見出し画像

【絶望からの生還】摂食障害、イップス、癌、適応障害…どん底で知った「生きる意味」|3度の絶望を乗り越え、父となった私が見つけた希望の光


「もう、人生をやめたい…」

そう何度も思った。

摂食障害、イップス、癌、適応障害…

数えきれないほどの絶望が、私を奈落の底へと突き落とした。

しかし、どん底で私は、希望の光を見つけた。

それは、かけがえのない家族の存在。

この記事では、私が3度の絶望を乗り越え、父として生きる意味を見つけるまでの物語を、赤裸々に綴ります。

この記事が、今、絶望の淵に立っているあなたの希望となることを信じています。


  1. 1度目の絶望:摂食障害との長い戦い

1-1. きっかけは、些細な一言

私が摂食障害になったのは、中学生の時だった。

「痩せた方がモテるよ」

友人の冗談交じりの一言が、私の心を深く傷つけた。

それまで自分の容姿に無頓着だった私は、その日から鏡と体重計の数字に囚われるようになった。

1-2. 止まらない体重減少

食事制限、過度な運動…

体重はみるみるうちに減っていった。

周りからは「痩せたね」「かっこよくなったね」と褒められると思っていたのに‥急激な体重の変化であまり周りから印象が良くなかったのかもしれない。

もっと痩せなければ、もっとかっこよくならなければ。

そんな強迫観念に駆られ、私はどんどん食事を減らしていった。

1-3. 心も体もボロボロに

過度な体重減少はさすがに体が悲鳴を上げた。

そんな時、幼なじみが連絡をくれた。
偶然ではあったが、一緒に遊ぶ約束をした。
はじめは幼なじみも私の姿に驚いた様子ではあったが、色々と話を聞いてくれたことにより、少しばかり気が軽くなる感じがした。

それから、頻繁に連絡をくれるようになった。
そして、遊ぶ時にはいつもお菓子と飲み物を準備していてくれた。

ある時‥幼なじみが
「食べたりするのは楽しい時間にしないと、もったいないよ~」
と言ってくれた。
そこから少しずつ、食べることの楽しみを再確認でき、なんとか普段の食事に戻していけるようになった。

自分でも体重減少を止めることが出来ずに諦めかけていたことも友の力でなんとか立ち直ることが出来た。

2.2度目の絶望:イップスとの葛藤

2-1. 関東、全国大会への目標

私は、幼い頃から兄の影響で卓球をしていた。

しかし、高校生になった頃から、私はイップスに悩まされるようになった。

イップスとは、精神的な要因によって、今までできていた動作ができなくなる運動障害のことだ。

2-2. 突然、動かなくなった体

今まで簡単にできていた動作が、突然できなくなった。
練習では出来るのに、大会になると自分の体ではない感じ。

ラケットを握る右手は球を打とうとすると震え、体が硬直してしまう。

思うように体が動かない。

焦りと不安で、私は練習に集中できなくなった。

2-3. 目標を諦めるということ

イップスは、私の目標を奪っていくだけではなく、生きる意味までなくしてしまった。
何度も家族や部活の仲間に「辞めたい」と伝えた。

それでも「いてくれないと‥」と言ってくれた部活の仲間に感謝して、苦しい中でも仲間の大切さを学んだ。

2-4. 社会人、そして…

社会人になっても、イップスは私を苦しめた。
卓球ではないところで出るとは思ってもみなかった。

仕事でプレゼンをする時、私は手が震えて声が出なくなった。

周りからは「緊張しすぎだよ」「もっとリラックスして」と言われた。

しかし、私にはどうすることもできなかった。

イップスは、私の自信を奪い、社会生活を困難にした。
結局‥その会社を退職した。

3.希望の光:子どもとの出会い

3-1. 結婚、そして…

そんな時、私は結婚した。

妻は、私の過去を受け入れ、支えてくれた。

彼女のおかげで、私は少しずつ前向きになれた。

そして、私たち夫婦に子どもができた。

3-2. 父になるということ

子どもが生まれた時、私は初めて「生きたい」と思った。

この家族と一緒に生きていきたい。

この子たちの成長を見届けたい。

そう強く思った。

子どもは、私に生きる意味を与えてくれた。

3-3. 変わるということ

家族が増えてから、私は変わった。

今まで自分のことしか考えていなかった私は、子どものことを第一に考えるようになった。

子どもの笑顔を守りたい。

その一心で、私は懸命に働いた。

子どもは、私を強くしてくれた。

4.3度目の絶望:癌、そして適応障害

4-1. 突然の癌宣告

しかし、幸せな日々は長くは続かなかった。

ある日、私は癌だと宣告された。

目の前が真っ暗になった。

また、絶望の淵に突き落とされた。

4-2. 適応障害、そして…

癌宣告、環境の変化などに対応できなかった私は、適応障害にも苦しんだ。

仕事に行こうとすると、吐き気や脱力感がする。

夜は眠れず、昼間は体が動かない。

そんな状態が続いた。

4-3. それでも、生きたい

それでも、私は生きたかった。

子どもの成長を見届けたい。

妻と一緒に、幸せな家庭を築きたい。

そう強く願った。

私は、癌の治療と適応障害の治療に専念した。

5.どん底で知った「生きる意味」

5-1. 家族の支え

癌の治療中、僕は家族の支えに何度も救われた。

妻は、いつも笑顔で私を励ましてくれた。

子どもは、私のそばで無邪気に笑っていた。

家族の笑顔が、私の生きる力になった。

5-2. 仲間の存在

病院で出会った患者さんたちも、私を支えてくれた。

同じ病気と闘う仲間たちとの会話は、私にとって心の支えだった。

私たちは、互いに励まし合い、勇気を与え合った。

5-3. 生きるということ

どん底で僕は、生きる意味を見つけた。

それは、誰かのために生きること。

家族のため、仲間のため、そして未来の子どもたちのため。

僕は、自分の経験を語り継ぎ、誰かの希望になりたい。

そう強く思った。

6.現在、そして未来

6-1. 体調の安定、そして…

癌の再発に関する不安はあるものの普段と変わらない生活を取り戻し、適応障害も克服することができた。

私は、働き方は変わったが、再び社会復帰を果たし、家族との幸せな日々を送っている。

6-2. 経験を語り継ぐ

私は、自分の経験を語り継ぎたいと思い、noteを始めた。

これからも様々な方法で、私は自分のメッセージを発信していきたいと思っている。

6-3. 希望の光となる

私の経験が、今、絶望の淵に立っている誰かの希望となることを信じて。

私は、これからも生きる意味を問い続け、希望の光を灯し続ける。

7.読者へのメッセージ

7-1. 諦めないで

どんなに辛くても、諦めないでください。

必ず、希望の光は見つかります。

7-2. 誰かに頼って

一人で抱え込まず、誰かに頼ってください。

家族、友人、専門家…

必ず、あなたを支えてくれる人がいます。

7-3. 生きる意味を見つけて

あなたにとっての「生きる意味」を見つけてください。

それは、あなたを強くし、未来を照らす光となります。

ここまでご覧くださいまして、誠にありがとうございます✨


いいなと思ったら応援しよう!

子育てパパ よろしければ応援をお願いします!応援していただいたチップは活動費として使わせていただきます!