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秩父の祭りは、一町会1000万円以上のボランティアで成り立っている|植樹祭で見えた現実

≪植樹祭の振り返り記事です≫

秩父の祭りは、華やかです。
豪華な山車が出て、町が賑わい、多くの人がそれを楽しみにしています。

でも、その裏側で、ひとつの町会がどれだけの負担を背負っているのか。
実際に内側に入ってみるまで、私はよく分かっていませんでした。

今回、植樹祭に関わらせていただいたことで見えたのは、
山車を少し動かすだけでも、一町会あたり約750万円かかるという現実でした。

しかも、これは特別な行事だからこそ見えた金額です。
普段の祭りは、それ以上のものを、関係者の持ち出しやボランティアで成り立たせています。

ざっくり見積もっても、
一町会1000万円以上の規模のものが、実質ボランティアで回っている。

これはかなりすごいことです。
同時に、このままで本当に続けていけるのか、という問いでもあります。

一昨年は夏祭の若衆行事長を務めさせていただき、その流れもあって、植樹祭では町会の実行委員会に準備段階から参加させていただくことになりました。

今さらではありますが、個人的な思い出も兼ねて、この「例年通りではなかった年」を振り返っておこうと思います。



植樹祭の準備に、町会の実行委員として関わることになった

植樹祭では、前年度に夏祭の行事長だった流れもあり、町会の実行委員会に準備段階から参加させていただくことになりました。

末端の席ではありましたが、会議にも同席させていただきました。

開催日は5月25日と決まっていたものの、警備方法などの詳細については天皇皇后両陛下御臨席の関係で情報はほとんど開示されず、「〇〇らしい」という曖昧な情報しかない中で会議が進められていました。

確か前年の9月頃には、笠鉾・屋台を出すかどうかの判断をしなければならなかったと記憶しています。

夏祭の山車と冬祭の山車をすべて出すという案もありましたが、中町の冬祭の山車については、他町会の方の力をお借りして動く町会です。

そのため、まず問題になったのは、

  • 中町だけで屋台警備ができるのか

  • 両方の山車を動かす人員が確保できるのか

といった先決問題がありました。

しかし、肝心の条件が未確定だったため判断ができない。
結果として、中町は冬祭の山車のみを出すという決定になりました。

当時は「中町だけ両方の山車を出せない」という悔しさもありましたが、今振り返ると、情報がほとんどない状況での判断としては賢明だったと思います。


例年通りには強いけれど、イレギュラーには弱い

2月頃までは情報もほとんど更新されず、実行委員会を開いても話が進まないような状態が続いていました。

そのときに強く感じたのは、祭りの組織は「例年通り」には強いけれど、「イレギュラー」にはめちゃくちゃ弱い、ということでした。

私は末端席でしたし、最初の会議では「君に発言権はないから、聞いておいてくれ」と言われていたくらいなので、求められるまでは発言せず、会議で決まったことを夏祭組織に伝える役目に徹していました。

ところが、開催が近づいた3月頃、事態は急変しました。


実務の話になった途端、皆が黙った

当時の実行委員会の問題は、イレギュラーな曳行計画に対して、

  • 必要なものが明確でなく、詳細な予算を組めない

  • 普段はない謝金をどう処理するか分からない

  • 報告書類をどうまとめればいいか分からない

つまり、「実務をどうするか」という段階で止まってしまったことでした。

方向性を考える場では話せても、
実際に誰が何をやるのか、
どういう書類が必要で、
どこにいくら払って、
どう報告するのか。

その段になると、皆さん急にダンマリモードになってしまいました。

すると上役の「そこにできるやつがいるじゃないか」という、いわゆる鶴の一声で、なんと末端席の私が名指しされました。

これには本当に驚きましたが、結局、私が担当させていただくことになりました。


JCの先輩が一人いるだけで、現場の回り方が違った

唯一の救いは、町内の青年会議所OBの先輩が一緒に運営してくださったことでした。

やはり、JCのOBの方は応用力が高いです。
何をするにしても、一人いてくださるだけで効率が全然違いました。

昨年卒業させていただいた青年会議所については、また別で振り返りたいと思っていますが、こういう場になると、あの経験を積んだ方の強さを本当に感じます。本当に地域に貢献する人を育てる組織だと思います。


時間がない中で、実務を一気に回した

役割が決まってからは時間もなく、かなり怒涛でした。

予算書、名簿、説明会資料、回覧板、備品の買い出し、駐車場のライン引き、当日の出欠管理。
さらに各所への支払いを済ませ、市に提出する報告書まで作る必要がありました。

しかも、その報告書はテンプレートがあるわけでもなく、ほぼゼロから作る状態でした。

結果的には本業にも影響が出るほどでしたが、なんとかやり切ることができました。

終わってみれば、植樹祭はとても良い経験でした。
そして今回の経験で、一つ大きな気づきがありました。


山車を少し動かすだけでも、町会には大きなお金がかかる

今回、予算を切り盛りさせていただいて分かったのですが、組立・解体に加え、2日間昼間に山車を動かすだけでも、一町会あたり約750万円もの費用がかかっています。

これは中町の場合です。
しかも結局、この予算では足りず、一部の参加申込が遅かった方には謝金をご容赦いただく形にもなりました。

ここで改めて見えてきたのは、通常のお祭りのすごさでした。

植樹祭のように費用が出るわけではない普段の祭りが、どれだけ関係者の持ち出しや善意によって成り立っているのか。
人件費なども含めてざっくり見積もれば、一町会あたり1000万円以上かかるものが、実質的にはボランティアで支えられているということです。

前後の集まりの費用や、各所への任意のお祝いなども含めれば、実際にはさらに大きな負担になります。


先人たちは、何のためにあれほどの山車を作ったのか

商店の目線で言えば、昔の祭りには確かに循環があったのだと思います。

道路が拡がればこぞって山車を大きくし、
全国から人を呼び、
祭りを楽しんでもらい、
地域の発展と商売につなげる。

そういう流れが、確かにあったのではないでしょうか。

山車は決して安いものではありません。
あれほどのものを作ったのは、単なる見栄や気合だけではなく、
「商い」と「街の賑わい」を生み出すための投資だったはずだと、私は強く感じます。

祭りで人を呼び、街を賑わせ、商いにつなげる。
その循環の中で、あの豪華な山車文化は育ってきたのだと思います。


今のままでは、次世代にとって祭りがただの負担になる

しかし今は、お金の流れも、人の流れも昔とは違います。

祭りに関わる人にとって、必ずしも恩恵のある仕組みとは言えなくなってきました。
にもかかわらず、負担の構造だけは昔の延長線上に残っている。

この仕組みを現代に合わせてアップデートしなければ、祭りは次世代にとって「誇り」ではなく、「ただの重荷」になってしまうかもしれません。

人口減少がはっきりしてきている今、
存続させるなら、変革は避けて通れないのだろうと思います。


それでも、私は少しでも寄与したいと思う

これからの祭りの形をどう紡いでいくべきか。
携わる皆さんは、悩ましいことばかりだと思います。

私自身、今回の経験を通して、祭りの美しさだけでなく、その裏側にある現実も少し見せていただきました。

だからこそ、単に「大変だった」で終わらせず、
この経験を基に、自分も少しでも寄与できるよう努めていきたいと思っています。


ちちぶの祭りと文化マガジン


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