『罪とか罰とか許しとか』|歌と言葉
「死刑制度の是非」について考えれば考えるほど、「罪とは何か?」という問いに行き着く。
「被害者や遺族の苦しみを考えれば、当然死んで償うべき」と考える人がいる一方で、
「死んで終わりではなく、生きて償わせるべき」
「国家に命を奪う権限を持たせてはいけない」
「冤罪リスク」
「もはや犯罪抑止力になっていない」などの反論がある。
どの主張にも筋が通っていて、簡単には否定できない。
どこまでいっても絶対的な正解は無いから、社会的な決着としては、民主主義のルールに従って選択するしかないのだろう。
しかし、いつも分からなくなる。
罰を受けたら、罪は消えるのか?
罰を受けなかったら、罪は一生残るのか?
そもそも、罪とは何だろう?
法で裁かれる罪、裁かれない罪。
罰を受けて償った罪。償っていない罪。
いずれにせよ、罪が完全に消えることはない、と僕は思う。
失われた命、奪われた尊厳、壊れてしまった人生。決して元に戻せない重い罪は言うまでもなく、「年月が流れたことで水に流してもらえそうな軽い罪」でも。だって起きた出来事は永久に消えない。事実は残り続ける。
だから、どう足掻いても「チャラ」にはならない。
でも「どんな罪であれ、一生償い続けろ」と言い切れる程、自分という人間は清廉潔白にはできていない。
罪を「許す」のは、誰なんだろう?
被害者か。社会か。神か。それとも、加害者自身か。
法律は刑罰を与え、その刑罰を終わらせることはできるが、社会として区切りをつけたところで人の心に「許し」を強制することはできない。だから「刑期を終えた=許された」ではない。
では、許されていない人は、生きることすらも禁じられるのだろうか?
否。「許されなくても、それでも、生きてていい。」と、僕は言いたい。
決して、「罪を忘れて生きる」という意味ではなく、忘れないで生きる。繰り返さないよう、背負ったまま歩く。断じて、責任は消えない。
許されても責任は残るし、許されなくても世界は回る。
「生きること」と「許されること」は、別の問題。
そんな「罪」とか「罰」とか「許し」とかについて考え、答えの出ないモヤモヤを歌詞にした。
『罪とか罰とか許しとか』
罪はいつか消えるのだろうか?
贖えばチャラになるのか?
社会は法律で裁き
区切りをつけ許すフリをする
それでも被害者は許さない
許すわけがない
罪は決して消えない
どれだけ時間が経っても
起きたことはもう戻らない
許しは誰が与える?被害者?社会?
それとも加害者自身?
許されたら笑ってもいいの?
生きていくことが認められるの?
二度と笑えない人や、
生きるのをやめたいくらい傷つけられた人が
取り残されているとしても?
許されても責任は残る
許されなくても世界は回る
許しがなくても生きていいのか?
生きるしかない
許されなくても
それでも 生きてていい
「神は許し救い給う」
「因業不滅」「因果応報」
今とこれからの行動次第で、未来は開かれる
罪は決して消えないが
人は変わることができる
取り返せないものが失われたのならば
完全な許しはあり得ない
それでも、生きる。
忘れず 繰り返さず 背負って歩くしかない。
罪とか罰とか許しとか答えは無いけど
生きるしかないよな
生きるしかないよな
この割り切れない葛藤を託すに相応しい音楽。これだけ重たい詞に釣り合う音楽。ということで、ゴリゴリのメタルにした。
Melodic Heavy Metal, Clear Vocals, High Pitch, Catchy Melody, Power Metal, Polished Production, Symphonic Metal, Piano Intro Fast Tempo, Double Bass Drum.この歌は、答えのない問いを考え続けるための歌。
残酷なこの世界で明日も、
生きるしかないよな。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
