第20話(最終話/エピローグ)『ムッとして、それでも明日は回るから。』
「ママって、なんで毎日怒ってるの?」
ある朝、パンをこぼしながら悠真がつぶやいた。
「怒ってるんじゃないの。ムッとしてるだけ」
私がそう答えると、悠真はきょとんとした顔をした。
「…それって、怒ってるんじゃないの?」
違うのよ。
ちょっとだけ違うのよ。
私の朝は、だいたい7時から始まる。
本当は6時台に起きたいけど、最近は寒いとか眠いとか、言い訳が多くなった。
だけど、起きてすぐスイッチは入る。
冷蔵庫の残り物を見て朝食を決め、お弁当を詰め、洗濯機のスイッチを入れ、昨日の残り湯をチェックし、ゴミ出しの袋を整える。
7時半には子どもたちが起きてきて、バタバタと着替え、ランドセル、体操服、ハンカチ、ティッシュ、それらを全部“ママに確認するシステム”になっている。
パートのシフトがある日も、ない日も、やることのリストは脳内から減ることはない。
怒ってない。
本当に、怒ってるわけじゃない。
ただ、「私ばっかり」って思う瞬間が、1日5回くらいあるだけ。
洗濯物を誰も取り込まなかった日。
ゴミを出し忘れてたのに、誰も気づかない日。
夕飯を「またこれ?」って顔された日。
「ありがと」より先に「ハンカチ入れた?」が飛んでくる日。
そういう日々を、“ムッ”としながらもこなしてきた。
怒ってない。
ただ、やってるだけ。
気づけば、私はもう“自分の名前”で呼ばれることがほとんどなくなっていた。
家では「ママ」
学校では「隼人くんママ」
地域では「佐藤さん」
「直美さん」と呼ばれるのは、稀に送られてくる郵便物くらい。
でもそれが寂しいかと聞かれると、たぶん、そうでもない。
名前がなくても、私の日々はちゃんとここにあって、誰かのために動いている“自分”のこと、私は案外好きなのかもしれない。
最近になって、近所のママたちと少しだけ話すようになった。
公園の帰りに立ち話をする人。
スーパーのレジ横で「今日、混んでましたね」って笑いかけてくれた人。
保育園のイベントで隣になって「毎朝、へこんでます」って言い合った人。
みんな、それぞれに“ムッ”とした顔をしていた。
だけどその“ムッ”の先には、なんとなく“わかるよ”の気配があった。
私は、私だけじゃなかった。
理央は高校生になって、最近は夕飯後も部屋にこもりがち。
でも、時々「ママってさ、昔ってどんなだったの?」と聞いてくる。
私は「今も昔も、怒ってばっかりだったよ」と答えるけど、
その答えにはちょっとだけウソが混じってる。
隼人は相変わらず「やってないけど、やろうと思ってた」天才。
洗濯物はぐちゃぐちゃでも、「ママのごはんは世界一」と言ってくれる。
その精度の低い世界地図に、私は今日もムッとしながらにやけてしまう。
悠真はまだ6歳。
小さな声で「ママのにおいが好き」なんて言ってくる時期も、あと数年すれば終わるんだろうな、と思いながら、今だけはこの“重めの甘え”を受け止めている。
そんなふうにして私は、“ムッとしながらも生きてる”。
ある日、近所のカフェで、4人のママたちとばったり会った。
みんな園や小学校で顔見知りだけど、ちゃんと話すのははじめてだった。
「ママ友って感じじゃないけど、ムッ友ならなれる気がする」
誰かが言った。
その一言で全員吹き出した。
「毎日ムッとしてるけど、ちゃんと回してるって、もう立派な職人だよね」
・家事の錬金術師
「余り物でごちそう作る魔法使い。」
・生活の建築士
「今日も家族の1日、設計中。」
・感情の調律師
「泣き声・怒号・ため息、全部整えます。」
・時間の職人
「24時間じゃ足りないのに、全部やる女。」
なんだそれ、って笑ったけど、この人たちともしかしたら、もうちょっと踏み込んだ付き合いができるかも、って思った。
名前も性格もぜんぜん違うけど、どこか“同じ場所でつまずいてきた”感じがした。
今度、誰かの家に集まってみようか。
テーマは決めずに、ただのおしゃべり会。
愚痴でも、ネタでも、アイスでも持ち寄って。
ムッとしたって、いいじゃない。
グーッとこらえて、また笑えば。
“私だけじゃない”って思える場所を、ここから始めていけたら。
【最後のまとめ】
「“ムッとして!”は、誰かと分け合える未来の合言葉。」
