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ヘルマン・ヘッセ「シッダールタ」を読んだ感想

前提知識

 筆者のヘルマン・ヘッセはドイツ人。その彼が仏教における悟りの本質に迫ろうとした作品です。
 主人公のシッダールタは、いわゆるお釈迦様とは全くの別人。正論をかざしてきて攻撃的だし、欲望に弱く、いいヤツでもありません。ハッキリ言うてダメ人間ではあるのですが、紆余曲折を経て、悟りを開くお話です。

超主観的な構成分析

一部:孤立編
 家出→修行→解脱者との邂逅→友との別れ→覚醒感→孤独

二部:人間失格編
 遊女との恋→遊ぶための金稼ぎ→博打や飲酒で虚無→入水自殺未遂

三部:解脱編
 渡し守との生活→息子との出会い→息子の家出→解脱

第一部:孤立編

・家出→修行
 主人公のシッダールタは、司祭階級の家に生まれます。生活に不自由することなく、父に教えを受け、優秀な司祭への階段を順調に登っていましたが、何となく心が満たされません。解脱を目標としていましたが、教えを乞うている父も解脱者ではない。父に教わっていても解脱することができない。そう感じたシッダールタは友人のゴーヴィンダと共に家出します。

・修行→解脱者との邂逅
 家出し、しばらく修行に励んでいたのですが、無意味のように思えてきてしまいます。そんな中、解脱者が現れたとの噂を耳に。解脱者の名はゴータマ・ブッダ。友人のゴーヴィンダと共に会いに行きます。

・友との別れ
 ゴータマ・ブッダの説法を聞き、友人のゴーヴィンダは師事することを決意。一方でシッダールタは、ゴータマ・ブッタに対してケチを付け、俺は一人でやりますと宣言。ここのケチの付け方が僕はあまり好きではなく、主人公が嫌いになりました。インターンの大学生がインターン先の社長に対して「あなたのやり方はダメですよ」と言っているくらいのヤバさを感じました。一方のゴータマ・ブッタは怒ることもせず、「好きにやってみたらええよ」と。さすがは、解脱者です。

・覚醒感→孤独
 こうして一人になったシッダールタですが、あのゴータマに一撃(?)入れた俺最強という気持ちになります。しばらくは世界が鮮明になったような感覚を味わっていたのですが、ふと孤独の恐怖に苛まれます。これまでは、司祭の息子、修行者の一行と何かに属していたのですが、生まれて初めてこのような所属から離れることになります。
 僕は、この孤独感、かなり共感できました。大学時代に同じような経験をしたからです。僕の大学では、理系学生は99%くらい大学院に進学します。一方、僕は学部で就職することを決意。研究が好きでもないのに周囲に流されて進学するのが嫌だったからです。決意した瞬間は、縛りから解放され、世界が鮮明になったような気持ちでした。一方で、やってみるとうまく行かないことだらけで、周囲に就活をしている人もおらず、凄まじい孤独感。これまでの人生をドブに捨てたような気持ちさえしました。

第二部:人間失格編

・遊女との恋→遊ぶための金稼ぎ
 孤独になったシッダールタはしばらく森で生活をしますが、川を渡り、あてなき旅に出ます。その旅先で人気の遊女カマラーに一目ぼれ。端的に言うと、「どうしたらヤらせてくれますか?」と尋ねます。「お金がないと遊べませんよ」とカマラー(当たり前体操)。性欲旺盛なシッダールタは、お金を稼ぎに稼ぎます。稼いだ金で好きな女性とヤりたい放題。一時的に快楽で心が満たされますが、何度も繰り返すうちにやがて満たされなくなります。

・博打や飲酒で虚無
 この後、シッダールタは、落ちるところまで落ちます。女遊びだけでなく、博打と飲酒にも手を出します(クズの数え役満)。夜になると、サイコロを振り、朝まで酒を飲み明かし、金がなくなると働く。このような生活を繰り返すうちにシッダールタは気が付きました。これこそが輪廻(サンサーラ)ではないかと。一時的な快楽こそありますが、幾度となく同じことの繰り返し。そして感じる虚無。
 この虚無感、社会人になって10年が経過した今、僕もよく感じます。社会人になると、お金を貰えるようになり、色々な遊びも覚えます。ただ楽しいのは、3年目くらいまで。定年までこれを繰り返すのかという地獄感の方が圧倒的に勝ります。

