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父親探しとしてのアニメ「あかね噺」~落語を通して見つけた"おっ父"~

「週刊少年ジャンプ」で落語漫画という異色の題材ながら人気を集めている『あかね噺』。連載5年目にして放送されたアニメ版は、ビッグネームである『黄泉のツガイ』と放送時間が競合しながらも劣らぬ存在感を放っていた。『とんがり帽子のアトリエ』でも話題を読んだ渡辺歩監督により美しく彩られた画面や、まさかの桑田佳祐によるOP・EDなども大きな要因であろうが、今回は本アニメ版が「父親探しの物語」として構成されていたことに着目したいと思う。

1.奇妙なる行方不明 朱音の”おっ父”こと阿良川志ん太の消息を探るドラマ

本作の始まりは苛烈である。落語家の最高位・真打を目指す阿良川志ん太は昇格試験で見事な一席を披露するも、審査員長の阿良川一生から言い渡されたのは合格どころか破門。6年後、娘の朱音は自分が真打になって父の芸を認めさせようと落語家を目指す……一見して仇討ちものとも見える構図だ。しかしその実、このアニメに復讐の暗さは乏しい。朱音が見せるのはもっぱら眼前の難関への闘志であったり、落語を学ぶ中での喜びの方が中心だ。こうした屈託の少なさは、作劇のミスマッチというよりは方向性の違いと見るべきだろう。

本作が復讐ものではない理由、それはおそらく破門後の志ん太の描写にヒントがある。第1話で朱音は「落語家・阿良川志ん太は死んだ」と語るが、これはもちろんあくまで比喩表現。落語家をやめた後はコンクリート関連企業に就職し、朱音が成長した今も忙しく働いている……のだが、彼が現在の朱音と共に画面に映ることはない。回想や伝聞でしか現れない有様は、比喩と分かっていても死んでしまったように錯覚してしまうほどだ。桜咲徹という本名の彼、朱音の父としての彼は間違いなく生きているが、落語家としての”おっ父”だけがここでは消息不明になっている。朱音が落語家を志ざせばそれはおっ父の足跡をたどること、行方を探すことと同義になるのだ。


2.落語を学ぶことは父を探すこと 「気働き」や「了見」を通して朱音が見つけた”おっ父”の行方

落語家を目指すことは、朱音にとって修行であると同時に父親探しの意味を持つ。この両義性を証明するように、劇中で彼女が学ぶのは話の達者さだけでは落語が上手くならない事実である。相手や客の考えを察する「気働き」、噺の中の人物が何を思っているのか考える「了見」……いわゆる心構えが朱音の落語を飛躍させていくわけだが、これらが他者への想像力の涵養であるのは注目すべき点だろう。落語が上手くなる度、彼女は”おっ父”が何を思っていたか想像することが──父親探しをすることができるようになっていくのだ。

本アニメの山場は学生落語大会・可楽杯である。いかにも少年ジャンプらしいシチュエーションでしかし、本作は強敵との激突を主体にしない。重要なのは朱音が課された演目『寿限無』の方で、彼女がこの古典を通して気付くのは江戸と現代を貫く親の愛情だ。子の長寿を願って長い長い名前をつけた寿限無の親のように、”おっ父”もまた自分を思って朱音と名付けてくれた……落語を通した発見こそ可楽杯最大の成果であり、だから賞杯はおろか、特典の歓談で阿良川一生から得た回答すら実はその副産物に過ぎない。それを裏付けるように、最終回を締めくくるのもまた朱音の高座名=名付けの問題となっている。夕日に自分が名前をつけてもらった時と同じ景色を想像する朱音と、彼女が今は「あかね」のままでいたいだろうと想像する師匠・志ぐまの心の内にはまさしく「了見」や「気働き」がある。探し続けてきた志ん太が今、間違いなく朱音たちの心の中にいる。半ばオリジナル同然の最終回がここまできれいに収まるのは、本アニメが落語を通して昔の人に触れるように志ん太を見つける物語だったからなのだろう。

落語という題材を少年漫画誌にフィットするよう仕立てた原作を損なうことなく、底流にある情愛をすくい上げてみせた作品。アニメ「あかね噺」はそんな話であったように思う。若手実力派の呼び声を更に高めた主演・永瀬アンナのさらなる成長を含め、2027年1月の第2期放送を楽しみに待ちたい。

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普段はTVアニメのレビューを1話1話ブログに書いています。アニメ「あかね噺」1期各話レビューはこちら。

2026夏は「正反対な君と僕」第2期、「クレバテスII-魔獣の王と偽りの勇者伝承-」、「黄泉のツガイ」第2クールをレビュー予定です。

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