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【アマノ文筆クラブ】ショートショート『思いつかない』

 新婚旅行で東南アジアの島を訪れた夫婦。
 そこは、高さ50メートルのジャンプ台から命綱一本で飛び降りるバンジー・ジャンプのスポットだった。

「すごーい! あなた、私これやってみたい!」

 大はしゃぎする妻。しかし、夫は極度の高所恐怖症だった。心臓は破裂しそうなほどバクバクと鳴り響いている。

(どうしよう。飛び降りるどころか、あんなところから下を見た瞬間にショック死しちまう)

 しかし、新婚早々、妻の前で「怖いから嫌だ」なんて口が裂けても言えない。
 どうにかして、不自然にならず断る言い訳はないか。必死に考えるが何も思いつかない。
 追い詰められた夫の脳裏に、突如として妙案が閃いた。

(そうだ、俺は数々の修羅場をくぐり抜けてきた営業マン。交渉事ならお手の物じゃないか!)

 おまけに英語もしゃべれる。夫は自信たっぷりに妻に告げた。

「こういうリゾート地ではね、提示された料金をそのまま払うのは素人だよ。値切るのが当たり前なんだ。よし、僕の営業スキルで料金を半額にしてやる」
「すごーい! あなた、頼りになる!」

 妻は尊敬の眼差しを向ける。作戦は完璧だった。最初から決裂を目的とした、無茶な値引き交渉。相手から「ノー」を引き出せば、堂々とこの場を立ち去ることができる。
 夫は受付のスタッフに向かって、流暢な英語でまくしたてた。

「私たちはハネムーンで日本から来た。記念に飛びたいが、この料金は高すぎる。半額にしてくれ。ダメなら帰る!」

 到底飲めるはずのない無茶な条件だ。スタッフは困惑した表情を浮かべ、奥にいるマネージャーと何やら話し込んでいる。
 夫は心の中でガッツポーズを決める。予想通り、スタッフが申し訳なさそうな顔で戻ってきた。

「ノー、それはさすがに無理です……」
「そうか、残念だ。交渉決裂だね。よし、帰ろう」

 これ幸いと、妻を連れて背を向けた。
 ところが、焦ったスタッフが夫を引き留める。

「待ってくれ、ハネムーンの特別サービスだ! 料金を半額にすることはできない。だけど特別に正規料金で一人二回ずつ、合計四回飛ばせてあげる!」

 それを聞いた妻が、目を輝かせてポンと手を叩いた。

「えっ、本当!? 二回も飛べるなんて最高じゃない! あなた、本当に交渉上手ね!」

(だめだ……)

 ガチガチと震える足を押さえながら、夫は立ち尽くす。

(もう、断る理由が、何も思いつかない……)

 了

こちらの企画に参加させていただきました。ありがとうございました。

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