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【余談】ほんまにほしかったんは

次の日。57歳のわたしは、パソコンに向かって原稿を書いていた。
 
下鴨荘。兄の通帳。土下座。みっともない57歳。
 
キーボードを打ちながら、ふと思う。
 
ほんまに、あれでよかったんかな。
 
教育者として、完全に失格では。
 
その時だった。
 
部屋の中に、人の気配がした。
 
振り返る。
 
そこには、70くらいの老人が立っていた。
 
見覚えはない。
 
……いや。
 
正確には初めて会うのだが、なぜか妙になじみがある。
 
老人は、こちらを見て笑った。
 
「ご苦労じゃったの」
 
妙に落ち着いた声だった。
 
「いやあ、特に浪人のあいつはいかんな」
 
楽しそうに笑う。
 
「生意気で、世間知らずで、恩知らずで」
 
そして少し間を置いて言った。
 
「ただまあ、あれでなんとか合格するじゃろ」
 
57歳のわたしは、しばらく黙っていた。
 
窓の外では、夕方の風が鳴っている。
 
57歳のわたしは、「あなたは、何年後から来たんですか?」
 
「13年後じゃ」
 
「13年後のわたし、いや、あなたは、どうなってるんです?」
 
老人は、首をかしげる。
 
「どうとは」
 
「いや、その……」
 
57歳のわたしは、少し照れくさそうに言う。
 
「売れっ子教育家とかになってます?」
 
老人は吹き出した。
 
「なんじゃそれ」
 
「講演依頼がバシバシ来たり」
 
「ほう」
 
「テレビ出たり」
 
「ほうほう」
 
「『いつやるの? 明日でしょ!』とか言ってたり」
 
老人は腹を抱えて笑った。
 
「誰じゃそれ」
 
「あと、本の印税だけでハワイに別荘買えたり」
 
老人は、しばらく笑っていた。
 
それから、少しだけ遠くを見る。
 
夕方の光が、老人の横顔を照らしていた。
 
「まあ」
 
老人は静かに言った。
 
「バラ色とは言わんが」
 
少し間。
 
「たんぽぽ色ぐらいには、なっとるかもしれんな」
 
57歳のわたしは、思わず笑った。
 
「それ、わたしのオリジナルですよ!」
 
「黄色すぎん感じが、お前にはちょうどええ」
 
老人は肩をすくめる。
 
「いくら稼ぐかは知らん」
 
「知らんのかい」
 
「細かい数字は、あんまり覚えておらん」
 
そして、少し真顔になる。
 
「ただな」
 
部屋の空気が静かになる。
 
「少なくとも」
 
老人は、57歳のわたしをまっすぐ見た。
 
「お前のおかげで、親子関係がよくなったとか」
 
「家庭が穏やかになったとか」
 
「子どもが元気になったとか」
 
「そういう人は、出てくるじゃろうな」
 
57歳のわたしは、何も言えなかった。
 
窓の外。
 
夕方の風。
 
どこか遠くで、子どもの笑い声がする。
 
老人は、ふっと笑った。
 
「お前、金とか成功とか、そっちばっか聞いてくるが」
 
湯のみを置く。
 
「ほんまに欲しかったんは、そっちじゃないじゃろ」
 
57歳のわたしは、苦笑いした。
 
図星だった。
 
結局。
 
昔からずっと、そうだった。
 
文化祭の劇も。
 
教育も。
 
文章も。
 
本当に欲しかったのは、“誰かの心が少し動く瞬間”だったのかもしれない。
 
老人は、そんな57歳のわたしを見て、小さく笑った。
 
さすがに未来のわたしは、57歳のわたしのことを、ちゃんと見透かしていた。
 
 
 

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