【アマノ文筆クラブ】ショートショート『お手上げですね』
日差しが柔らかな午後、老人ホーム「ひだまり園」の休憩室でのこと。ベテラン介護士の佐藤さんは、顔をしかめて自分の右肩をさすっていました。
「いてて……。肩こりか、五十肩か。腕が全然あがらないよ。これじゃ着替えの介助もまともにできない。弱ったなあ、こりゃお手上げだ」
隣で日誌を書いていたタイ出身の新人介護士、メイさんが不思議そうに佐藤さんを見つめます。
「サトウさん、それは違います」
「ん? 何がだい?」
「サトウさん、手があがっていません。だから『お手上げ』ではありません」
メイさんは大真面目な顔で、自分の両手をひょいと高く掲げて見せました。
佐藤さんは苦笑いして説明します。
「いやいや、メイちゃん。日本語の『お手上げ』っていうのはね、本当に手をあげることじゃなくて、『もうどうしようもない、降参だ』っていう意味なんだよ」
メイさんは首をかしげます。
「ドウシヨウモナイ……? でも、降参するときは手をあげます。サトウさんの手は、下がっています」
「お下げ髪じゃないんだから。そうじゃなくて、万策尽きたというか……」
「バンサク……? ドラマですか?」
一生懸命に説明すればするほど、メイさんの頭の上には「?」が増えていくばかり。佐藤さんはついに説明するのを諦めてしまいました。
「ああ、もう。説明するのも『お手上げ』だよ」
「いいえ、やっぱり手は下がっています」
その翌日。佐藤さんは非番を利用して、近所で評判の整体院へ駆け込みました。悶絶すること三十分。施術が終わると、あんなに重かった佐藤さんの肩が、羽が生えたように軽くなっていました。
翌朝、佐藤さんは意気揚々と出勤しました。スタッフルームには、ちょうど夜勤明けのメイさんがいます。
「メイちゃん、見てくれ! 昨日の整体が効いたんだ」
佐藤さんは満面の笑みで、耳の横まで真っ直ぐに両腕を突き上げました。
「ほら、おお、両手が上がる! 痛みも何もないぞ!」
嬉しそうに万歳を繰り返す佐藤さん。それを見たメイさんは、パッと表情を明るくして、我が意を得たりと大きく頷きました。
「サトウさん、お手上げですね!」
「えっ!? ははは、そうだね! 今の僕は、正真正銘の『お手上げ』だ!」
二人の笑い声が、静かな朝の廊下に響きました。
了
こちらの企画に参加させていただきました。ありがとうございました。