・入水自殺未遂
 このような虚無感の中、シッダールタは「死のう」と思いました。入水自殺を図ります。しかし、水中に身を沈めてみると、死にたくないという気持ちが生じました。気づくと、彼は川辺のヤシの木の根元で眠っていました。彼は、川の不思議な力により助けられたのです。第二部は、太宰治の「人間失格」という感じ。日曜の昼下がりに放映されている「ザ・ノンフィクション」のテーマ曲「サンサーラ」が脳内に流れました。

第三部:解脱編

・渡し守との生活
 川の不思議な力で助かったシッダールタは、川の虜となり、川辺の近くで心機一転人生をやり直すことを決意。川の渡し守の手伝いをして生計を立てることにします。渡し守の名は、ヴァスデーヴァ。川が自分を救ってくれた話をすると、「川に耳を傾けるのだ」と言われます。いくつも分かったような分からないような抽象的で難解な表現が出てきますが、雰囲気は何となく伝わってきます。中でも好きなのは、下記の一節ですかね。

川はどこでも同時に存在する。
水源においても、河口においても、滝においても、渡し場においても、早瀬においても、大海においても、山岳においても同時に存在する。
川にはただ現在があるのみで、過去の影も、未来の影もない。

シッダールタ(酒寄進一訳)

なにものにも過去はなく、なにものにも未来はない。
すべてが今ここに存在しているのです。

シッダールタ(酒寄進一訳)

・息子との出会い
 解脱者ゴータマ・ブッダの死期が近いというニュースが広がり、大勢の信者を渡し舟に乗せます。その中に遊女のカマラーの姿があり、再会。カマラーは、シッダールタとの間にできた息子の存在を明かし、息子をシッダールタに預けます。蛇に噛まれ、死期が近づいていた彼女は、ここで息を引き取ります。

・息子の家出
 シッダールタは、預けられた息子に愛情を注ぎますが、思い通りに育ちません。終いには、家出をしてしまいます。シッダールタは、息子を探しに行こうとしますが、ヴァスデーヴァから止められます。シッダールタは自分の人生を省みました。自身も家出をしており、そのときの父はどんな気持ちだったのかと。息子を探すのをやめ、流れに身を任せることにします。

・解脱
 愛する人の死、息子の家出。シッダールタは、心の傷に耐えられず、ヴァスデーヴァの助言通り、川に耳を傾けることにしました。すると、川は自分を笑い飛ばしました。愛する人は死に、息子は家出、そのうえ解脱もできずに死んでいく自分をあざ笑っているように思えました。このことをヴァスデーヴァに相談すると、「もっとよく聞くんだ!」と言われます。
 よりよく聞こうと努めると、これまで会ったすべての人と自分自身が川に映し出されました。そして、一体となった声を聞くことに成功します。ついに悟りを開き、解脱。ヴァスデーヴァは、「このときを待っていた」と告げ、去っていきます。彼こそが川の神様だったのです。

感想

 悟りとは何か?解脱とは何か?物語を読んでも正直よく分かりません(むしろ分かったら大変なことだとは思いますが…)。ただ雰囲気は何となく掴めたような掴めないような…。何とも説明しずらい作品です。
 理解できた部分としては、時間、他者、これらの区切りを撤廃できたときに輪廻(サンサーラ)から解放されるということ。時間には、過去、現在、未来というような区切りが存在しますが、川の流れに例えてこれらを一体とみなす考えが出てきます。そして、最後に川面にこれまで会った全ての人、自分自身が映し出され、これらを一体と捉えることで解脱に至っています。
 僕は、この考え方について、別の作品での既視感を覚えました。「エヴァンゲリヲン」の「人類補完計画」です。ゲンドウが目指した時間的区別も他者との区別もない世界(奥さんが大好きすぎてやっただけではありますが…)。ふとした瞬間(主に働いているとき)に輪廻(サンサーラ)から抜け出したいと思うことは正直あります。でも「人類補完計画」のような状態になるくらいなら、たとえ悩み苦しんだとしても俗世を生きたいと僕は、強く思ってしまいますね…。


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