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『なぜ生きる』から読み解く、苦しくても生きていく理由

人はなぜ、こんなにも苦しいのに、生きていかなければならないのでしょうか。


年々、自殺者は増えています。
特に、若い人が命を絶つニュースを目にするたび、
「なぜ生きなければならないのか」という問いが、
とても重く胸に残ります。


今回は
『なぜ生きる』(監修:高森顕徹、著:明橋大二・伊藤健太郎)
を手がかりに、親鸞の思想からこの問いを考えてみたいと思います。

なぜ生きる|高森顕徹 著|生き方|1万年堂出版 | 高森顕徹(監修) 明橋大二 / 伊藤健太郎(著) | 生き方 | 1万年堂出版


親鸞というと、歴史の教科書に出てきたな~という程度で、詳しくは知らない人も多いのではないでしょうか。

私自身も、正直ほとんど知りませんでした。
なので、同じような人にも安心して読んでもらえたらと思います。

親鸞の考えに触れてみて、これは現代だからこそ必要な思想だと感じました。

✔なぜ生きているのか分からない
✔将来が不安
✔今のままでいいのか悩んでいる

そんな人に、特に読んでほしいです。

宗教的な話に抵抗を感じる方もいると思うので、できるだけ現代の言葉に置き換えて、分かりやすく書いていきます。
また、あくまで私自身の解釈であることを、あらかじめご理解ください。




①なぜ今がこんなに苦しいのか

人はそれぞれ、何かしらの苦しさを抱えて生きています。
それは、どんな成功者であっても、決して例外ではありません。

仕事、人間関係、お金、評価、地位や名誉。
悩みの内容は違っても、共通しているものがあります。

それは、「この先が見えない」という不安です。

私たちには、必ず訪れる“死”があります。
死ぬとき、人は今まで築いてきたものをすべて手放し、
最終的には一人で逝かなければならない。

「未来が暗いと、現在が暗くなる。
現在が暗いのは、未来が暗いからである。」

『なぜ生きる』p.142

将来が不安だから、今も苦しい。
死への恐れが、現在の苦しさを深くしている。

医学や哲学、技術や法律といったあらゆるものも、突き詰めて考えれば、死の恐れから生まれたものだと言えます。

「やがて死ぬのになぜ生きるのか」

親鸞は、この事実から目を背けませんでした。


②生きる目的と、生きる手段の違い

親鸞は
生きる目的生きる手段の違いを、
はっきり区別しました。

生きる目的とは、
「人はなぜ生きてよいのか」という、根っこの答えです。

・成功しても
・失敗しても
・何もできなくなっても

「どんな自分でも、すでに生きる意味を与えられている」

これは、失われないものです。

条件つきではなく、
成果や役立ちに左右されない
存在そのものの意味です。


一方で、生きる手段は、
趣味・生きがい・役割などで、
生きる目的の上に成り立つもの”です。

・年齢や環境で失われることがある
・人と比べて苦しくなることがある
・うまくいかないと自分を責めやすい

親鸞は、
これを「目的」にしてしまう危うさを見抜いていました。


なぜ、混ぜてはいけないのか

もし、

「役に立てるから生きていい」
「好きなことがあるから価値がある」

と考えてしまうと、

👉 できなくなった瞬間に、生きる意味が消えてしまう

親鸞が一番恐れたのは、ここでした。

生きる意味は、
何かを「する」ことでも、
何かに「なっている」ことでもない。

すでに、与えられているものだとしたのです。


③親鸞が考えた「生きる目的」

親鸞が考えた生きる目的は、とてもシンプルです。

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