勝利を確信して高々に胸を張った、
その瞬間だった。
「まああ……! なんて健気な子なの!」
入り口でカツオのタタキの大皿を抱えてたまま話を聞いていた節子が、ボロボロと涙をこぼし始めた。
「自分からイバラの道を選んで立派に独り立ちしようとしてたのね!
葵のことまで、そんなに買ってくれて……!」
「……え? あ、いや……」
俺の完璧な『孤高の志』スピーチが、節子のフィルターを通した瞬間に『健気なボクちゃん』へと脳内変換されていく。
「いいのよ相馬くん、そんなに背負い込まなくても! 今日からここがあなたの実家なんだから!
ほら、このカツオも全部食べちゃいなさい!」
ドサッと、山盛り枝豆の隣に置かれる
極厚のカツオのタタキ。
「あ、あの、節子さん……
僕は別に苦労をしているわけではなく、論理的帰結としてテクノロジーを選択し——」
「まあまあ、照れちゃって!
お父さん見てよ、こんなに可愛い息子ができたのよ! 葵、アンタもボーッとしてないで相馬くんにカツオ取ってあげなさい!」
「あ、うん……」
葵が「諦めて食べて」という顔でカツオを取り分け、向かいで巌は「フン」と湯呑を置いている。
……待て。なぜ俺は『うちの可愛い息子』みたいなポジションに収まっている!?
俺のプライドとロジックは、またしても節子の母親力によって、跡形もなく飲み込まれていった。
「ほら、ニンニクもたっぷりのっけて食べな!」
「……はい、いただきます……」
巨大なカツオのタタキを口に押し込みながら、俺はただ、言葉もなくカツオを噛み締めることしかできなかった。
【作品概要】
マッチングアプリで出会った嘘つきふたりの、夏休み実家帰省ラノベラブコメディ小説。
