私が一番、我慢してるんやけど
先日、息子が久しぶりに大暴れした。
きっかけは、本当に些細なことだった。
でも息子の中には、娘が家に帰ってきてから、いろんな思いが溜まっていたらしい。
「ずっと我慢してた」
「娘が帰って来て嬉しいやろ」
「娘が帰って来れるように手助けしてあげたのに!」
そんなことを言った。
そうか。
そんなふうに思っていたのか。
娘も娘で、息子に対して思うことがある。
きっと二人とも、それぞれに、
「自分は我慢している」
と思っているのだろう。
その話を聞きながら、私は思った。
いやいや。
私が一番、我慢してるんやけど。
二人が一人暮らしをしていた頃、私は一人だった。
寂しい時もあった。
でも、とにかく自由だった。
自分が散らかさなければ、家は散らからない。
置いたものは、置いたところにある。
デリバリーで頼んだ食事の残骸が、押し入れから出てくることもない。
爪が階段に落ちていることもない。
息子は爪切りを使わず、爪をほじる。
そして、それをあちこちに放置する。
ベッドに置かれた爪が、服にでもくっつくのだろう。
なぜか階段までやってくる。
そして私が踏む。
ヘアアイロンの電源がついたまま、洗面台に置かれていることもない。
玄関に大量の靴が並ぶこともない。
ご飯だって、自分の分だけ考えればいい。
誰が何時に食べるのかも、気にしなくていい。
そんな一人暮らしから、また3人暮らしになった。
洗濯物は増えた。
ご飯を作る量も増えた。
買い物も増えた。
そして何より、
小さな「んもー!」が増えた。
一つ一つは、本当に小さなこと。
爪くらい拾えばいい。
クリップくらい、また元の場所に戻せばいい。
でも、
「なんで私が?」
が、じわりじわりと積み重なる。
そんな中で、
「俺は我慢してる」
「私も我慢してる」
と言われる。
いや。
私もやで。
なんなら、私が一番我慢してるんちゃう?
……と思った。
でも、その時ふと気づいた。
以前の私なら、この
「私が一番我慢してる!」
という気持ちを、もっと握りしめていたと思う。
「なんで私ばっかり」
「誰も私のことを考えてくれない」
「これだけやってるのに」
そうやって、一つ一つの不満を心の中に貯めていた。
そして、また何かが起きる。
すると、目の前の出来事だけじゃなく、それまでに溜めたものまで全部引っ張り出して怒っていた。
でも今は、少し違う。
「いやいや、私が一番我慢してるんやけど」
と思っている自分を、
少し遠くから見ている私がいる。
「あー、私、我慢してるな」
「そりゃ、腹も立つわな」
そんな感じ。
だからといって、
「私がこれだけ我慢してるんだから、あなた達も我慢しなさい」
とは思わない。
「分かってよ!」
とも、以前ほど思わない。
ただ、
私は今、こう感じているんだな。
と分かる。
それだけで、不思議と気持ちが少し軽くなる。
最近、自分軸って何だろうと、またよく考える。
子ども達と暮らすようになって、イライラすることも増えた。
「私、また家族軸に戻ってる?」
と思うこともある。
でも、もしかしたら自分軸って、
何にもイライラしないことでも、
何にも我慢しないことでもないのかもしれない。
腹が立つ。
我慢もする。
家族に振り回されそうにもなる。
でも、
「あ、今、私しんどいんやな」
と、自分を少し離れたところから見る。
そして、
これは言おう。
これは放っておこう。
これは、まあいいか。
自分で選んでいく。
それが、今の私にとっての自分軸なのかもしれない。
3人で暮らしていれば、きっとこれからも、
「私だって我慢してる!」
と思うことはあるだろう。
その時は、
「はいはい。私もよう頑張ってるわ」
くらいでいい。
我慢している自分を、さらに責めなくていい。
家族に分かってもらおうと、必死にならなくてもいい。
自分が分かっていれば、それでいい。
今日もきっと、小さな「んもー!」はある。
でも、そのたびに全部を背負わず、
「はい、これはこれ」
と一つずつ終わらせながら、
私は私の一日を過ごしていこうと思う。
