studiovisit ▷ 田中啓一郎さん(美術家)
尺貫法
田中さんが数年前に試みていた、手製のキャンバスによるdrawingのようなもの。その話をしているときに寸法/サイズ「尺貫法」のことを教えてもらった。キャンバスという、絵の基礎、素地のサイズ、原点から「なんでこのサイズなのだろうか?その理由は?」と考えはじめてしまう..作家あるあるの頃に日本のサイズ/尺へたどり着いて、一寸303mmをベースにして布をはり、塗りなどの現象を様々に試みていた作品未満のキャンバスたちが棚にずらりと並んでいた。
後日、note下書き文を読んでいただくと、尺貫法について田中さんから補足が届く。
メートル法は、概念から生まれた単位です。実測が難しかった子牛線の長さを基準にしたもの。言い換えれば、世界を測るために人間が生み出した尺度です。一方尺貫法は、生活から生まれた身体を基準にする単位です。言い換えれば、人間が世界の中で生活するために生まれた尺度です。
そのことに気づいてから、尺を基準にキャンバスをつくりながら、布や木による現象を探るドローイングを試みはじめたとのこと。
絵のモチーフを出来上がったキャンバスに描くのではなく、絵となる手前の現象をあの手この手で試行錯誤し、その現象自体を/自体で(?)描くような……制作。思索の過程。素材そのものや滲みや折り目、結目、たわみやゆるみ、それらの現象が色彩のように扱われている。


その棚の右上にある箱ふたつに目がとまる。ドナルド・ジャッドも好きな私は思わず手をのばし、これは?とたずねると、正月のお節の重箱で「いいからとってある」とのこと。はこ、いいよねぇ、いいですよねぇ、と何度か繰り返して頷く。
大学に入りたての頃、それより以前から、自分でキャンバスを木枠から作っていたので、初期の授業でキャンバスからつくる課題をすっぽかして他の制作をしていたと言う田中さん。昨年、秋から冬にかけて新宿駅近くにある解体前のビル2階を貸し切って、気になる作家達と展覧会を連続企画して展開されていた。その一連の試みも、居抜きの空間をキャンバスとしてdrawingするように。


「 時・場・間 」2025.10.30-11.3
大石一貴 / 田中啓一郎 / 田中昌樹
昨年10月に、作家友人の一人、木下令子さん呼びかけのグループショー「作家と道具」展で一緒に展示をしてからというもの、他の展示施工や額の相談などでお世話になったのもあり、スタジオへお邪魔することになった流れ。どんな試作があるのか…どんなことを考えて想ってきたのかは、スタジオの物物が物語る。



スタジオにある道具、工具から試作品、色々な現象の試み。ひとつひとつは分子か原子のようにも感じられる。どこかへ拡がることを待っている。まだここで、ひとまずは物に属して留まり、ひそんで、居るような。
高松次郎の作品「THESE THREE WORDS」にすごく影響を受けたことを楽しそうに話されていた。なるほど。私はそのあと、首くくり栲象さんとホルヘ・パルドの話を少ししました。なんとなく。自宅の庭で毎月のように首を吊るパフォーマンスをされていたパフォーマーと、助成金で自宅を建てた/制作したアーティスト(だったかな)。
田中さんの制作はもっと木枠を外してゆく、それとも木枠や絵を規格外へ変えてゆく方向のような気がして。
今年はスタジオを引っ越す予定とのこと、新しい物件を探している最中。次のスタジオ風景をふんわり想像する。

ロックがかかってる
かかっていたのかも、ね。
という会話もしていたような、、
美大の「こうでなければならない、こうした方がいい」という外側からかかりがちなロック。ロックがかかりすぎると、楽しくなくなってくる。楽しくなくなると、楽しくないのは伝わってしまう。美大教育の是非のようなことも少し話したような… 私は随分と大学から遠く離れてしまい、その環境からつづいて構成されている縦横社会の延長線上にどこか馴染めない生き物にもなっているから、根無草のような気楽さもありつつ、手持ち無沙汰のような感覚もある。
美大で身につけた思考や制作軸は、そのまま続けていいこともあれば、狭めて作用することもある。人それぞれに。大学で経験して学んだことが基層や基盤になるのはよいとして、のびのびと枝葉をのばせるように、卒業して離れるほど、折折に自分でメンテナンスも必要なのかもしれない。
美術やアートの分野は、広そうで狭く、狭そうで広い…のに、ニッチでもある環境。もし立ち止まることがあれば、一度外へ出てみたり異なる価値観に触れてみると、また返って良さも見えてくることもあるかもしれないし、とことん離れるのもいいかもしれない。ずっとつづけることが美徳となることもあるけれど… 何かしっくりこなくなれば、いくらでも他へ出られる。現象は物より動かしやすいから。



田中さんの数年前の現象drawingは、その後、尺貫法から、自分の手の親指と人差し指をのばした尺を基としたキャンバスサイズへと展開する。自分の身体を軸にうまれてくるもの。とても大切な感覚のような気がしました。自分自身の感覚や身体軸に戻ること。
そうそう
なんでもいいから自由に話せる場所が少ないという話もしてました。ね。もっと気ままに集って喋って、酒飲んで、、そういう場を作ってみたいとも。
描いたり、書いたり、
撮ったり、つくったり、
踊ったり、奏でたり、歌ったり。
「自分にとって」描くとは何か。
続いてゆくこと、生きることについてを探る旅の途中。引っ越すかもしれない移転前の貴重なスタジオへ、しばし、お邪魔しました。




