「みんなが知っている歌」が消えた令和の音楽のはなし
最近、音楽文化に関するいくつかの本を読みました。音楽全般について詳しくなれば、趣味が深まるかなって思いまして。
平成以降のJ-POPの隆盛、フェス文化の定着、ネット時代の音楽体験、サブスクの普及――。
いろんな視点から、現代の流行音楽が語られていて、めちゃ興味深い内容でした。今回は、流行音楽の今までと、これからについての話。
平成はみんなが知ってるヒット曲があった
かつて、音楽は「みんなで聴くもの」でした。
・テレビの音楽番組を通じて広まるヒット曲
・CDショップで手に取る新譜
・カラオケで歌う定番ソング
1990年代から2000年代初頭にかけては、音楽が共通の話題でした。 ミリオンセラーと呼ばれる楽曲が毎年のように誕生し、「あの曲、いいよね」という会話が自然に交わされていました。
音楽は、人と人とをつなぐ共通言語でした。
音楽のヒットチャート番組も、ゴールデンタイムで放送されてましたね。僕は「速報!歌の大辞テン」という番組が好きでした。
2000年代後半以降、テクノロジーの発展とともに、音楽文化は大きく変わっていきます。
・YouTubeやニコニコ動画など動画サービスの普及
・ボーカロイドの登場
・フェスの定番化とライブ体験の重視
・AKBシステムによるCD売上数の無効化
・スマホと音楽プレイヤーの統合
・サブスクリプションサービスの普及
音楽の楽しみ方は多様化し、個人の趣味や好みに合わせて自由に聴ける時代になりました。その一方で「みんな知っている曲」という共有物は失われていったのです。
歌い手の変化、聴き手の変化
音楽文化の変化に伴って、音楽の作り手と受け手、それぞれの形も変化しています。
作り手は「作品の担い手」から「物語の発信者」へ
昭和の頃、作詞家・作曲家・歌手がそれぞれの役割を担う分業スタイルが主流でした。楽曲は「作品」として作られ、歌手はその完成された作品を歌う存在でした。
平成時代になると、シンガーソングライターが増え、音楽はアーティスト自身の内面を語る手段としても広がっていきます。そして、楽曲の背後にある「キャラクター」や「物語」が、聴き手の共感ポイントになっていきます。
聴き手は「受け手」から「参加者」へ
以前は、商品である歌を消費するだけの聞き手の役割も変わっていきます。SNSや動画投稿を通じて、音楽は「聴く」だけではなく「使う」「広める」対象になります。
・動画サイトでの歌ってみた
・TikTokでのダンス
音楽の楽しみ方は、民主化されていきました。音楽は再解釈されて、再生産されていくものになっています。聴き手もまた、音楽の価値を生み出す存在になりつつあります。
こうした変化で、音楽は「個別化」され、「共有」され、枝分かれしていきます。作品として完結せずに、誰かの文脈に乗って、誰かの手で広がっていくことが前提になっているんです。
ここまでが、本から受け取ったことです。
じゃあ、ご当地ソングは?
そんな変化の中、僕のライフワークである「地名が出てくる歌」や「ご当地ソング」はどこに向かえば良いんだろうか。
かつて、ご当地ソングと呼ばれた音楽は「地名を広める」「地域をPRする」目的のもとに生まれ、多くの人に聴いてもらうことを目指していました。このモデルは、共通の音楽体験がある時代にはうまく機能していました。
しかし、今はその前提が崩れています。「みんなに聴かれる」ことをゴールにすると、どうしても時代とズレが生じてしまいます。
僕が思う、ご当地ソングの方向は2つです。
・歌い手:その土地との関係性を携えて歌う「物語性」
・聴き手:自分の行動でその歌に関わる「参加性」「遊びしろ」
誰が、どんな背景で、思いで歌っているか。
誰が、どうやって使っていくのか。
地域に深く結びついて、使いたおされてこそ。
それが大切な気がしました。
とすると。
自主制作のPRソングとか、地元の盆踊りとか、地域の中で生まれて消費されるローカルミュージックが、これから主役になっていくんじゃなかろうか。
そう思って「よりローカルな音楽も探していこう」と決意を新たにしたのでした。
【この記事のテーマソング】
J-POP/Half-Life
本の中では「昭和歌謡曲」「平成J-POP」の対比も面白かったので、そのうち書きたい。
