【アマノ文筆クラブ】ショートショート『ラーメン食べたい』
ラーメンマニアのタカシは、彼女の実家へ結婚の挨拶を済ませた後、長年憧れた本場の背脂系ラーメン屋に彼女、ユミを連れて飛び込んだ。
「早く本場のラーメン食べたい!」
運ばれてきたのは、背脂がスープを覆う凶悪な一杯だ。
「これだよ、これ!」
タカシは大喜びで麺をすする。
「うまい! やはり本場北陸の背脂ラーメンは格別だな」
いつもなら「でしょ?」とか楽しそうに返してくるはずなのに、目の前のユミは不気味なくらいに押し黙っている。
(なんだ、この重苦しい空気は)
いつもと違うユミの硬い反応に、タカシは一抹の不安を感じた。
実際のところ、ユミはかつて父親にこの店へ連れられて、こってりとした脂による凄まじい胃もたれの末、救急車で病院まで運ばれた恐怖の記憶がよみがえっていた。彼女にとってここは、まさにトラウマの場所だった。
しかし、大喜びしている恋人を前にして、ここのラーメンが大嫌いだとは言い出せない。
「うらやましいな! 君は子供の頃から、何回もこの店に通ったんだな」
もう二度と来ることはないと思っていた場所に連れてこられ、さらにタカシの能天気な言葉が追い打ちをかける。ユミはきつく唇を噛み締め、意を決したようにまっすぐ彼を見つめた。
「隠していてごめんね。私、実は……二回目なの」
タカシがラーメンをすする音がピタッと止まった。彼の口の中の麺から、あれほど強烈だったはずの醤油のコクも、背脂の甘みも、一瞬ですべて消え失せる。ただの固形物を噛んでいるような、妙に砂っぽい感覚だけが彼の舌に残った。
(二回目? つまり、再婚ってことか!?)
タカシの脳裏に、店に向かう直前の出来事がよみがえる。実家でお義母さんが何かを言いかけた瞬間、ユミがそれを遮るように話をはぐらかしていた。あの時の、どこか気まずそうな家族の視線。あれは全部、この事実を隠していたからなのかと、彼は一人で納得した。
今までずっと、タカシは彼女のことを初婚だと思い込んでいた。それがまさか、再婚だったなんて。急に目の前がぐらりと揺れて、激しい動揺が襲いかかる。理由を聞くべきか迷うが、これくらいのことでうろたえてどうする。過去なんか関係ない、彼女を一生守るとさっき誓ったばかりだ。ここで引くわけにはいかなかった。
タカシはどんぶりから目を離し、ユミに向き直った。のどの渇きを必死にこらえながら、震えそうな声を絞り出す。
「気にするな。君にどんな過去があっても、俺の気持ちは変わらない。全部受け止める」
ユミは一瞬キョトンとした後、周囲の客を気にするように、慌てて声を潜めた。
「確かに思い出したくない過去だけど、ちょっと大げさじゃない?」
「いや、結婚の挨拶で、ご両親の前で君を幸せにすると誓ったからには……」
「何か勘違いしてるわね!」
「俺が最初の男でなくてもいい」
「やっぱり勘違いしてる! 違うの、二回目と言うのは――」
ユミは店の悪口を言うことになるため、躊躇した。
「いや、何も言わなくていい。それより、ここのうまいラーメンを食べれば心が休まるよ」
「だから、大嫌いなのよ」
「うん、分かった。俺が嫌いになった、そう言って身を引こうとしてるんだね」
(この男、なにも分かってねえ)
「だが、俺はそんな器の小さな男じゃない」
(ここのラーメンのドンブリかよ)
「だから違うってば、誤解だって」
「えっ、二回じゃないの。五回? そんなに頻繁に離婚したのか。どんな壮絶な人生を……」
妄想をたくましくして天を仰ぐタカシに、ユミは限界を迎えた。
(こうなった以上、全部ぶちまける。でも店の手前、大声を出すわけにもいかない)
ユミはテーブル越しにぐっと身を乗り出し、タカシの耳元へ顔を寄せると、周囲には絶対に聞こえない囁き声で必死に弁明した。
「(違うから! 前に一度来たときに、脂がすごくて救急車で運ばれて――)」
ユミの蚊の鳴くような声は、タカシの熱い情熱で脳内変換され、完璧な悲劇のヒロインを作り上げられる。
「ええっ!? きゅう、救急車だって!?」
ユミの囁き声をかき消すように、タカシがどんぶりをひっくり返しそうな勢いでガタリと立ち上がった。その大声に、周囲の客が何事かと一斉にこちらを振り返る。
「前の旦那との間に、『救急車で運ばれる』ほどの修羅場があったっていうのか!? そんな命の危険に晒されていたなんて……!」
「ちょっと、声が大きい! 座って!」
「ユミ、よくぞ生き延びてくれた! そんな恐ろしい過去、俺が全てを忘れさせてやる。例え前科者が相手だろうと、俺の愛は揺らがない!」
「誰が前科者よ! お願いだから私の話を聞いて!」
「いや、それ以上、何も言わなくていい。俺も男だ、すべて飲み込んだ」
そうして、タカシは大盛りラーメンの汁を一滴残らず平らげた。
了
こちらの企画に参加させていただきました。ありがとうございました。
