犬の最後③「ずっと悲しくてもいい」
犬の葬儀が終わり、1週間がたち、2週間がたち、1ヶ月がたった。
「これから介護で使うかもしれない」と買ったカラーなどを未開封のまま捨てた。
悲しみを忘れるかのように、形見分けをしたあと、犬の備品を捨てた。
代わりに、心の寂しさを埋めるように、花をたくさん買う日々が続いた。

人間だけになった家。
犬がいなくなった家から、犬の気配も、においもどんどん消えていく。
「いなくなった」という実感だけが残る。
犬と散歩していた習慣だけが残っている。
1人でふらふらと散歩をする。
散歩をすると、犬連れの散歩の人と出会う。
犬は不思議なもので、犬好きな人がわかる。
私と目が合うと、寄ってきてくれる。
「触ってもいいですか?」と飼い主に許可を得て、さわらせてもらう。
可愛いトイプードルだった。
一瞬愛想良く喜んだ後、私の服の袖口や靴を一生懸命嗅ぎ出す。
そこにダリルの匂いが残っているのがわかった。
人間ではもう分からない匂いも、犬同士ならわかる。
飼い主も気づいて「犬、飼ってるんですか?」と言う。
「亡くなりました」「飼ってました。でももういません。」
何と答えていいか分からず、言葉が喉の奥でつまる。
何か曖昧なことを言ってその場を立ち去った。
その後から、何かがきっかけで喋れなくなってしまうのではないか?という恐れがでて、できるだけ外出を控えた。

1ヶ月たっても「もっとしてやれたことがあったんじゃないか」と後悔が止まらず、相変わらず何も手がつかない日々を過ごす。
「たくさん、悲しんであげてください」
そんな日々をすごしながら、最低限仕事をして、ふらふら散歩をして、元気なふりをして日常をすごして、夜はお酒を飲みながら犬を思って泣き、後悔の気持ちに苛まれる。
その頃、犬が亡くなる前に申し込んでいたコーチングの講座が始まった。
いつまでも悲しんでいてはいけない。
早く元気になって、日常に戻って、早くトレーニングや練習にも戻らなきゃ。
みんなにも心配をかけ続けてしまう。
はやく、はやく。
コーチング受けて、仕事の成果も出さなきゃ。
はやく、はやく、はやく頑張らないと。
いつまでも悲しんでてはいけないのだから。
コーチングでは個別相談の他に、LINEの相談があり、現状のヒアリングや今後やっていきたいこと、悩みなどを打ち明ける。
最初の面談では、犬が亡くなったことによる心境の混乱が残っているせいか、自分でも何がいいたいのか、一体何の問題を解決したいのかさえ分からず、ぐちゃぐちゃだったように思う。
コーチは、そんな状態の私を叱るでもなく励ますでもなく、ただ淡々と問いかけを続ける。
コーチは「ネガティブな感情の反芻がビジネスの行動を止めるので、ネガティブな感情が起こったら報告してください」と言う。
そうだよな、いつまでも悲しんでいて手がついていないのが今。
でも「犬が亡くなって悲しいです」なんて言っていいんだろうか?
「そんなことくらいで行動止めないで。感情を押し殺して頑張ってください!」
となるのではないか。
そうなるならなるで叱責してもらえばいいか。
そう思い、犬が亡くなったこと、看病や介護の後悔に毎日苛まれていることをLINEに書き綴った。
叱られる。
と思いきや、いつも通り問いかけがきた。
「他に思うことはありますか?」
後悔、悲しみ、私は無力で無価値な人間である。未来のことばかり見て、最後死の間際に犬を抱いてやることすらしてやれなかった。
「他には?」
自分がいかに愚かで怠け者で、無知ゆえに犬を最後の最後まで頑張らせて苦しませてしまったかを書き綴って謝った。
コーチに謝っても仕方ないのに。
内容はかなり意味がわからなかったと思う。それでもぐちゃぐちゃの文面で書き綴った。
そしてまた質問がきた。
「わんちゃんは、そんなあなたに何か言えることがあるとしたら、何と言うと思いますか?」
ドキッとした。
「もうそんなに頑張らなくてもいいよ」
って…言う気がします。
「頑張らなくていいよ。
そばにいて。愛しい人。」
犬が実際にどう思っていたかなんか分からない。
でも、そんな言葉が出た。
そう書き綴りながら、やばいくらい泣いていた。
「やばいくらい泣いてます・・・」と、その事も伝えた。
「たくさん泣いてあげてください」
ただ、それだけが返ってきた。
悲しんでいてもいい。
ずっと悲しんでもいい。
感情は殺さなくてもいい。
世界は自分自身を投影している。
頑張って苦しんでいたのは自分だった。
だから、犬が頑張って苦しんでいたのだと思い込む。
苦しい世界を作っているのは自分だった。
後悔や悲しみを「感じてはダメだ」と押し殺すから苦しい。
いつもなら明け方には犬を亡くした悲しみで目を覚ましていたのに、その日は泥のように眠り、全く目を覚まさなかった。
そして、次の日から、嘘のように罪悪感が消えた。
悲しさはいまだに消えない。
でも、悲しみと同時に、昔犬と一緒に過ごした時の喜びや、かけがえのない時間を過ごせた楽しい日々が沸き起こってくる。
私たちと10年一緒に過ごしてくれて
ありがとう。
悲しんでもいいのだ。
失った悲しみを感じられるから、喜びも感じられる。
愛するものを失ったとしても、いつまでも悲しくていい。
私たちは、嬉しさも悲しさも、全ての感情を感じたくて生きているのだから。
自分を殺さなくていい。
ただ、感じるだけでいいのだ。
